7.お肉屋さんの挑戦状

 鉄板から立ちのぼる煙、ジュウジュウと音を立てているステーキ肉たち。ブースのそばに立ててあるのぼりには『長谷川精肉』とある。千歳も聞き覚えのある精肉会社だった。


 道内の和牛生育が盛んな有名どころの地域が本拠地で、そのなかでも有数の会社名だった。祖母はもしかすると対面したことがあるかもしれない。

 千歳はまだ祖母や父親に付き添って修行中の身なので、長谷川とは初顔になる。

 弟も意気揚々と向かっているが、援護の姉は『跡取り娘』としての心構えを整える。


 肉のいい匂いと、煙で燻される強い匂いに、千歳の胸にむかつきが込み上げてきた。だがそれも堪えて、弟と辿り着いた。

 五十代ぐらいのエプロンをした男性と、そばについている若い女性もエプロン姿で、おふたりで鉄板にて肉を焼いていた。


 口ひげがある、ちょっと堀が深いお顔立ちの男性が荻野姉弟に気がつく。


「いらっしゃいませ。どうぞ、お試しください」


 伊万里と千歳を伺うような視線が男性から注がれる。どこの誰だ、初めてみる顔だなという様子だった。

 ホテル食品バイヤーでなければ、ホテルに卸している食品業者の社員だろうが、どこの会社の者かと探っているのだろう。


 おそらくこの方が『長谷川社長』だと千歳は見定める。

 目線が鋭いとかではなくて、様々なことを考えて分析されているようなじっとりとした目線だった。

 その社長が千歳の隣にいる朋重を見つけると、眉間にしわを寄せた。

 あ、浦和水産の関係者だと気がついたなと千歳はヒヤッとする。朋重はいつものにっこりとした微笑みのままだった。


「おや。浦和水産の社長さんとご一緒だったお方ですよね。社長に似ていらっしゃいますが、ご兄弟さんですか」

「はい。弟です。副社長を務めております。申し遅れました」


 そこで朋重から、スーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出し、長谷川社長に名刺を差し向けた。


 肉を焼いていると長谷川社長がそれを受け取った。

 堅い表情のままで、まったく愛想がない男性――というのが千歳の印象。口元をへの字に曲げて不機嫌そうに朋重の顔ばかり眺めている。


「へえ。弟さんもお綺麗なお顔なんですねえ。いいですねえ、混血の方はモデルさんみたいなお顔で。お綺麗な女性連れですかあ」


 普段からそんな嫌味なねちっこい会話の仕方なのかと、千歳も頬がひきつりそうになったが堪えた。でも、こんな時でも朋重はいつもの爽やかな笑みを崩さない。隣にいる千歳の肩をそっと抱くと、長谷川社長に堂々と告げた。


「妻です。今日は彼女も様々な業者さんと触れ合い、勉強をしたいとのことで、兄に許可をもらい一緒に参加しております」

「妻!? え、浦和の弟さん、ご結婚されていたのですか!」


 何故かそこで不機嫌そうだった長谷川社長の表情がぱっと変化した。

 まるで警戒が解けちゃって、素の表情がでちゃったというかんじに千歳には見えた。

 そんな社長が朋重と千歳を交互にじろじろ見ている。


「ふうん? 奥様、食品卸業者に興味あるの? なにかお仕事されていて、参考にしたいとか?」


 また、じっとりとした目線を千歳に向けてきた。

 雰囲気、容姿、服装、全部解析にかけられている気分だった。

 さらに長谷川社長は、千歳より前にでて鉄板で焼かれている肉に目を輝かせてわくわく顔の伊万里にも目線を向けている。


「こちらの男性も浦和さんの関係者さん? それとも新入社員さん? 初めて見かけるけど」

「彼は妻の弟です。僕の義弟になりますね」

「ええ? 弟さんもちゃっかり連れてきちゃったってこと? ただ食べ物にあやかりたいだけじゃないだろうね。そんな集まりじゃないよ、今日はっ」


 義兄に依頼されたこととはいえ『おいしいものにあやかりたい』は本当のところなので、千歳はなにも言い返せず……。そんな不純な動機の者を、親族だからと連れてくるなと、長谷川社長はここぞとばかりに非難をしてきた。


