8.もう恋をしてもいいですか

 深夜一時、コンロのとろ火を千歳は見つめている。


 ラーメンを作るようになったのは、祖父が自宅で作っていたからだ。

 いま千歳がいちから材料を揃えて、時間をかけて作れるのは祖父から伝授した父に教えてもらったから。

 祖父がラーメンを作り始めたのは趣味でもあったが、他にも理由が――。


【うっそだろ!? 姉ちゃんの家に男が入れたってこと!? マジか、マジか。神さん、マジか。それってもう決定じゃん】


 弟に連絡をする『これからは連絡してから訪問して。突撃は禁止。お見合い相手が通うようになるかもしれないから。さらに今夜、彼は泊まっていきます』と告げたら、そんな反応。


【今日、ラーメンを仕込んでいたんだよね。つまりもともと誘うつもりもなかったのに、そうなったの】

【姉ちゃん、ラーメン作っていたのかよ!! だったらそこ、カレシじゃなくて俺登場のところじゃん。なんで!】


 祖父がラーメンを自宅で作るようになったのは、大食い姉弟のためでもあった。

 ラーメン屋に連れて行くと、子供のくせに何杯も食べる。祖父がそれをわかっていて、孫かわいさに店に連れて行くが、こちらも厨房が戦場になる。お店に迷惑をかけないために『三杯まで』と父が決めたら、千歳と伊万里がそろってぶーぶー不満をたれる。だったら作るかーと、祖父がチャレンジしてくれたのが、荻野自宅用ラーメンの始まりだった。


 祖父はもう鬼籍のため、千歳と伊万里にとっては『じいちゃんの思い出ラーメン』となってしまったが、息子の父がレシピを譲り受け、いまは千歳が作れるようになっていた。だから作ったら『伊万里、ラーメンつくるよ。食べにおいで~』と誘い、寸胴鍋の底が見えるまで、心ゆくまで何杯も姉弟で食べるのが恒例だったのだ。


 そのラーメンの日に男がいるから、弟には来るなと連絡。弟、驚愕と落胆が同時に襲っているところだった。


【なんで、姉ちゃん、そんな気持ちになったのさ。クォーターでめっちゃ美男みたいだけど、それがよかったん? 姉ちゃんらしくない。やっぱ神さんだろ。神さんが、この男いいとか言ったんだろ】

【う~ん。なんて言えばいいのかな。でも、家に招いたらなんなく到着して、なんなく過ごしているよ。これで相応しくない男と判断されたら、家に辿り着く前に、予定が入ったとか、なにかしら邪魔があって辿り着かないはずだもん】


【姉ちゃんから金を借りようとしつこかったカレシ、最後に事故に遭って、姉ちゃんの自宅に来られなかったもんな……。そう思うと、マジ婿様候補じゃん……。ってか、ラーメン食わせろ!!!! じいちゃんのラーメン!!】

【わかったよ。彼にも弟が来ていいか聞いてみる】


【ちょっと待て。お婿さんと一緒に食べる!? 姉ちゃんの大食いがバレるじゃん】

【バレてるけど。私たち、レストラン浦和の厨房も、またもや戦場にしていたみたいだよ】


【うわー……、それもバレたのかよぅ~。なのに婿さん受け入れてくれたんだ~。いいよもう。せっかくのチャンスになんで弟の俺が邪魔しなくちゃいけないんだよ。俺が神さんから排除されそうだから行かねえよ。ふたりでよろしくやって! ゲストルームの俺のものも勝手に使って】


 姉ちゃんの自宅に入れた男、マジ奇跡!! と、弟が騒いでそのまま連絡を終える。


 メッセージを送り合っていたアプリと閉じて、千歳はため息をついてスマートフォンをカウンターに置く。

 対面キッチンのリビング側は、ラーメン店のような細長いカウンターテーブルがついている。

 そこで姉弟交代で麺をゆで、スープをどんぶりに注いで次々と食べるのがお決まりになっていた。


 本当なら。この週末は弟に連絡をするはずだったのだ。

 でも、あのタイミングは、千歳の女としての勘でもあったかもしれない。自分が女になるために素直になるタイミングという意味でだ。


 間接照明だけのほの暗いダイニングで、ひとりひっそり、青い闇に溶け込んだ街のビルを見つめる。屋上の赤い航空障害灯だけが、夜空に浮かんでいる。


 朋重はいま、いつもは伊万里が転がり込んできた時に使っているゲストルームで眠っている。

 バスルームもゆったり広めなので、それにも感激して、湯船に浸かって疲れを癒やしてくれたようだった。そのまま、ブランデーを一杯渡すと、彼も疲れていたようですんなり眠りについた。


