5.食べる魔女
短い漁船クルージングを終えて帰港。そのまま川端氏のご自宅へと案内されお邪魔することに。
奥様とお祖母様と、息子さん、そしてお嫁さんが待ち構えてくれていた。
「いらっしゃい。朋君。荻野のお嬢様もいらっしゃいませ」
親子三代、港ちかくの大きな二世帯住宅に住んでいた。息子さんは漁師ではなく漁協の職員とのこと。若いお嫁さんはお腹が大きかった。
和室の客間に通される。大きな木製テーブルには刺身のお造りが置かれていた。
はしたないかもしれないが。千歳はわくわく……。思わず目が輝いたが、それを読み取られないよう楚々とした表情を必死で整えた。
朋重と並んで座り、テーブルの向かいに川端氏が座った。
「まあ、お嬢さんもくつろいでよ。朋はいっつもくつろいでいるから。いま嫁が膳を持ってくるからな」
「いろいろご準備くださったようで、ありがとうございます」
「いいんだよ。朋が見合い相手を連れてくるっていうから、こっちも張り切ってさ。しかも荻野のお嬢様だから、嫁たち緊張してんの」
「いえいえ、普段は普通にOLとして過ごしていますから。実家のことは気にしないでいただきたいです」
「でも。大丈夫かな~。うちの膳ボリュームがあるんだよ。千歳さん、細いもんな」
「え~、そうなんですか。ますます楽しみです」
そこで隣に座っている朋重が焦って入ってくる。
「そこそこで勘弁してあげてくれよ。千歳さんも無理しなくていいからね。食べられない分は俺が食べるので」
「……そんなに量があるのですか?」
「それをウリにして店に出している地域だから。なんなら、少なくしてもらおうか?」
と、朋重が気遣ったその時に、大姑さんと姑さんが両手いっぱい広げるぐらいのお膳を運んできてしまった。
朋重と千歳の前に置かれた大きな漁師メシ膳。
丼飯の上にははみ出すくらいの天ぷらが三枚も乗っている。他には魚の唐揚げと煮付け、酢の物など。どーんと出てきた。
やばい、やばい。千歳はなんとか平静を保つ。
気のせいか? 襖の向こうにいる大姑さんとお姑さんが好奇の目を光らせているような。
『我らが朋くんが幼少から気に入っているここの気風についていけるの? 毎回、これぐらいは食べるわよ。まあ、お嬢様は食べられなくて当たり前。それでもいいけどね』――と、思われている!? まさかこの量はワザと? 考えすぎ?
「あ、でも。美味しいんだよ。千歳さんには是非、これを味わってもらいたくて。でも多いよな。少しこっちに俺が……」
「いえ。大丈夫です」
千歳はにこやかな笑顔を必死で整えて、箸を取る。
箸を親指に挟んだ状態で合掌。目を閉じる。
「この海で獲れた恵みです。いただきます」
隣で朋重が妙にハラハラしている様子が目を瞑っていても伝わってくる。
少し長い合掌――。
『おおおお。こんなん久しぶりだわね』
行け、千歳。
ドーンと身体の奥で落雷を受けたような衝撃。リミッターが外れたのがわかった。
「いただきます」
丼からはみ出している天ぷらは三枚。それをまず頬張るとサクッとした小気味よい歯ごたえの衣、衣を噛んだ香ばしさの奥から、じゅわっとした海の香が広がり、ほっくり柔らかい白身に甘み。タコの天ぷらだった。
「えーーー! おいしい!!! これ、タコの天ぷらなんですね! 衣の加減、最高!! 料亭並です。タコもおいしいーーー! こんなおいしいタコの天ぷら初めてーーー!!」
千歳が感動をそのまま大袈裟に叫ぶと、そこにいる誰もがギョッとした顔を揃えていた。
「えー、朋重さん。こんな美味しいものをしょっちゅういただいているのですか。羨ましい!!」
「え。あ、そ、そうなんですよ。これ、俺のイチオシなんです。美味いでしょ」
「おいしいれふー。あー、おいしいー。えーおいしい。かかっているタレも超絶マッチ。ご飯が進みますねえ」
天ぷらを一枚、二枚、三枚。ご飯をかきこむなんてお行儀悪いから、一生懸命に手を動かしてぱくぱく。
途中で、魚の唐揚げも一枚。
「これ。ヒラメですよね。こちらの煮付けはカスベ。私、カスベの煮付け大好きなんです~。あ、煮付け最高でっす!! わー、いままで食べた中で一番美味しい煮付けかも。カスベも唐揚げにしますよね。あれ、自分で上手に揚げられなくて。美味しく揚げる方法も、煮付けも教わりたいです!!」
おいしい、おいしい。これってこうですよね、こうしているのですか? え、味付けどうしてるんですか? 最高すぎ!!
