6.伊万里臨戦態勢
湖にある温泉街に到着。道内でも名が知れているホテルでの品評会開催だった。
札幌から高速で一時間とちょっと。青い湖が広がる向こうに羊蹄山がみえる温泉街。水辺に老舗の旅館とホテルが並ぶ。
景色は最高なのに、高速を使っても車酔いをしてしまい千歳はへろへろになりながら車から降りた。
「ちょ、姉ちゃん。大丈夫かよ……。車で義兄さんと休んでいたら。なにもないようにって、父さんと母さんから、俺が頼まれているからさ」
「そうだよ。千歳。うちの兄と伊万里君が行けばそれでなんとかなりそうなんだから」
だが千歳は、案じてくれる過保護な男二人を制して背筋を伸ばす。
「大丈夫……。今日は私も、その精肉会社の方にお目にかかりたいの」
「いやだから、それは、今日も食べたいパワー全開の俺でいいじゃん」
「伊万里では駄目なの。お姉ちゃんの私じゃないと駄目なの」
「なに意地張ってんだよ。俺じゃ頼りないのかよ」
――と伊万里が一瞬ふて腐れたのだが。弟ゆえか急にハッとした顔を見せた。
「うっわ。もしかして、なんか言われたんかよ。お告げがあったん?」
「……ま、まあね」
姉弟のそんな会話に、夫になった朋重もすぐに察しがついたのか驚いている。
「それって神様がってことだよな」
「うん……」
吐き気がまた襲ってきて、千歳はハンカチで口元を押さえながら力なく答える。
数日前の深夜。また就寝中の時だ。いつものように福神様が夢に登場。
『肉三昧ですな! 楽しみですな~。ちょいと浦和の長男さんから聞いた業者のこと、覗いてみましたのよ。いいね~、いいじゃないの~。なんかウキウキするから行きましょ、行きましょ。なんか、おもろいこと起きそうなかんじがするわ~。弟だけじゃダメダメ。千歳も頑張っておゆき』
高級肉が待ち遠しいのか、最近はナイフにフォークをもってスキップをしていた。
福神様がそう仰るから、きっとなにかあると言われてしまうと長子跡取りとしての使命感が湧いてしまう。
合流した秀重義兄と桜子義姉も、妊娠初期の跡取り娘を連れ出してしまった手前、『無理しないで!』と労ってくれる。
しかし、千歳も『気になることがある』と伝えると『荻野のご加護でなにか!?』とおろおろしながらも、優しく付き添ってくれる。
戦力外である食べる魔女。そんな状態で品評会会場に入場したのだった。
---🐮🍀😇🍴
雄大な湖が見渡せるレイクビューの宴会ホールが会場だった。
広い会場には、ホテルに食材を卸している食品業者のブースがテーブルや屋台風で設置されていた。
業者のみが許された入場のため混み合うこともなく、社員証を首にかけているスーツ姿の社員ばかりだった。
千歳も品評会は初めてではないので慣れた空気ではあったが、この有名な湖の温泉街での品評会は初めてだった。
見渡していると湖が綺麗に見える窓辺のあたりに、浦和水産の
「うちの社はあそこだよ。千歳さんと伊万里君が好きな海鮮丼をイチオシにして、今年は朋重が差し入れたという『おにぎり』も、おすすめ食品として出してみたんだ。鮭に筋子に昆布佃煮、どれも我が社自慢の商品だからね。いいヒントをもらえたよ。あと、朋重がよく作っているスモークサーモンのマリネ、千歳さんが絶賛してくれた『おつまみテリーヌ』も置いているんだ」
義兄の案内だけで、千歳はもう『おいしそ~』と脳内では福神様と一緒にわくわく小躍り状態。食べたい気持ちはいつも通りだった。
伊万里も浦和水産のブースを見つけて大喜び。
「えっと、秀重義兄さん。海鮮丼、一杯だけ食べてもいいですかっ」
「あはは。いいよ。試食用のミニ丼になるけど、五杯までなら。伊万里君が来るからと、その分の食材は持ってきているから。あ、でも、伊万里君、今日のメインは――」
「わかってます。じゃあ、一杯だけ! 行ってきます!」
誰よりも先に伊万里が浦和水産のブースにすっ飛んでいった。そばで優しく寄り添ってくれていた桜子義姉と一緒に千歳は笑う。
「一杯で我慢できるのかしら。伊万里君たら」
「五杯食べても、おそらくお肉もめちゃくちゃ食べますよ。大丈夫。でも一杯で我慢したというのが、伊万里の今日の本気ですね」
「あら。頼もしい。上限なし食事会の時、すごかったものね~。あれ、また見たいわ~」
あんな大食いをする姉弟を、こんなふうに受け入れてくれる親族で良かったと、結婚した後も常々千歳は思っている。
秀重義兄も朋重も、兄弟で並んで伊万里を微笑ましく見送って、自社のブースへと笑いながら向かっていく。
「伊万里君、うちの社員と調理人とも顔見知りになっているんだな」
「婿になった俺も荻野本社には提携の案件で自由に出入りしているけれど、伊万里君も浦和の本社も工場も、ここ最近けっこう出入りしているからなあ。なんか工場のママさんたちが、伊万里君が来るとすごい喜ぶんだよ。俺が『お願い』と言うより伊万里君のほうが威力ある」
