4.神様の宴
荻野家は長子相続、女児が多い。
だったら、男児が生まれたら妙な視線を向けられるのか。
五代ぶりに長子男児として生まれた父は、出産した祖母は、親族にどうみられたのか案じる千歳。
そんな千歳を見て、父と母が顔を見合わせ、神妙な
改めて娘を見据えた父の目つきが冷徹に変化した。千歳は我に返り、背筋が冷える。
「千歳。らしくないな。やはり女性は妊娠をすると、精神が不安定になるものなのかな」
母も同様に、案じるというよりも、とても静かな眼差しで娘を見つめ、夫の言葉に頷いている。
「どうして男と女で分ける? 何故、当家は男女関係なく長子相続にしている? どちらが生まれても長子が継ぐ。元より、男女平等だ。いつからかわからないが、長子にはおおむね『神』がついてきた。それが富をもたらし、世間に貢献する源となってきた。たまたま女児が続いただけで、男児が生まれたからと疎まれたこともないし、母も私を長子として育ててきたよ。そして私と凛香も、長子に生まれついた千歳が女児だからと特別に思って気構えたことはない。千草母が私を育てたように、私もただ神がついた長子として、千歳を育ててきたつもりだよ」
千歳は目が覚める思いだった。
父が言うとおりだった。どうして、当家は女児でなければいけないなんて思い込んでしまっていたのか……。
「……そうだった。そうでした。女児が多い、女性が支えてきたと思い込んでしまって……」
自分こそが『男児・女児』と拘っていたこと、恐れていたことを自覚して、千歳は恥じて落ち込んだ。
いつも毅然としている千歳が自己嫌悪に陥ってることを知った朋重が、そっと寄り添ってくれる。
「大丈夫だよ、千歳なら。俺も、どちらが生まれても長子は長子で、次子は伊万里君みたいに育てたいと思っているよ。千歳も伊万里君も、跡継ぎとか関係なしに、それぞれの立場を弁えつつ、仲がいいだろう。そんなふうに育てたい。お義父さんとお義母さんが、荻野を支える姉弟として、役割を理解させつつ分け隔てなく育てたことがわかるよ」
こちらも理解ある夫、婿殿で、千歳もほっとして彼の胸によりかかってしまった。
しっかり者の長女である娘が、婿殿に甘える姿を知って、両親がちょっと驚きの顔をした。でもすぐに微笑ましいとばかりに顔をほころばせる。
「うん。大丈夫そうだな。朋重君がそばにいることだしな」
「そうね。どちらが生まれても、長子も次子も女児男児も関係なく、なんなら、神様がつくつかないも関係ないのよ」
千歳の中にもうひとつ残っていた不安『ほんとうに神様がつくの?』という心情を、母は見逃さずにきちんと汲み取ってくれていた。それにも千歳は安堵する。
「そうだな。神がつかなくても、私たちの使命は変わらない。誠実に製品を作り届けていくだけだよ。神がつかないなら、どこかで驕る気持ちがあることを、一族で考えていかねばならない転機だと思うことにしようじゃないか」
父もそう言ってくれた。神もつかない子を産んだら……。千歳が責められ、その子も疎まれるのか。その不安も解消していく。
父が言うように、そうなったらそれはそれで『一族の問題』。千歳だけではなく、親族一同で考えていくことなのだとわかった。
せっかく来てくれた両親にと、朋重がまた浦和水産の料理人が作ってくれた『懐石弁当』でもてなしてくれる。
両親との和やかなひとときを過ごし、父と母は嬉しそうにして帰った。
片付けも朋重が率先してやってくれる。
千歳も隣で手伝いながら、栗毛の麗しい夫を見つめた。
それに気がついた朋重が、訝しそうに首を傾げている。
「ありがとう、朋君。私、変に不安になっていただけだったね」
「わからなくもないよ。あの荻野の跡取り娘、いつもそのプレッシャーを感じて育ってきたのだから。今度は跡取りを育てていく責務が加わるのだから、また気構えが必要と思うのだろう、千歳は。責任感が強い長子で長女だとわかっているつもり。だからこそ、俺がいること忘れないで。俺も荻野の父親として、千歳とおなじように背負っていくことを。俺はそのつもりで婿に来たんだよ。一緒に背負える男だと思って、婿に選んでくれたんだろう?」
うんと頷き、千歳はまた彼の腰にだきついて、彼の肌に頬ずりをした。
甘えられる婿様で良かったと、今日も感じている。
千歳が抱きつくと、朋重もすぐにその胸の中に優しく包んでくれる。
いままで、祖母から父から厳しく育てられてきた千歳には、こんなに甘えられる人は初めてなのだ。
だが朋重がふっと不思議そうに呟いた。
「でも。千歳のお母さんって、なんか不思議な人だよな。本物の美魔女だし、いつまでも四十代みたいなお姿でさ。遥万お義父さんとの出会いも、如何にも荻野的エピソード。夢で見た聖女とそっくりの女性に出会うなんて不思議だよ。むしろ、お母さんのほうに神秘的なものを感じるなあ」
そんな夫の言葉に、千歳も初めて口にしてみる。
「そう、なのよね……。母って、天然さんぽいんだけれど、時々、怖いこと言うの。なんか、当てるっていうの? なに変なこと口走っているのと、その時は思うんだけれど、あとで思い返すと当たっているというのかな」
「と、言うことは。男児が生まれたら、そんな女性を引き寄せる力を持って生まれるってことなんじゃないか! だとしたらさ、男児が長子で産まれても安心じゃないか」
え、そう、かな?