 その時だった。隣で肉を焼いていた女性が、社長であろうに長谷川氏を睨んだのだ。


「社長、失礼ですよ。毎回言っているじゃないですか。人に喧嘩を売るような言い方をやめてください! あと人をじろじろ見てはいけませんって、お母さんとお兄ちゃんからも言われているでしょう」


 ん? 千歳と朋重は揃って、彼女の言い方が途中から変わったことに眉をひそめた。社長と敬語で注意していたが、最後は『お母さん、お兄ちゃん』と言い放った。つまり、娘さん!?


「父が申し訳ありません。あの、ぶっきらぼうな人なんです……」


 眼鏡をかけている大人しそうな女性が、必死に頭を下げてくれる。

 シンプルなボブヘアだが、染めていない黒髪はとても艶やかだった。

 お嬢さんに注意をされると弱くなるのか、長谷川社長はとてもばつが悪そうにふて腐れていた。心当たりはあるようだった。

 娘に諫められたことを誤魔化すかのように、朋重からもらった名刺を眺めていて、また長谷川社長が面食らっている。


「ちょっと、浦和の弟さん? あなた氏名が浦和じゃなくて『荻野』になってるじゃないか」

「はい。妻の家に婿入りしましたので、一年前に名字が変わりました。ですが、勤めは実家の浦和水産のままで兄の経営を手伝っております」

「え、次男だから婿に入ったってこと? そちらの奥様が荻野さん?」


 そこで千歳も持ってきていた名刺をバッグから取り出して、一枚、長谷川社長に差し出す。


「実家が製菓会社を経営しております。荻野千歳です。私も社員です」


 今度は名刺をじっくりと確認してくれた長谷川社長がまた仰天した顔を千歳に向けてくる。


「あの、荻野製菓のお嬢ちゃんってこと!? え、え、浦和さんと親族になったということ?」

「そうなります。お見合いで出会いまして、昨年、結婚したばかりです。今日は義兄の浦和社長が、卸業者の品評会に参加してみないかと誘ってくださったので、勉強でつれてきてもらいました。私もほかの観光宿泊地などの品評会は祖母や父についていくこともありますから、今回はお義兄様にお願いいたしました」

「お見合い! なに、有名企業さん同士ってやっぱりそうなるんだ!?」


 たしかに実家同士が経営提携も視野に入れて『この家の娘、息子がいい』とやりとりしたうえでの、政略的お見合いだったのは否定はしない。


「あ、じゃあ。この弟君は、荻野のおぼっちゃんってこと?」


 そこで伊万里も、姉と朋兄ちゃんに負けるかと、きりっと名刺を社長に差し出した。


「荻野伊万里です。姉の補佐をしております」

「はあ? お姉ちゃんの補佐? 君、長男だったら跡取りじゃないの」


 あら。『荻野は長子相続』とか『女系相続』とかいう噂もご存じではない社長さんらしい。珍しいなと千歳は驚いた。

 そこも伊万里がいつもの天真爛漫さでからっと答える。


「我が家は長子相続で、先に生まれた姉が跡継ぎと決まっているんですよ。だから、次子の自分は姉の補佐と決まっています」

「長子相続? そんな決まりがあんの!? ん? 確かに。会長さんはお祖母様で女性、長女だったってこと? じゃあ、いまの社長さんは男性だけれど、長子長男だったからってことなのか。知らなかった! あ、だからお姉さんの結婚相手は婿入り条件ということだったんだな! なるほど!!」


 素直に驚かれて感心した様子で、また千歳をじろじろみているではないか。でも、今度の長谷川氏の視線を千歳は嫌に感じなかった。

 なんか、思ったよりも素直? ちょっと天邪鬼なだけで。どちらかというとビジネスマンではなくて、融通が利かない職人さんのような雰囲気を、千歳はやっと嗅ぎ取っていたのだ。

