8.あっぱれ和牛!


 長谷川精肉のお嬢様、木乃美このみが大きなトングを片手に、肉の塊を豪快に鉄板に乗せた。

 その隣で長谷川社長も盛り付けの準備を始めている。


 テラス席で待っていろと社長に言われて、わくわく待っている伊万里を目の前に、千歳と朋重も並んでテーブルについた。


「千歳、大丈夫か。あの様子だと、千歳にもステーキ肉三枚、焼いて持ってくるぞ。つわりで食べられなかったら、俺に回していいからな」

「うん。大丈夫。無理はしないから。でも……不思議。あのお肉をひとくち頬張ったら、久しぶりにお肉を食べたくなっちゃったの」

「それって、まさかの福神様が一時的に『おいしいく食べられる解除』でもしてくれたのか? それとも、やっぱり長谷川さんの肉がそれだけ食べやすいってことだよな」

「うーん。どっちもかな。とにかく福神様、お肉を楽しみにしていたから……」


 いまも脳内でナイフとフォークを持って『おーほほ、待ち遠しい、待ち遠しい』と正座をしてお待ちなのだ。

 そんなふうにして待っていると、まず伊万里の目の前にどーんと1ポンド肉が鉄板皿におかれてやってきた。


「おおおっすっげえ。やっぱり迫力あるーー!」

「そうだろう~。これぐらい、がっつり食べてくれると気分がいいねえ」

「あの、品評試食会でバイヤーさんたちのために準備されたお肉ですよね。義兄や姉に付き添ってきただけの自分がこんなに食べちゃってもいいんですか。ほんとに……」


 目の前にあるのは、長谷川社長が手塩をかけて育てた高級和牛だ。正規の価格で食べに行こうとしたら、相当な値段になるものを試食でだしてくれることになる。さすがの伊万里も今更ながらに怖じ気づいたようだった。


 だがそこで、長谷川社長が初めて……。ふっと男らしい柔らかな笑みを見せたのだ。


「美味しく食べてくれる人間が好きなだけだよ。間違いなく味わって食べてくれそうだと思ったからさ……」


 あ、この社長さんは……。愛している牛をいい加減に味わってほしくない、そんな親心が強い人だと千歳は感じた。それはもう、素敵な男の顔だった。

 なのに社長はまたすぐに『にやっ』とした不敵な笑みを浮かべ、伊万里の目の前で試食で賑わうホールへと指さした。


「弟君、ほんとうに1ポンド、三つ。食べられるのかな。だったらさ。本当にご馳走するから。すげえ美味そうに食って、見せびらかしてくれよ」

「了解っす。そういうの得意っすから。いっただきまーす!!」

「よっしゃ。次、フィレ肉を焼いてくるから頼んだぞ」


 ついに伊万里が持っているナイフとフォークが分厚いステーキ肉へと差し込まれる。カットしたステーキの真ん中は程よくミディアム、赤身が残っている。


「うわー、美味しそう! いいなあ~伊万里……。ほんとうだったら、私も1ポンド食べたい~! なんなら3ポンドでも行けるのにっ」

「姉ちゃん、すまない。マジですまない。生命を育む使命を負っている姉を目の前に、遠慮なく食べること、マジでマジですまない。でも、いっただきまっす!!」


 分厚いステーキ肉を伊万里が頬張る。


「うんんっーーーーーまああい!! さっきのひとくち試食の百倍のあじわい!! あー、姉ちゃんも食べられたらよかったのにぃーー」


 ああ、本当ならば。伊万里みたいに1ポンド私も行けるのにと、千歳も口惜しい。思わず拳を握って『うぐぐ……』と歯を食いしばるほどに悔しがってしまった。でもいまは我慢。食べ過ぎは我慢なのだ!!


