6.福神様アグレッシブ
『荻野家の加護にあやかりたい』。浦和家が見合いを申し込んできたのはそのためだとわかってしまう。
荻野の家は長子相続で、次に結婚相手を望むのは跡継ぎの千歳。婿養子という条件が必須だった。
だから、次男の彼を差し出してきたとでも言いたそうだった。
オロロンラインの漁村ドライブから帰宅した夜。実家で眠っていた千歳は夢を見る。
綺麗な女性の神様と、いつもの福神様が、あの祠が見える海上で顔をつきあわせ話合っている。
夜の暗い海なのに、ふたりが浮かんでいるところだけが、ぽうっと黄金色に光っていた。
『
満面の笑みの福神様の声が聞こえ、そばにはにっこり微笑む黒髪の綺麗な女性。
『こちらからの御礼の相談してますの。心配せんでいいよ。またタコ天食べさせてくれるって。あ、荻野のお菓子のお供えもお喜びだわよ~』
ケラケラと笑う福神様と、ひっそりくすくすと上品に笑う女神様。
そのうちに女神様は海上からすうっと空に飛び、あの崖の上の祠に戻っていった。
目が覚めて、千歳は『福神様、タコ天が気に入ったんだな』と漠然と思っただけだった。
『正式にお付き合いを』――という申し込みを受け入れたのは、この夢を見た後だった。タコ天を気に入った福神さまのほくほくした笑顔を見ていたら『なんか、荻野の加護を利用されるかもと考えるの馬鹿らしい』と思えてしまったのだ。
伊万里がいうとおりだ。千歳がジタバタしても神様がダメなものはダメと拒否をしてくれるはずだ。逃げられ女の千歳から、朋重が逃げるか逃げないかだけのこと。受け入れるだけ受け入れて、どこで神様が駄目と拒否するのか、拒否もなく結婚まで辿り着いて荻野家に婿入りとなるか、とことんやってみればいいのだ。と、至る。
さっそく連絡用にID交換をしたメッセージアプリに千歳は自分から返答をする。
【正式なおつきあい、お願いいたします。よろしければお時間があう休日に、私の自宅で夕食を――】
すぐに返事が来た。
【是非、お願いいたします!】
返答をしたことを喜んでもらえたのか。大通公園そばにある荻野製菓本社ビルから退勤するところに、朋重が待ち構えてくれていた。
「朋重さん」
「申し込んだ翌日の朝、さっそくのお返事が嬉しかったので、待ちきれなくなってしまいました」
ひとまず週末の金曜日に会おうと約束していたのに。この日は週中の水曜日だった。
彼も仕事帰りなのか、今日はスタイリッシュなライトグレーのスーツ姿。札幌の中心街、人通りが多い中でも、栗毛の彼はスマートなビジネスマンに見え目立っていた。
「よろしかったらワインバーでも行きませんか」
「いいですね。お願いいたします」
まずはこうして会うことを重ねていくことかな。
怖じ気づかず、千歳は朋重についていく。
街中なので、大人の男女がしっとりと夜の時間に溶け込める店はいくらでもある。
大通公園とテレビ塔が見えるワインバーのカウンターにふたりで落ち着いた。
「今日はオフィススタイルの千歳さんですね。いいなあ、俺、そういうの大好きです」
首元からドレープが入っている白ブラウスに、黒のタイトスカート。お祖母様が誕生日にと贈ってくれたブルーパールのネックレスがこの日のコーデだった。
「朋重さんも、普段、お仕事されている時のスーツ姿、素敵ですね」
「いや、千歳さんに会いに行くから、ちょっとだけおでかけスーツにしただけですよ」
「お車ではないですよね。ワインバーに来たということは。帰りはどうされるのですか」
「地下鉄かタクシーですね。千歳さんは、JRの近くだから地下鉄ですよね」
「はい。
彼オススメの赤ワインと、鴨のコンフィ、オリーブのマリネと美味しそうなものが出てきた。
また目をキラキラさせていたのかもしれない?
