7.お婿さんの条件

 土曜の夜。北海道大学の植物園がみえるマンションに、仕事を終えた朋重が訪ねてくる。

 エプロンをしたままの千歳が、玄関まで迎え出る。


「お邪魔いたします。これ、お土産です」


 手土産はチーズとワインと、彼の会社の浦和水産のおつまみ食品。

 今日の朋重は、クルーネックの無地Tシャツにソフトジャケットと黒パンツという、カジュアルだでもきちんとスタイルでやってきた。お呼ばれを意識してくれたのだろう。クォーターだからなんでも着映えはするが、TPOを弁えた細やかで嫌みのないお洒落が上手なのだと、数回会ってやっと知った気がする。


「いらっしゃい。どうぞ、あがってください」


 もうなんでも受け入れるぞとすっぱりと決めた千歳より、結婚前提で付き合い始めた彼女の自宅に初訪問ゆえか、彼のほうが緊張していた。


「あ、もう鶏ガラの匂いがしますね」

「昨夜から煮込んでいます。いまハッシュドビーフができあがったところです」

「手伝いますね」

「いえ、もうできあがったので大丈夫ですよ」


 リビングに案内すると、フロアを見渡した彼がしばし絶句しているのを見てしまう。

 独り暮らしをしている割りには……という大きさの部屋だと知ったからだろうなと思う。


 生前贈与で譲り受けたマンションは、どの部屋もかなり広めの面積がある4LDK。そこで独り暮らしをしているので贅沢だということはわかっている。『ひとまず孫夫妻が住む場所』として、祖母が『いい物件、場所』として見つけてくれたところだった。


 ここに男を連れ込んだことはない。あるわけない、そんなことになるまえに『逃げられ千歳』になるからだ。

 さらに祖母が『孫娘夫妻のため』と言っていたので、無闇に人を招待しない。来るなら弟が『姉ちゃん泊めて~。メシちょうだい~』とふらりと来るくらいだ。


 今回、朋重をすんなり招待をすることができたのも『結婚を視野に入れ始めた』から。


 彼も上流階級の家庭が集まる地区に住んでいて、独り暮らしとしてはいいランクのマンションに住んでいるようだった。

 それでも千歳がいま住んでいるところは、家庭を想定した広さのところに、独身女性が独り暮らしなので絶句したのだろう。


 一瞬だけ気圧されていた朋重だが、すぐにいつもの落ち着いた彼に戻っていた。


「いいですね。植物園の緑が見えるところですか」

「秋は紅葉が綺麗ですよ」

「楽しみですね。あ、また来るようなことを勝手に言って……」

「いいえ。そのつもりで来ていただきましたから。どうでしょう。私が結婚した後、夫と暮らすために祖母が贈与してくれた家です」


 さすがに彼が真顔になった。婿候補として、結婚を見据えた住居に招かれたことに今更ながら気がついたようだった。

 この部屋を見て、態度を変える男性もいることだろう。だから易々見せない。だが結婚をする男には見せる。

 福神様、どうですか。彼をこの家に入れたけれど、追い出す? 追い出さない?


「あの、やっぱりお嬢様だなと改めて思いました。俺が相応しいかどうか」

「ですが、結婚を決めるとしたら、こちらで準備している家をご覧いただくのは必要なことだと思いましたので。朋重さんが漁村に連れて行ってくださったこととおなじです。ここが、私が居着いている場所ですから」


 その言葉に彼がはたと我に返ってくれた。

 自分は馴染みがある場所へ、初めて行く彼女を連れて行った。彼女は気構えてそこへ出向いた。あの時の千歳の気持ちをいま自分が味わっていると気がついてくれたのだろう。


「ご自宅が、千歳さんの居着く場所ですか。外に息抜きできる場所はないということなのでしょうか……」

「はい。家業を手伝う仕事以外、思うほど行動範囲は広くはないです。遠出ドライブに旅行、散歩は行きますよ。ですけれど、人が集まる場所は仕事以外では苦手です。凄く警戒してしまうんです。ご実家が会社経営をされている朋重さんなら、わかってくださるかと」

「ああ、なるほど。こちらの懐に『どのような心積もりで』入ってこようとしているのか、ですよね。確かにかなりの気疲れにはなりますね」

「ですから。誰も私に触れてこないここが居場所です」


 朋重が緩く笑う。致し方なさそうに……。羨む生まれでも、その生まれが引き寄せる様々なものが、全て恵まれているものではない。善意と悪意を人より多くより分けていかねばならない。むしろ悪意のほうが多いかもしれない。実家が道内有数の企業で、経営者家族である者同士。千歳がこれまで経験してきたことは、朋重だからこそ共感してくれるはずだった。