 今夜は。彼がこの家に辿り着けたこと、入れたこと、泊まれたこと。それだけで充分。

 伊万里がいうとおりに、彼は福神様に認められたということにもなる。それもわかった。


 これから、かな。いや、もう彼しかいないんだろうな。

 千歳の脳裏に、初めて会った日、料亭の入り口で見た蝦夷山桜の花びらを思い出す。

 あの時に既に感じていた。いい気分、たぶん決まるんだろな――と、わけもなくかんじたあの時。密かにわくわくしていたあの気持ち。あれが恋をする始まりに似ていたのかもしれない。

 千歳の場合、『私、恋を許されるのかも』という期待。用意された男性でも、男の人と楽しい甘い時間を、あたりまえのように味わえる日々が来るのかもしれないと思えた『ときめき』……。


 寸胴鍋のとろ火を見張りつつ、リビングのソファーでそのまま仮眠。朝方シャワーを浴びて、早朝からチャーシュー造りに入る。

 同時にモーニングの準備をしているところで、昨日と同じ服に着替えた朋重がリビングにやってきた。


「おはようございます。すっかりくつろいでしまいました」

「おはようございます。眠れましたか」

「はい。寝室も広くてびっくりです。バスタブもおっきいし、ベッドも抜群でした。弟さんが時々使われているんですよね。パジャマも借りてしまいましたが、勝手によかったのかな」

「札幌駅から近いので、こちらに出てきてお友だちと飲み明かした時によく転がり込んでくるんですよ。大丈夫ですよ。弟には連絡をしておきましたから」


 まだこの家に戸惑っているふうの彼が、また表情を固めた。


「弟さん……。お姉さんの自宅に男が泊まったと知って怒っていませんでしたか。しかも、弟さん宿泊用のお部屋を使ってしまって」

「いいえ。むしろ、姉の家に入れた男と驚いていました。深夜に弟に連絡した時に、ひさしぶりに思い出してしまったんですけれど『荻野の跡取り娘なら金があるだろうから、200万円貸してくれ』としつこく迫られたことがありまして……」

「は? そんな男と付き合っていたんですか」

「最初、すごーく優しくて理解があって外面が良かったんです。二十歳ちょっと過ぎた箱入り娘が社会に出てすぐにひっかかったといいましょうか、お恥ずかしいです」

「えー、なんて危なっかしい。いや、でもあり得そうなシチュエーションですよね」


 それでどうなったのですか、と、キッチンで調理をしている千歳の対面へと朋重がやってくる。

 千歳もそこで、リビング側にある対面カウンター席に座ってもらうよう彼を促す。


「こちらが心を傾けた途端の要求と豹変ぶりでした。『おまえは俺を見捨てるような薄情な女なのか。荻野の跡取り娘は不埒で薄情でビッチだと言いふらす』とか言われるんです」

「……まさか脅されるようなこと、されたとか……」

「されそうになって、なんとか逃げおおせたんです。変な人だとわかったころから、彼に会うときは弟が後ろにわからないように控えてくれていました」

「いや~ほんとうに危なかったんですね。そうか……。だからお見合いを選んだわけですか」

「それもありますけれど。その男性、どうにかして私からお金を引き出そうと、自宅まで行くから待ってろとまで言い出したんですよね。そうしたら……」

「そうしたら……?」

「事故に遭って、それっきりです。障害などは残らなかったのですが、以降は連絡も途絶えましたし、弟が調べてくれたら道内の実家に帰っていました。それからはこちらの都市部には出てこられないみたいですね」


 途端に朋重が青ざめている。千歳の危なっかしい若気の至りを聞いてなのか、男の末路についてなのかはわからない。


「それって……。つまり昨夜言っていた『ご加護がなければ辿り着かない』ということ裏付けていませんか」

「小さなことを言えば、私の家に来たい、行かせろ、泊まらせろ、遊びに行かせろと勝手に迫ってくる女性も、こちらに押しかけようとすると、何度も予定が入り行けなくなる、恋人ができて興味が失せる、引っ越しを余儀なくされる出来事が起こる、などなど。弟と一緒に『あれ、遠ざけられたよね』と話すことはよくあります。姉弟の間だけで通じる話です」

「そのお話しが本当だとすると……。自分は……」

「ですから。朋重さんは『辿り着けた男性』なんです。だから弟がびっくりして、私にとっては『良い人』と理解してくれたから、安心してください」


 また彼がしっくり納得できないのか腕を組んで『うーん』と唸っている。

 そんな彼を傍目に何食わぬ顔で千歳はコーヒーを入れたり、スクランブルエッグにトーストを焼いたり。簡単な朝食をカウンターに座っている彼に手渡す。

 

 なんとか無事に一晩過ごせたんだなと安堵している自分がいる。

 神様、これって婿殿を歓迎してくれているんですか? 福神様の声は聞こえない。

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