「今日はどれぐらい食べられます? ここだとあの漁師メシ級のボリュームがないので、足りなければまた次の店に」
「大丈夫です。こうして、ゆっくり味わって時間を過ごすのも好きです。あれはリミッターが外れた時といいますか。本物の漁師メシ初体験で外れちゃったんです」
「そんなに気に入ってくれたんですか。川端のおっちゃんに、おばちゃんに、ばあちゃんも、また来い来いってメッセージが何度も来ましてね。あそこで川端さんに好かれたら、もう怖いものナシですよ」
あはは。福神様がタコ天を気に入ったのが大きいんだけれどねと、千歳は心の中で密かに呟き苦笑いをこぼす。
「なんか。千歳さんが、おつきあいを受け入れてくれて、落ち着かないというか……。ご自宅のマンションに誘ってくださって、夕食を作ってくれるということなのかなと……」
「はい。いま、私、ラーメンを作ることに凝っているんですよ」
「ら、らーめん……。麺をゆでて、具を乗せて、ですか」
「そうですね。麺はさすがに製麺所のものを使うのですけれど、スープやチャーシューを自作でやるんです」
「え、え、スープを? 千歳さんが? 寸胴鍋でってことですか」
「そうです。仕込みに時間がかかるので、どうしても週末、いえ金曜日の夜からの仕込みになるんです。手間をかけた分だけ、誰かに食べてもらいたくなるんですよね。あ、このワイン、ほんとうにおいしい……」
また福神様が喜びそうだなと千歳はワイングラスをくるっと回してみる。
また唖然としている朋重が、千歳を不思議そうに見ていた。それに気がつき、千歳も思い直す。
「すみません。ラーメンはいま凝っているだけなので、朋重さんのお好きなメニューがあれば教えてください。たとえば自作ハッシュドビーフとか、サバの味噌煮とか」
「自作ハッシュドビーフも気になりますけど、ラーメンも食べてみたいです」
「では。金曜日から仕込みまして、日曜日の夜に来てください」
「土曜日じゃないんですね」
せっかくの週末なのに、休みの最後の最後、日曜の夜なのかという意味に捉える。
「じゃ、土曜日にハッシュドビーフ食べますか? 市販ルーを使わずに、赤ワインで作るんですよ」
「う、うまそう……。土曜も日曜もいいんですか」
「かまいませんよ」
けろっと受け入れる千歳を、また朋重が不思議そうに見ている。
「あの、今更なんですけれど。家同士が決めているからって投げやりになったりしていないですよね」
「ないですよ。朋重さんのこと自然に受け入れていますけれど。なにか」
「いえ……」
この感覚。たぶんわからないだろうな。
見合いしたばかりの時は、千歳のほうが、積極的なクォーターの彼に戸惑いがあって、なかなか踏み込めなくて警戒していたのに。あの夢を見てからふっと肩の荷が下りてしまったのだ。もう神様がどうにでもしてくれると。
それに、彼は美しい男だし、仕事もわかってくれるし、レディファーストはお祖母様から躾けられたのかきちんとできている。話もできるし、大食いの千歳を見ても怖じ気づかなかった。婿殿候補としては申し分ない。かえって完璧すぎて申し訳なくなるほどだ。
彼のほうから千歳に踏み込んで踏み込んで警戒を解こうとしていたはずなのに。千歳があっさりと受け入れたら、今度は彼が戸惑っている。心の変化が普通の女心ではなく、跡継ぎ娘の『家の加護がなんとかしてくれる』感覚なのでついていけないのだろう。
釈然としない様子でワインを呷っている彼のスマートフォンが鳴っている。
彼が表示を見て『失礼』と、店の奥の通路へと移動していった。
『どうしたの、おっちゃん。え、ん? え、週明けからタコが大漁で変? お嫁さんの赤ちゃんの逆子がなかなか治らなかったのに治った?』
かすかにそう聞こえて、千歳はワインを吹き出しそうになった。
『御礼、考えておくー』。福神様の御礼、ご自分も得する御礼じゃないかそれと思ってしまったのだ。
彼が困惑した様子で、ジャケットの内ポケットにスマートフォンを仕舞いながら戻って来た。
「川端のおっちゃんだったんだけど。週明けから、なんか次々といろいろなことが起きて騒々しいっていうんですよ。タコが大漁とか。別にいいことですよね。あと、お嫁さんのお腹の赤ちゃんがずっと逆子で、帝王切開の予定になって覚悟していたら急に治ったとか。祖母ちゃんの関節痛がなくなったとかいろいろ」
「そうなんですか。でも、よろしいことばかりですね。お嫁さんの赤ちゃん、逆子治ってよかったですね」
「初孫なものだから、困った困ったと神経質になっていたんですよ。でもなんでタコ……。祖母ちゃんも長くずっと関節痛に困っていたのに」
あれか。
だからって、タコ気に入りすぎな御礼にもまた吹き出しそうになって困る。大漁って、大漁って……。笑いを堪えるのに必死だった。
だが、カウンターに頬杖をついている朋重が、また千歳を怪訝そうに見つめている。
「川端のおっちゃんには相談していたんですよ。荻野が不思議な一族と言われていて、お見合いをすることになったけれど、不思議なこととはどのようなことがあるのかってね。正直に話しますね。父がお嬢さんを大事に扱って気に入られて、仕留めてこいと力んでいるんですけど。父が欲しいと考えている加護とは、こういうことなのかなと初めて思いました。川端のおっちゃんも『これってあれか、荻野のお嬢ちゃんが来たからか』とか本気で信じ始めている。祠に手を合わせてくれた時、俺も感じました。あなたがすごく神々しく見えたというと大袈裟だけれど、なんとなくキラキラした陽射しを特別に受けている雰囲気を。信心深いなと思い過ごそうとしていたのですけど……、そうじゃないような気がして」
ここまで言われて千歳はどっきり。まだ会って三回目。『長子つき神様』のことを言うのは早いなと感じている。
でも神様がアグレッシブすぎて、千歳の心積もりをすべて蹴散らして高笑いしているような気がしてならなかった。
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