「そちらのテーブルにどうぞ」

「はい。ありがとうございます」

「このワインはどれぐらい冷やしたらいいですか」

「ワインクーラーと氷をいただければ、俺が準備しますよ。チーズもカットさせてください。これ、うちのスモークサーモンと、浦和水産オススメの『おつまみテリーヌセット』です」

「おいしそうですね!」


 千歳の目がきらっと光って素の笑顔になったからか、やっと朋重も肩の力を抜いた笑みを見せる。

 彼にもエプロンを貸して、一緒にキッチンで配膳の準備をしてもらう。キッチンに入ってもらうと、コンロに寸胴鍋が仕掛けてあるので『ほんとうにある! 本格的』と、鍋の中に入っている食材を眺めて興味津々だった。

 おつまみを盛り付けるための食器選びも任せる。食器棚に入っている食器を見せると、朋重が感動している。


「うわ、憧れのブランドがいっぱい。センスもいいな。どれも素敵で迷う。うーん。うーん。うーん」


 ハッシュドビーフを盛り付けている千歳の背後で、彼は食器棚をうろうろ右へ左へと眺めて真剣に迷っている。そんな彼を見てくすりと頬が緩んでしまった。食器にこだわるということは、いちおう料理男子のようだった。


 赤ワインはほんのり冷やすだけ。彼が手慣れた手つきで栓を開ける。

 彼が嬉しそうに選んだ『山田平安堂』の龍シリーズのプレートに、持ってきてくれた『おつまみ』を綺麗に盛り付けてくれた。


 窓際に大きなダイニングテーブルがあり、そこに二人並んで座れるように食卓を整えた。

 間接照明だけのほのかな灯りに落とすと、バーのような雰囲気が高まるダイニング。広いリビングを背にして、札幌のビルの灯りと暗闇にほんのり浮かび上がる植物園を眺めるように、窓へ向かって座った。


 彼が注いでくれたワインで掲げる乾杯をして、食事を始める。

 彼がまず、千歳がつくった自作ハッシュドビーフをひとくち食べてくれる。

 千歳も、彼が持ってきてくれた『チーズ、スモークサーモン、テリーヌ』を口に運ぶ。


「うまい! これ赤ワインでどう作ったんですか!?」

「おいしい! テリーヌ、ワインにぴったり! さすが浦和水産発!!」


 同時に感嘆の声を上げたので、顔を見合わせた。

 初めて。見つめ合って、一緒におかしくなって笑っていた。


 そこからは、ゆったり気の置けないペースで食事をすすめた。

 ふたりの目の前に見える夜の街を見つめつつ……。


「いいですね。なんか静かで。確かに心安らぎますね」

「気に入ってくださいましたか。結婚したらここに一緒に住めますよ」

「とは言っても。まだ会って数回ですよ。じゃあ、結婚しましょうとは言えないでしょう。特に千歳さんは。こっちの家がぐいぐい近づいているだけなのだから」


 これも初めて。彼がため息をついてワイングラスを傾けている。

 正式につきあいをはじめても、家同士の結婚前提。しかも主導権は荻野家にあると朋重は言いたいようだった。どんなに自分が心を砕こうが、千歳の本心は恋愛にはならない。それは彼もおなじなのだろう。

 なのにこうして一生懸命に会う機会を作って、なんとか距離を縮めようとしていることに、彼も釈然としないものを抱いているはず……。


「この住まいを見て『私と結婚したら一緒に住むところよ』――なんて言われたら、どんな男も飛びついてきますよ」

「ですから。この家に入れたのは、朋重さんが初めてですよ」

「そういうところ。お嬢さんなんですね」


 どこか呆れたような冷笑を見せられる。ほんとうに朋重が初めてなら経験がないお嬢さんで、男を連れ込んでいれば見合い相手が気を悪くしないように嘘をついているだけだと言いたいらしい。


「祖母には『逃げられ女でいいのよ千歳は』と言われてきました。最後は家の重みに耐えられなくて男が逃げるんです。きままな恋人同士にはなれないんです」

「逃げられ女、ですか。千歳さんのような女性が? お母様譲りの美貌と、お祖母様とお父様の血筋をしっかり受け継いだ才色兼備の跡取り娘と噂されているんですよ。見合いの申し込み、多かったでしょう。なのに、あんな写真を送った俺が……どうしてここに……」

「祖母のお眼鏡に適ったということは、間違いないということですよ」

「お祖母様の言いなりですか? いつも祖母がお祖母様が、と言いますもんね。まあ、俺も実家のいいなりで見合いをしたわけですけれど」


 いきなり酔っているのか。今日は妙に棘がある言い方するなと、千歳は戸惑う。

 でもこれが彼の本心かもしれないと、千歳は静かにそのまま黙ってやり過ごす。だが朋重は千歳に投げつけてくる。



「千歳さんの本心はどうなんですか。俺はそれだけを知りたいんです」



 これまでどんな時も余裕ある快活な男性の姿を見せてくれていた朋重だったが、今日はワインを口に含む度にため息を吐いて、植物園の向こうに見える夜の街灯りを遠く見つめている。