朋重が気がついたことに、千歳はすぐには飲み込めなかったが、娘として『不思議ちゃんみたいな母』を感じ取ってきた身としては、否定も出来ず。しかしそう思えば、女児も男児も、どちらが産まれても大丈夫と思えるようになっていた。
その日の夜、千歳はまた神様の夢を見た。
いつもの石狩の海で、神様たちが宴会をしていた。
福神様と、黒髪女神の石狩保食神様。
平安時代を思わせる和装装束を着込んだ男性は縁神様?
今回、初めて目にする神もいた。
白いベールを金髪になびかせている白ドレスの女神。
和装の男性の目つきは鋭く冷徹な表情をしていて、千歳はぞっとした。
でも、金髪の女性が千歳に気がついて、目が合った。
微笑みかけてくれたそのお顔は、まさに母そのもの。
思わず『お母さん、そこでなにをしているの』と言いそうになったが、いつものごとく声は出ない。
しかも近寄れない。なのに金髪の女神様は、千歳にいつまでも優しい笑みで見つめてくれていた。
その日の福神様は、宴会に夢中で千歳には気がつかず。そのまま夢から目が覚める。また不思議な感覚だった。
しばらくして、母だけが千歳に会いに来てくれた。
妊娠初期の娘を気遣い、作り置きになるお惣菜をいくつも作って持ってきてくれたのだ。
千歳が食べたいとぼやいていた『おはぎ』も、本店まで出向いて見繕ってきたとのこと。
ほわっとしている母だが、やはり母は母。しっかり者の長女として、ふだんは放任しているふうな顔をしていても、いざというときはそっと手を貸してくれる。娘としての気持ちが溢れて、千歳の目から涙が滲みそうになった。
「あら、珍しいわね。あなたがそんな顔をするなんて。やっぱり、妊娠して気持ちが不安定になっちゃってるのかしらね。そうよね。初めての出産に子育て、しかも、荻野の跡継ぎを育てるとなったらプレッシャーかかるわよね」
「それはもうわかって育ってきたつもり。お父さんとお母さんもいるし、伊万里も、朋重さんもいるから大丈夫って、この前で思えたから。でも、大人になったつもりだったのに、やっぱりお母さんが助けてくれるのが嬉しくて――」
そんな娘に、母は夢で見た女神様そっくりな優美な笑みを浮かべて見せると、今日は久しぶりに千歳の黒髪を撫でてくれた。
「お母さんね。お願いしておいたから、大丈夫よ」
「お願いをした? 誰に」
「内緒。それに、心配しなくても、荻野は荻野で決まっているの」
ほら。また母がわけのわからないことを言いだした。
「もうね、お腹にいる時から、お母さんはわかっていたのよ。千歳には神様がきちんとつくって。だってお腹にいるときから、あなたは賢くて、しっかり者だったの」
ほらほらほら! また訳のわからないことを言いだしたと、千歳の目に滲んでいた涙が引いていく。きょとんと母を見つめるだけになっていた。
それでも母はなんのその。いつもの朗らかな微笑みで、何の気なしに続けていく。
「胎動が始まってすぐにね。あなたがお腹から聞いたの。『ママって呼んだらいいの?』って。女の子の声で。私とお父さんが、お腹に向かって『パパだよ、ママだよ』と話しかけていたこと、あなたはちゃーんとわかっていたの。生まれたら女の子だったし、あなたはほんとうに育てやすい賢い優等生で、自慢の娘になったわ。もちろん、『人間らしく』、反抗期もあったけれど、立派な跡継ぎ娘になって、素敵なお婿さんもつれてきた。あなたもおなじように、子どもを産んで育てられるわよ」
だから心配しないの、私たちと神様がついているじゃないと、ずっとにこにこして優雅に緑茶を飲んでいる。
摩訶不思議なことを言い出す母だと思ってきたが、夢を見た後だったので『変なことまた言ってる』だけで、流せなくなる。
「お、お母さん。海で宴会する夢とかみたことある?」
「まあ!! やっぱり、あなたって不思議な子ね!」
間髪入れずに声を上げた母に気圧され、千歳はまた唖然とさせられる。
さらに母が捲し立ててきた。
「そうなの。この前、不思議な夢を見たの。海の上で宴会をしていたの。私ったら、ウェディングドレスみたいに、白いドレス着ていたのよ。お父さんがいないところで、白いドレスを着て、誰かとお酒を飲んでいたなんて言えなくて! でもでも、どんな飲み友だちと一緒だったかは覚えていないの。夢でぼんやりしていて覚えてないの……。でも海の上。ほらね! あなたって不思議な子。子どものころから、そんなことよく言い当てていたもの。だから大丈夫。荻野らしい子を育てるわよ、あなたなら!!」
言葉を挟む間もなく、千歳は目が点になっている。
母が不思議なのか、自分が不思議なのか千歳はわからなくなってきた。
でも、母がそばにいれば安心とも思えた時でもあった。
摩訶不思議な母に、あの聖女がついているような気もしてきたからだ。
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