「すぐに人に好かれるところ、伊万里君らしいなあ。両社ともに提携も安泰で、社長の俺も安心だよ」
今日まで気構えていた義兄の表情が緩んで和やかな面持ちになっていたので、千歳も密かにホッとする。
それにしても。栗毛のご兄弟が並んで歩いていると煌びやかだなあと千歳は改めて思う。その証拠に会場にいる人々が『どこの方』という目線をちらちらと向けている。
いつもは兄の浦和社長だけが参加していたのだろうが、今日はおなじ栗毛の弟、副社長も一緒なので目立つようだった。
浦和水産ブースでは、伊万里がすでに小ぶりの海鮮丼を食べ始めていた。調理師は『上限なし食事会』の時に担当してくれていた男性だったのですでに顔見知り。彼も伊万里が一目散に飛んできて嬉しそうに笑っている。ブース担当の社員さんも、社長の秀重義兄と副社長の朋重がそろって来たので、ほっとした表情に崩れた。
滅多に会さない他業者に囲まれて緊張していたことも窺えた。
秀重義兄もブースを整えて準備をしてくれた社員を労る。
「昨日から会場入り、準備ご苦労様だったね。ディスプレイのかんじいいね。おにぎりが美味しそうだ」
「バイキングやブッフェスタイルの食事で並べてもらえるように推薦する予定です。ルームサービスもいいなと思っているんです」
「うんうん。ルームサービスでもいいね」
落ち着いた紳士姿の秀重義兄が、ブースをひと眺めして微笑みながら頷いた。それだけで、社員もほっとした顔になり、彼も笑顔になる。
こうして見ると、やはり大人の義兄は頼もしい社長さんだなと千歳も安堵する。朋重実家の事業は、このお義兄様がいれば安泰だと感じられる。
社員の表情からも慕われていることも伝わってくる。
だがその頼もしい社長さんの表情が若干曇る。
「……ところで、どうだったかな」
「はあ……。まあ、離れてはいるんですけれど、ブースセッティングの準備中に覗きにやってきて、やいやいは言われましたね」
秀重義兄の小声の問いに、社員男性もため息をついてげんなりした表情に変わった。
秀重義兄の視線がそっと、浦和水産ブースとは対角線上にある遠いブースへと目線が向く。
今日の会場は入り口の壁面以外は、三面レイクビューのガラス面が囲うホールだった。あちら精肉業者さんも、対角線上ではあるが、バルコニーがすぐそこにあって窓が開けられる良い場所にブースセッティングをしている。
すでに大きな鉄板を設置して、焼いている肉から煙が立ちのぼり、すぐそばにある窓から外へと、風に流されている。煙をうまく外にだして、バルコニーにはオープンカフェ風の食事用テーブルも設置されていた。
「毎年のことなので、ホテルのバイヤーさん側も気を遣ってくれたようで、ブースの位置は離してくれたんですよ。それでも、準備中に『地味ですね~。おにぎり? 地味ですね~』と言ってきたんです」
社員さんも口惜しかったのか、険しい表情に歪んでいる。よほど悔しかったのだろうと千歳も感じ取った。
秀重義兄も『はあ』と盛大なため息を落とした。
「すまない。社長の私が君と会場入りしていれば、私が受けたのに」
「いいえ。自分も毎年、社長のそばで聞いてきたことですから」
頭を下げる社長に恐縮している社員さんを見て、桜子義姉も沈痛の面持ちだった。義姉も聞きたくない言葉をいままで聞いてきたのだろう。
「へえ~。普通さ。まったく気にならない相手ならちょっかい出さないよ。つ・ま・りは、浦和さんのこと羨ましいんでしょう。自分より劣っているところ確認しないと心穏やかじゃないんでしょ。それだけじゃん」
小さな海鮮丼など秒で放り込んでしまう伊万里が、ほっぺたを膨らませたまま怒り顔で言い放った。
はっきり言い放つ性分の弟に、浦和水産の一同はあっけにとられていたが、やがてほっと綻んだ笑みを見せた。
「ありがとう。伊万里君。そうだ。また上限なし、今度は海鮮鉄板焼きを今回の報酬でどうかな。お姉さんのつわりが収まってきたらだけれど」
「え!? マジっすか!! うわ、社長直々ってことっすよね。すげえ、秀重兄さん!!」
『海鮮焼きとは!? 貝とか海の幸を焼くってことだわよね!!』
ナイフとフォークをずっと持って待ち構えている福神様がまた、千歳の脳内で踊り始めた。
『あなたたち姉弟と一緒にいるとまあよく舞い込んでくること、舞い込んでくること!!』
福神様と呼んでいるが、実は食いしん坊の神様なのではと千歳は苦笑いしかうかばない。
しかも呼び込んでいるのは絶対に福神様だと思う。食べたい願いをご自分でなんなく引き寄せているに違いない。
『上限なし食事会』の報酬を得た伊万里に、いよいよスイッチが入った。
「よっしゃあ。そろそろ行くか。肉、行くぞ。見てろよ~」
弟・伊万里、戦闘態勢に入る。
戦力外の姉も、夫の朋重と頷き合い、後方支援で伊万里のあとをついて、向こう側の精肉業者ブースへと向かう。
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