うるさいだろうな……。千歳はそう思っているのだが、リミッターが外れると食べているものに神経集中、美味しければはしゃぐし、美味しくなければムッとした顔で愛想がなくなるし、でもどちらにしても最後まで綺麗さっぱり食べ尽くす。
しかもこれ。千歳の本心だけではなくて、ついている神様の声でもある。
『美味、美味。海の幸、最高であるな。よーく連れてきてくれた。婿殿候補、あっぱれである』
なんて声が聞こえてくるーー! 扇子を両手で持って踊り狂っている神様も脳内に見えるーー!
リミッター外れると、こうなる。しかも、千歳の食欲は止まることを知らない。
「ご馳走様でした」
お膳には米粒ひとつも残らず、どの皿にも小鉢にも残っているものはない。
一緒に食べ始めたはずの朋重は、まだ三分の一が終わったところで唖然としていた。
そこで千歳の身体からがくんと力が抜ける。一瞬だけ。テーブルに肘をついてうつむく形になったので、朋重が『大丈夫ですか』と慌てて千歳の肩を包んできた。
「千歳さん。無理して食べたのでは――」
ただ単に。食いしん坊の神様がいなくなっただけなんだけどね――と千歳は思いつつ、『ご馳走になったよ。御礼は後ほど。おーほほほ』と遠ざかっていく幻が脳内に映って愕然とする。
正気に戻って、朋重が差し伸べてくれた手を戻してもらう。
「……あの、美味しいあまり我を忘れてしまいました。ほんとうにはしたなかったです。急に恥ずかしくなりまして」
リミッターが外れて『大食いモード』が去った後、千歳はいつも恥ずかしくなって自己嫌悪に陥っていた。
こんな時に来て欲しくなかったよ。私の福神様……。
その場がシンとしていた。襖の向こう、廊下から伺っていたはずの大姑さんもお姑さんも、いつの間にかお部屋に入ってきて正座していて、千歳をしげしげと見つめている。廊下では身重の若奥様がハラハラしている様子で、川端氏はゆっくり酒盛りをしながら刺身を抓んでいただろうに、千歳の爆裂完食に目を丸くしていた。
「お美味しゅうございました。最高のお膳でした」
いまさら楚々としたところで遅いけれど、千歳は三つ指をついて正座で御礼をする。
唖然としている一同で最初に口火を切ったのは大姑さんだった。
「お嬢ちゃん。それで足りた? すごかったねー。そんな美味しそうに食べてくれる子には見えなかったもんだから」
「お、お恥ずかしゅうございます……。たまに、その、我慢がきかなくなります。ですけれど、それは美味しい故なので、お許しください」
「いやいや。料理の出来具合までリポーター並に表現して褒めてくれて。教えてほしいとまで言ってくれて。なあ、亜希子さん」
「ええ、ええ。なんかテレビで紹介されたみたいに嬉しかった……んだけど、綺麗なお嬢さんの勢いに圧倒されちゃって」
徐々に大姑さんとお姑さんの表情が明るく柔らかくなってきたので、千歳はホッとする。
まったく、こんな時にリミッター外してくれた神様め。千歳はいよいよ気恥ずかしくなってきて、誤魔化し笑いをしてしまう。
「食の家に生まれたせいか、食べるの大好きなものでして……」
そこで千歳は、呆然として箸が止まっている朋重を見つめた。
「実は。朋重さんご実家経営の『レストラン浦和』のメニューにある海鮮丼を三杯から五杯は平らげることができるんです。三ヶ月に一度行ったりしています」
そこで呆然としていた朋重がハッと我に返った。
「あ、あ、あ。それ、レストランの店長から聞いたことがある。綺麗でスリムで品の良い女性がたまにやってきて、お一人で三杯から五杯、海鮮丼各種メニューを食べる大食いの女性が来ることがあるって」
「それ、きっと私だと思います」
朋重がそこで何故かしゅんと項垂れる。
「時々……、若い男性も一緒に来て、その男性も一緒だと……お二人で十杯食べていくとかで厨房が戦場になるって……。大食いの、男性が、既にいらっしゃるんですか……」
あ、なるほど。一緒に来ていた男性がいたので、千歳が隠している男性がいるのかと見合い相手として気にしたらしい。