 そろそろ、お互いの気持ちを正直に話す段階か。そう感じた千歳も間を置かず答える。


「古いと言われるかもしれませんが『家同士の結びつき』を重視しています」

「わかっています。俺もそうですから。そうではなくて――っ」


 ぶっきらぼうに返される。だが千歳は怯まない、毅然と続ける。


「荻野製菓と浦和水産は共に、道内全域まで商品が行き渡り、お土産物として、鉄道・空港・道の駅にも置かれていて、全国知名度があり道外のお客様も多いです。それゆえに。長男で跡継ぎだから結婚したい。弟にはそんな女性が寄ってきます。でも長子相続としるとがっかりして去って行きます。私も同様、家の大きさだけ期待して言い寄られます。碌な事がないです。ですから『釣り合いがとれるお見合い』を選択したのですけれど。浦和水産なら釣り合いが取れいている、お見合いが成立した。あとは、私と朋重さんが妻になれるか夫になれるかです」


「まあ、そうですよね。互いに会社を守っていく義務がありますからね。あなたが『家』を重視し、男ではなくて『婿という夫』として俺を見るのは仕方がないということ、ですよね」

「……申し訳ありません。たしかに私は『そこ』が欠如していると思います」

「欠如?」

「男性を心から欲したことがありません」

「でも。おつきあいの経験はありそうですが。将来見合い結婚だろうと覚悟をして、恋は恋と割り切り、女性の部分を満たしたいという願望はなかったのですか」


 女性として満たされる恋か……。とうに諦めたものではあるが。

 好きで好きでたまらないという気持ちを味わったこともないし、男性との睦み合いに溺れるような甘美な思いをしたことない。

 ほんとうのご縁があるまで、家業を継ぐ準備のために仕事に打ち込むことにした。そう思って今日まで……。


 ああ、まどろっこしいな。

 一発で言えることは『私の神様が好いてくれるかくれないか、許してくれるかくれないか』だ。神様が『あ、こいつ駄目。千歳にも荻野にも相応しくない』と察知したら、遠くへと追いやってしまう。それだけのことが、いまは言えないこのまどろっこしさ!


 だが千歳も思い改める。

 朋重が本心を垣間見せ、情けない横顔を見せてくれている。彼も見合いの覚悟は決めたが、結婚まではまだ決意できないのかもしれない。

 それは千歳もおなじ。彼が吐露しはじめたように、自分も正直に行こう。そう決めた。


「いえ、理屈ぽかったですね。荻野風に伝えますね」

「荻野風?」


 また彼がきょとんと、隣に座っている千歳を見る。


「浦和家の皆さんと、朋重さんが、我が家の『加護』とやらを信じてるのならば。私はその『加護』で導かれた男性を愛せると思っています。これまで、私のこの自宅までやってこられた男性は朋重さんだけ。ほかの男はここに辿り着くまでに、なにかしらあって『加護』を受けられずに、当家から遠ざけられたわけです。いわゆる『不釣り合いな男、不合格。加護をうけるに値しない男』ということです。つまり――」


 千歳は笑みを浮かべて、朋重に告げる。


「あなたは当家の加護を受けて、私の家まで辿り着いた。だからあなたを男として愛してもよいという許しが出たということです」


 彼の困惑が見て取れる。父親に任命されただろう『加護を受けられるようにして来い』、その命に報いることができるはずのお達しなのに。まだ『不思議な一家』を本当の意味で信じていないのだと千歳は思った。


「そう思っているので。今日はとりあえず泊まっていきますか」

「え、え……ええ? なにを言い出すんですか」

「部屋余っていますし。ゲストルームがあります」

「あ、そういう意味ですね。すみません」

「いえ。今日はラーメンの仕込みを夜通しするので火から目が離せませんので、じっくりお相手できません。でも、明日また改めてこちらに来ていただくのも大変でしょうし、今週はここでゆっくり休まれてはいかがでしょう。明日、ラーメンを食べてからお帰りになられては」


『今週は相手ができないけど、それ以後だったらその気はある』と千歳がほのめかしたので、また朋重が仰天して固まった。


「……あの、その。ほんとうにいいのかなと」

「ご加護がどこまでの方なのか試すのもあります」

「つまり? 千歳さんと一緒に過ごしてみて、手を出しても、俺が『ご加護さん』に追い出されないかどうか。ですか?」

「はい。あ、でも今週はだめですよ。ラーメンの仕込み優先させてください」


 彼が一気に残りのワインを飲み干した。返事は『泊まる』だった。


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