 それならば、妙に愛想がないのも、ぶっきらぼうな気質もわかるような気がした。おいしい肉を生産する職人なのかもしれない。


 そんなお父さんを、今日は素直そうなお嬢様が愛嬌でサポートしているようだった。

 そのお嬢さんが空気を変えようと、また笑顔で話しかけてくる。


「せっかくですから。うちのお肉、食べていってください。父と兄が手をかけて育てた和牛なんです」


 そんな彼女に伊万里が話しかける。


「お父様とお兄様自ら、牧場で手間暇かけられているということですか」

「はい。そうです。私は直営レストランの手伝いをしております」

「直営レストラン! 長谷川さんにレストランがあったんですね」

「はい。まだ開店して二、三年です。よろしければ、そちらもいらしてください」

 

 愛らしい笑みで小さな紙皿に肉を盛り付けてくれ、伊万里に差し出してくれる。


「どうぞ。弊社の牧場で育てた和牛です。まずはサーロインからどうぞ」


 眼鏡の大人しそうな女性だが、笑顔がとてもかわいい。


 そんな彼女から伊万里が『いただきます』と紙皿を手に取る。

 千歳にも差し出されたので、思わず受け取ってしまう。

 ああ、煙の匂いといい、脂のかんじといい……吐き気が……。


 しないな? あれ? 千歳は不思議に思いながらも、一切れだけ渡されたサーロインの肉を頬張る。

 伊万里も同時に口に放り込んでいた。姉弟揃って、口に入れて、ひと噛み、ふた噛み……。またもや揃って、目を見開いて驚きの顔になる。


「うまい!!」

「おいしい!!」


 同時に姉と弟で顔を見合わせる。

 姉弟の反応に、途端に長谷川社長は腕組み鼻高々ご満悦な笑みを見せ、お嬢さんも嬉しそうな笑顔をぱっと咲かせた。


「サーロインって脂の旨みが売りだったり、逆に難点だったりするじゃん。これ、脂が美味いほう!! 上品な脂感! 脂なのに、あっさりと表現したくなる」

「そう、それ!! だって私、フィレ派だもん。でも、このサーロインなら三枚ぐらい食べちゃうかもしれない」

「俺、1ポンドで三ついけちゃうな~!」


 と、ふたりでキャッキャと肉の旨みの感想を言い合っていたら、長谷川社長がまた荻野姉弟を睨んでいる。

 美味しい余韻に浸っていたふたりだったが、社長の視線にひやっとして口をつぐみ勢いを収める。


「おい、君たち。いま聞き捨てならんことを言ったな」

「え、俺、でしょうか」

「私、も、でしょうか……」

「そう。奥さん、いま『三枚いける』とか言いましたよね。弟君、君、まさかの1ポンドを三つとか言ったね」


 い、言いました――。

 二人で怖々と返答すると、社長が目をきらっと輝かせ、隣のお嬢さんに言い放つ。


「面白い。木乃美このみ、焼いてやれ。サーロイン、フィレ、モモ。それぞれ1ポンドで焼いてやれ!」


 長谷川社長が、隣のお嬢様『木乃美さん』に指示をだした。しかもお嬢様も楽しそうに『はい!』と明るく返事をして、クーラーボックスへと向かって準備を始めてしまった。


 1ポンドは453.6g。アメリカンサイズだ。それをフィレとかモモとか、急に大盤振る舞いなことを言いだした長谷川社長に、千歳はおろかそばにいた朋重も仰天する。伊万里だけが『いいんですか!』と飛び上がっている。


「これって浦和さんからの挑戦ってことだよね。いつも、うちの肉をちょぽっとしか食べないお魚屋さん。畜産の美味さで打ち負かしてみせようぞ」


 なにかの挑戦状を荻野姉弟は受けてしまったらしい。

 この畜産ひと筋の社長が、水産会社関係者に常々しかけていた『合戦』にあっというまに飲み込まれてしまった。


『わーー、なんて大盤振る舞いな肉屋なのッ!! さあさあ、どーんと来なされ、来なされ。あー麦酒がないのが惜しい、惜しい』


 さあ、千歳。行きなされ!!

 福神様に扇子で指揮をされ出陣を許されるのだが。『私、つわり中なんですけれど!!』と辞退もできずに、戦へと差し向けられてしまった。


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