5.浦和水産の困り事

 つわりが本格的に感じられるようになってしばらく。

 今度は義兄夫妻がお祝いに植物園近くのマンションまで会いに来てくれた。

 朋重の兄『秀重』と、兄嫁になる『桜子』。弟夫妻のおめでたに、こちらも『子どもたちに、いとこができる』と喜んでくれる。


 義兄夫妻には子どもがふたりいる。中学生の長男と、十歳ぐらいの女の子の兄妹。桜子義姉が設計士で忙しくしている代わりに、敷地内同居をしている朋重の母親が孫の面倒を見てきたとのこと。

 千歳にとっては、義理の甥っ子、姪っ子たちになる。そのお子様たちもたまに、義兄夫妻と一緒に遊びに来てくれる。だが今日は義兄夫妻だけの訪問だった。


 また植物園の緑が見えるリビングで、義兄夫妻と向き合って談話する。


「おめでとう、千歳さん、朋重。これでまた新しい家族が増えるな。楽しみだよ」

「ありがとう、兄さん。先輩パパとして、いろいろ教えてくれよな」

「つわりがだんだんきついころでしょう。お仕事も続けているみたいだけれど、大丈夫かしら。千歳さん……」

「お義兄さん、お義姉さん、ありがとうございます。融通が利く部署にいますので、大丈夫です。いちおう室長という肩書きもありますし、弟の伊万里もおなじ部署ですから」


 千歳も義姉の桜子に『初めての出産、子どもなので、先輩ママとしていろいろ教えてください』と伝えると、二児の母である桜子義姉も、快い笑顔を見せてくれる。キャリアウーマンで、尚且つ長男嫁をそつなく務め、義両親との関係も良好である桜子義姉。なにごともバランス良く理想の女性のように生きている彼女を、千歳は尊敬している。


 おふたりが初めての妊娠・出産の時はどうだったのかという話題で盛り上がる。長男がもう中学生であるため『懐かしいな』、『懐かしいわね』という落ち着いた笑みにも、千歳は頼もしさを感じていた。


 朋重と少しだけ歳が離れている義兄。大人の彼と大人の義姉は、千歳にとっても立派な先輩なのだ。


 そんな義兄夫妻が、ひとしきりお喋りを終えると、二人揃って息を揃えたように顔を見合わせた。千歳には神妙な面持ちに急変したように見え、なにかあったのかと感じたほどだった。


 少し躊躇ったように見せていた義兄の秀重が、千歳を見つめた。


「その……。千歳さん、いまつわりで辛いとは思うのだけれど、食欲もいつもより落ちているはずだよね」

「ええ、はい。伊万里の畑で収穫したトマトがいまは一番おいしいです。なので、弟が毎日、収穫したものを会社まで持ってきてくれています」

「そっか……。さすがの千歳さんも、つわり中は無理かな」


 朋重も兄がなにを言いたいのかと、眉をひそめる。


「なに。兄ちゃん。なんかあったのかよ」


 また秀重義兄と桜子義姉が顔を見合わせた。


「どうかされましたか。義兄さん、義姉さん」


 千歳も何かあると感じて、再度尋ねてみる。

 お二人がため息を同時について、観念したようにして事情を話し出した。


「実は、千歳さんと伊万里君にお願いしたいことがあったんだよね」

「でも、あなた。伊万里君だけでもなんとか、ねえ……」

「どのようなことでしょうか。つわりは始まりましたけれど、お力になれることなら、遠慮なさらず教えてください」


 千歳のその言葉で吹っ切れたのか、秀重義兄がやっと詳細を口にした。


「毎年、温泉街のホテルや旅館に出入りする食品業者の試食会というものがあるだろう。しかし試食と称して、品評会のようなもの。食材の質のチェック、コストチェック、製品アピールのチャンスといったもので、社運もかかっているし、または契約を継続更新させるための大事な催しなんだ」


 それは荻野製菓も参加することがあるので、千歳もよく知っているものだった。


 ただ売り込みたい『温泉街』や『観光地』は、その会社それぞれとなる。特に浦和水産は、魚介の宝庫と言われる北海道の海の幸を扱っているため、荻野製菓よりも売り込み範囲が広域。全道の宿泊施設が全て対象になるほどだ。今回も、湖にある温泉街一帯のホテル旅館合同の試食会があるとのこと。


「契約はいいんだよ。浦和の石狩水産物はどこにも負けないと自負しているし、契約更新もほぼほぼ決定しているようなものだから。ただ、そこで、毎年ね、こちらを敵視してくる企業さんがいてね」

「道内でも有数である水産会社の浦和さんを敵視、ですか。首位も同然の浦和さんですから、どうしても抜きたいと思われる水産会社があっても不思議ではありませんけど……。そのような企業からライバル視されているということですか」

「いや、水産ではないんだよ。精肉業者さん」

「畜産企業ということですか。ホテル・旅館の食事では、魚介とお肉はそれぞれ大事なメイン食材ですよね。どちらも持ち味が異なりますし、なぜ、畜産企業の方にライバル視されるのですか」