「若い男性というのは、弟ですね。弟も大食いで、姉貴命令をする時に従ってくれることと引き換えに、たくさん奢ることになっています。レストラン浦和さんはよく利用していまして、いつ朋重さんにバレるかとドキドキしていましたけれど、もういいですよね。はい、大食い姉弟です。もう隠せませんね」
また客間がシンとした。今度は川端氏が静かな空気を優しくほぐす。
「ばあちゃん、まだ刺身残っていただろ。あれ、宝石丼にしてやって」
「そうだね。それがいい。亜希子さん、荻野のお嬢さんに、もう一杯つくってやって」
「一杯でいいの? なんなら甘エビ丼も作っちゃうけど」
『食べられる?』と聞かれ千歳も『はい』と答えたら、また朋重が仰天していた。
「こうならないよう気をつけようと思っていたのに。申し訳ありません……。女らしくないですよね」
「いえ……。驚いただけで。厨房が戦場になるというカップル、いえ、ご姉弟が千歳さんと弟さんだったことも驚きで……。でも、こんなに美味しそうに食べてくれて良かったです。俺、見当違いに『食べてあげる』だなんて言っていて……」
「弟と勝負すると、私が勝っちゃうんですよ。レストラン浦和さんではお互いに五杯までと決めています。ほんとうはもっといけます」
『えーーー!』と、朋重と川端氏が揃って声を上げたのだが、客間の入り口にいるお嫁さん三人はもうクスクスと笑っていた。
「もう決めちゃえよ、朋。こんな気っぷの良い嫁さんいいじゃないかよ」
「嫁さんをもらうのではなくて、婿に行くんだけどね」
そのあと、ご機嫌な笑顔の大姑さんと姑さんが『食べて、食べて』と海鮮のお刺身をいろいろ乗せた『宝石丼』と、甘エビを沢山のせた丼まで持ってきてくれた。
それを平らげるとまた拍手喝采。『また絶対に来てね』と川端家の出入りを許されたようだった。
帰りに、荻野のお菓子詰め合わせの箱や、今朝工場から持ってきた出来たての『おはぎ』にシフォンケーキをお土産として大量に置いていったらまた仰天される。千歳自身がこれだけご馳走になっただろうし、漁協の仲間に配ってと大盤振る舞い。だからなのか余計に『気前のええお嫁さんになるんじゃね』と川端氏が朋重に幾度となく推しているのを、千歳は見て見ぬ振りをしておいた。
漁師メシの昼食を終えて、朋重とまた車でドライブへ。
次に彼が連れて行ってくれたのは、オロロンラインの雄大な海が見渡せる海辺のカフェだった。
モダンで雰囲気の良い店内、こだわりある茶器にブレンドコーヒーが味わえる店で、千歳も気に入った。
オロロンラインの崖の上にあるカフェで、昼下がりの陽射しに煌めく青い海を見渡して、朋重としばし会話を楽しんだ。
『さあ、帰ろう』とテーブルで帰り支度をしているときに、彼が千歳に告げる。
「俺、千歳さんとのおつきあい正式に申し込みたいんですけれど。いかがでしょう」
え、私の大食いを見たのに? 千歳は戸惑う。
空と海の青さを含んだような陽射しが、二人のテーブルを明るく照らしている。
自分の秘密をひとつ、彼に見せた。これから結婚をするならば、まだまだ彼に明かしていかねばならないことがいろいろある。向き合うなら、いまここで気になることは聞いておこうと千歳は決する。
「私、『食べる魔女』と弟に言われているんです」
「食べる魔女、ですか」
「うっすら感じていることありませんか。荻野の家のこと……」
いつもどおりに彼は口元には優しい笑みを浮かべているが、細めた目には千歳を伺う冷たさを感じた。
「父から聞いています。不思議な一族だと。でも、あやかりたいとも」
やっぱり。そうか。『不思議な一族、だが、そこの女当主と親族になると安泰。不思議なご加護が得られる』。そんな噂が業界で流れていることを千歳は知っている。そして朋重も知っていた。
荻野の娘と見合いをしたい。そうして申し込まれる見合いの目的は『長子女子と親族になりたい』狙いがあることが大半――。彼の目的も、実家家業安泰のため、荻野に近づいてきたのかもしれない。
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