 そんな千歳の目の前にも、ステーキ肉の鉄板皿が届いた。


「はーい。女性のお姉さんには、ノーマルに200グラムのサーロインだよ。女性ならこれぐらいでしょ。お婿さんも同じでいいよな」


 千歳と朋重の目の前には、よくみる厚みと大きさのサーロインステーキを長谷川社長が自ら届けてくれる。

 伊万里のあんな美味しそうな叫びを聞いてしまっては、姉の千歳も待ちきれない。福神さまのわくわくのお顔もちらちら脳裏に現れて、『弟みたいなの食べたいけれど、致し方なし~。でも、さきほどのお試しちんまい肉をまとめていまから味わえるのだね!』と正座をしながら、『はやく、はやく』と急かしてくる。


 もうしようがない神様だなあと千歳は心でぼやきながらも、自分も待ちきれない! さっそく、朋重とともにナイフとフォークを持ってカットしてひとくち。


「うまい! うん、伊万里君がいうとおりだ。旨みとコクがある脂だけれど、後味がすごくすっきりしている。すぐに次のひとくちに行きたくなるね」

「あ~……。さきほどのひとくち以上の味わい。私もしあわせ……」


『あー、なんて極上な肉なの~。なんで麦酒がないの~……。でも、こんな肉を生み出すなんて、長谷川殿あっぱれですぞ~』


 なんて、福神様がうっとりほわほわのお顔で肉を噛みしめているお顔も登場。長谷川社長に教えたいほどだった。


 荻野夫妻の揃った至極の感想に、やはり長谷川社長は鼻先を空へと向けてご満悦のお顔に。しかしそれも一瞬。伊万里の鉄板皿が既にからっぽになっていたことに気がついた社長がギョッとした顔に変わる。


「ああ、美味すぎて一気に行ってしまいました……。真ん中の赤身の火の入り方も最高。これは、焼いてくれる方の腕前があってこそですよね。レストランで食べるのが一番おいしく食べられる場所ってことかもしれませんね。うん」

「え、君。もう食べちゃったの!?」

「はい。美味しいです~。この1ポンドってめっちゃえますよね! アメリカンってかんじで、食べ応えもあるから、すんげえ肉の旨み、まるごとぱっくんってかんじでした! たくさん食べられない方でも、目の前で焼いて『1ポンド山分け!』とかシェアみたいなやり方にすると、この厚みで焼いたステーキの美味しさ、味わう機会が得られるのにな~」


 伊万里がなんの気もなく呟いただろうことに、長谷川社長が真顔になった。


「弟君、面白いこと言うね。それ、うちのレストランでやってもいいかな」

「え、はい。俺も面白いと思います!」

「よし。やるぞ。あ、娘が次にフィレを持ってくるから待ってな」

「はーい。遠慮なくいっちゃいます!」


 そこから怒濤の肉攻撃が始まった。

 木乃美が次に伊万里に持ってきたのも1ポンドのフィレステーキ。次に持ってきたのは、千歳と朋重への普通サイズのフィレステーキ。


「ごめん、俺はここでギブ……です」


 朋重がステーキ二枚で脱落した。なのに隣に座っている妻は、まだナイフとフォークを動かしてパクパク食べ続けている。


「ちょっと、千歳。あんまり無理するなよ。吐き気とかどうなったんだよ」

「うん。なんかすっごい食べられる。とにかく食べやすいお肉なの! ここのところずーーーーっと食べたくても食べられなかったじゃない。だから、すんごい美味しい! もう涙でてきちゃう~」


 少しの量と、弟自慢のトマトしか食べられない日々が続いていたから『食べる魔女』の欲望が満たされていくようで、千歳はほんとうにうっすらと涙を浮かべてしまっていた。

 たぶんたぶん。福神様が『いまだけよ。私もうまうま』とご自分のために、千歳に食べさせている気もするけれど?