 フレンチコースでも、魚と肉は外せない食材であるし、宿泊施設の食事でも魚と肉はバランス良く出されるものだ。だからこそ争う必要もないように千歳には思えたのだが。


「仕入れで争うわけではなくて。その品評会での『印象づけ』なんだよ。いわば、魚介と肉、どちらが格上か、どうしても決めたがる社長がいてね。しかも出品する『肉の量』がすごくて、なんというか試食会なのに、勝手に派手なBBQスタイルに固めてきて大盤振る舞い。アピール方法が強引なんだ。それで魚介をたくさん食べられないよう、無理に肉を勧めてくる。断ると、『これぐらい食べきれないなんて、当社の食品をきちんと精査できるお力が、水産会社さんには欠けているのではないですか~』と、毎年毎年言われてね。こちらも食べ盛りの若い社員を連れて行き、品評会で出されるあちらの肉を試食して、それなりの感想を伝えるんです」


 千歳も『あ、なんかその会社、感じワル』と不穏な空気を感じてきた。だが千歳はおなじように食品を扱う企業の一員として、その社長が変にマウントを取ったところで、そんなこと無駄な行為ではないかと思い、義兄に尋ねてみる。


「ですが、食材の質とコストを精査するのは、ホテルや旅館の食材バイヤーですよね。出品する業者側はただ試食するだけ、秀重お義兄さんに勝ち誇っても、アピールすべき対象者は、食材バイヤーですよね?」

「出品した業者側もひととおり試食をするからね。勉強の場でもあって、交流の場でもあるから、それなりの感想を伝える力も要するんだよね。千歳さんなら、荻野のお祖母様に、お父様に連れられて経験があるとは思うんだけれど」

「確かに。精査する立場ではありませんが、交流という名目で、出入り業者同士、お互いの商品についての感想を伝えるのは、挨拶代わりとなっていますものね」


「その、ご挨拶が足りないって意味、まあ、『全部食えないとは失礼な』という嫌味かな。北海道に来る観光客は、魚介を楽しみにされている方が多く、北海道牛は二の次というか。おいしい高級ブランド肉は、北海道でなくても食べられるわけだから、水産物を目の敵にされているようなんだよね」


 なるほど――と千歳も唸った。

 ということは。つまり、その怒濤のように出される『試食肉』をすべて平らげて正確な感想を言える者を連れていきたいということらしい。


「君たち姉弟、食べる力もさることながら、舌も肥えているだろう。もしかして、あちらを今年は黙らせてくれるかなと期待してしまったんだ」

「私も妻としてご挨拶で毎年参加しているの。だから、あちらの社長さんの、その、嫌みったらしい言い方がもう~我慢できなくて。毎年、引きつり笑いで耐えるのだけれど、そろそろ限界なのよ。でも! 私たちには心強い親族が出来たじゃない! 上限なしの海鮮丼をあんなに平らげた荻野姉弟が! と……閃いたのよ。でも、」


 桜子義姉が口ごもった。

 千歳の妊娠が判明し、つわりの最中。食欲が減っているところで、フルパワーではない。戦力にならなくなってしまった――と気がついて、がっかりしているらしい。


 だが千歳はにんまりと、微笑み返す。


「あら、お義兄様、お義姉様。私もいきますわよ。もちろん伊万里を連れていきましょう」


 お二人が『え』と、目を見開いた。


「もしかして千歳さん、つわりでも大丈夫だとか……?」

「いえ、まったくです。この前も朋重さんが差し入れてくれた『おにぎり』二十個、五個までが限界でした……」

「おにぎり、五個……。俺なら三個で限界かな」

「私、頑張って二個、かしらね」

「私もいまは二個が限界です」


 つわりが始まっても、握り飯五個もいけるのはさすが『食べる魔女』と言いたそうな義兄夫妻だが、いまは桜子義姉同様、普通の女性並みしか食べられないと知って、おふたりががっかりしている。


「ですけれど。伊万里ひとりでも、いけると思います。ブランド牛食べ放題と聞いたら、ほいほいついてきますわよ、きっと。連絡しておきますね」


『まあ確かに。弟君もあの食べっぷり。いけるかな?』と、秀重義兄も心が落ち着いてきたようだった。

 それを眺めていた朋重が、千歳にそっと耳打ちをして来た。


「食い気は伊万里君に任せるけれど、千歳は神様をつれて行くってことだろう。おもしろそう。それにうちの会社を助けてくれるってことだろ」


 そう囁いた朋重も、兄に『妊婦の妻には夫の付き添いも必要』とついて行くと言いだし、副社長の彼も参加することになった。


 千歳の頭の中でひさしぶりに『肉、肉肉、肉ですなっ』と福神様が飛び跳ねている。

 いえ、私自身、そんなに食べられないんですけれど? 福神様、我慢できるのかしらと、こちらが心配になってきた。

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