 豪快に大きな肉の塊を食べる青年と、黒髪ロングヘアの女がおなじようにステーキを一枚二枚と食べているテラスへと、人々の目線があつまってきたようだった。

 ガラスで仕切られているテラスとその向こうのホール、徐々に他の業者が『けっこう食べてないか。あれ……』と物珍しさで近寄ってきているのがわかる。


 千歳はちょっと恥ずかしくなってきたのだが、伊万里はなんのその。


「フィレも最高っっ! 脂身がうまいサーロインのあとに食べると、肉質の柔らかい上品さが際立つーーー。今度は肉そのものの旨みが、俺のお口の中にめいっぱい広がって幸せ~。あーー、がっつり辛めフルボディの赤ワインがほしいっ」


 さらに運ばれてくる肉料理。木乃美が最後に持ってきたのは、1ポンド分のもも肉でつくったローストビーフ。

 今日のために前もって仕込み、いつくか塊で持ち込んで来たものだという。

 肉の塊をそのまま持ってきて、伊万里と千歳の目の前で綺麗にスライスしていく。

 小皿に盛り付けて、彼女がドレッシングソースも添えてくれた。

 よくあるグレイビーソースではなく、見た目もさっぱりなテイストを感じる野菜みじん切りのソースだった。そばで給仕をしてくれる木乃美に、千歳は尋ねる。


「グレイビーソースのようなものではないのですね。玉ねぎですか」

「はい。そうです。玉ねぎとトマトのドレッシングです。レストランではグレイビーソースも準備しております。ドレッシングソースも長谷川ステーキハウスでもオススメしているんです。でも、今日のドレッシングはちょっとアレンジしておりまして……お試しいただけますか」


 お肉に精通していそうなお嬢さんのオススメだからと、伊万里と千歳、そしてお腹いっぱいといいながらも『おいしそうなソースだな』と食欲を取り戻した朋重とともに、三人一斉にドレッシングをかけたローストビーフを頬張った。


「……ん?」

 最初に伊万里がなにかに気がついた。

「あら、ん? これ……」

 千歳もだ。ドレッシングの味は初めてのものだが、うっすらと既視感を持った。

 荻野姉弟だけではない。夫の朋重もだ。

「これ……って……」


 三人で顔を見合わせる。おなじことに気がついたのだから、確実におなじことを感じたはずのに、それでも確信が持てない。その答えを求めるように、そばにいる木乃美を三人一緒にテーブルから見上げる。


 眼鏡の彼女が、にっこりと。こちらもちょっと得意そうな笑顔を見せている。


「すごい。三人そろってお気づきになられましたか」


 彼女に試されている? それともこれは彼女からの荻野に向けたコミュニケーション? それとも……偶然? 戸惑う三人の目の前で、彼女がエプロンのポケットから、ひとつの瓶を取り出した。


「生のトマトも刻んで入れてはいますが、ビネガーとの調合に、こちら『荻野製菓 畑スイーツ スマートトマトジャム』を使わせていただきました。こちらお料理にもすごーく重宝しております。甘みも旨みもあって、ジャムとしてだけではもったないほど汎用が高いんです」


 千歳と伊万里が開発した『トマトジャム』の瓶だった。


「それ、俺のトマト!」


 叫んだ伊万里に、木乃美が目を見開いた。


「え、弟さんの?」

「そのトマト、原材料として俺が育ててんの。畑も俺が管理してるんだ」

「そうだったんですか! スマート農業で管理されて作られたトマトということでしたので、興味が湧いて購入しましたら、お料理にすごく汎用性があってとっても便利なんです。特定の農家さんと契約されて栽培されているのかと思っていました。社長のご子息様自ら栽培されていたなんて……」


 そこで朋重も割ってはいってくる。彼も覚えがあって当然なのだ。


「わかります。自分も彼女とお見合いをする前から、そのトマトジャムに興味を持って、料理に使っていました。うちも今日、試食にそのトマトジャムを使ったスモークサーモンマリネを持ち込んできていますから」

「え、浦和水産さんも! でも、私とおなじですね。これひとくち食べた時から、ジャムとしてだけでなく、ソース類に適していると思いましたから!」

「ちょっと待っていて。うちのブースから、スモークサーモンのマリネ取ってくるから」


 千歳が止める間もなく、夫の朋重は凜々しいスーツ姿で颯爽とテラスからホールへと戻ってしまった。

 ガラス越しにホールを眺めていると、いつのまにか長谷川精肉のブースに人が集まっている。


「豪快ですね。その大きさでどれぐらいですか」

「1ポンド、453.6gですね」

「いや~、よほどお腹が空いていないと無理かな~」

「なんなら、皆さんで山分けで如何でしょうかね。この塊で焼くとステーキらしい味わいを楽しめますよ」


 伊万里の呟きから思いついた『山分けシェア』をさっそくバイヤー向けに提案している。

 だが長谷川社長は、いま手元で焼いていた肉をまた鉄板皿にのせてテラスへと向かってくる。


「弟君。これ、『ひらめき』の御礼で、おまけな。A5のフィレ。今日持ってきた中で最上級のステーキ肉だ」

「え! よろしいのですか!? 俺、もうサーロイン、フィレ、モモのローストビーフ、それぞれ1ポンド食べちゃいましたけど」

「ふふん、いいんだよ。ほら、見てみな。うちのブースとテラスの入り口を――」


 長谷川社長が意味深な笑みを見せつつ、伊万里に囁いた。

 言われて、千歳も伊万里と一緒にテラスの入り口へと目線を向けると、そこには社員証を首にかけている男性社員たちや、バインダーを持って評価づけに回っているだろうバイヤーたちがこちらへと注目していたのだ。


『うそだろ。あれ、さっきから次から次へと長谷川さんが持って行っていたよな』

『俺、二つ目持っていくところ見ていた』

『そのあと長谷川のお嬢さんがローストビーフをカットしていたぞ。けっこうな大きさの塊。あれももう食べてしまったみたいだな……』

『え、じゃあ、社長が持っていったあの肉、何個目!?』


 社長がさらにニヤニヤしながら、わざとらしく声を張り上げた。


「あー、そうか。やっぱり、うちの肉、食べやすいでしょう。いくらでも食べられるだろう! なあ、伊万里君!」

「はい! もう最上級、食べやすさ、雑味のない脂の旨み、ビロードのような繊細な肉質! どれを取っても、俺の中で最上級!!」

「よし。4ポンド目、行きたまえ!」


  4ポンド目!? あの若い男性、どこの誰!?

 長谷川精肉ブースとテラス入り口で男性達がどよめいた。


 そのうちに、バインダーを持った白髪まじりの男性がテラスに入ってきて、長谷川社長に話しかけてきた。


「長谷川さん。さきほどの、1ポンド山分けシェア、試食させてください。あの大きさは勇気がいるけれど『山分け』ならとっつきやすくて、食べやすそうですね。お願いします」


 俺も、俺も、我が社も、うちのホテルも是非是非――と、長谷川精肉のブースにひとが集まってる。

 それを見た長谷川社長が『してやったり』と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべたではないか。


「いや~、最高、最高! どっかり人々に味わってもらえるのは最高に気分がいいね~!!」


 もう社長は上機嫌で、空に向かって『わっはは!!』と勝ちどきとばかりに高らかに笑い声をあげた。


「もう~、お父さんったら。私、焼きに行ってくるね」


 そばで静かに控えていたお嬢さんが、父親が嬉しそうなので彼女も嬉しいのか、楽しそうに笑ってブースの鉄板焼きへと戻っていった。

 まだそこで興奮気味の長谷川社長がそばに残ったのだが――。最上ランクのフィレステーキをわくわく顔で頬張る伊万里を、またじろじろニヤニヤと見下ろしている。


「ふーん。荻野の長男さんか。伊万里君、こんどうちの牧場においで。もっと食べさせてやるからさ。すき焼きも極上なんだよ」

「え、すき焼き! それはもう! 喜んで行っちゃいます!!」

「意外とお姉さんも食べてるよね~。女性の標準を軽く超えてるじゃないか。へえ、荻野さんのお嬢ちゃん、おぼっちゃんは、なかなか面白い」


 そして社長がいきなり言い放った。


「気に入った! 近いうちにお父様に連絡しますわ。うちの娘と見合いをしてくれませんかね!」


 姉弟で頬張っていた和牛ステーキを吹き出しそうになった。

 福神様……。お肉、気に入った、から、ですか?

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