食べる魔女の跡取り事情 ✿ 続編

1.ちーちゃんが、おかしい

 婚約者の彼が婿養子に入り『荻野朋重』となった。

 結婚後も浦和水産の副社長を務める夫でもあったが、千歳の夫になった彼は、いまでも荻野製菓に出入りをしている。


「ちょっと思ったものと違うのよね」

「うん。もう少し水分を飛ばしたいな」

「朋重兄ちゃんの会社で出来る加工とかほかにない?」


 千歳が室長を務める『企画室2』で、本日は新商品の試作に取り組んでいる。

 ここに朋重がいるのは『浦和水産』と共同開発を組んでいるから。

 いま千歳が弟の伊万里と夫の朋重と取り組んでいる商品は『蛸チップス』。ここのところタコが豊漁とのことで、夫と自宅でお喋りをしているうちに『甘いお菓子じゃなくて、おつまみ的スナックとかでお土産ものにできないか』という企画があがった。


 夫の会社で、『おつまみ』として売ればいいじゃないかと千歳も当初は思っていたのだが、朋重が『若い子にも水産物にもっと馴染んでほしいから、お手軽スナックで』という提案をしてきたのだ。


 昨今、若い世代は海産物を敬遠しがち。さらに一般消費者に至っても、水産物は高級品や贈答品として要する面が大きい。故に一部の消費者が目的を持って店舗に出向かないと触れ合う機会がない。その反面、製菓となると手に取りやすい。嗜好品として優先順序が上になる。店舗もデパ地下や駅地下に必ずあり、空港にもある。手軽さから入って欲しいという朋重の意見だった。


 荻野製菓の社長である父と、浦和水産の社長である朋重の兄、双方に企画を出したところ、『では製菓でまずサンプルとデータを出して』と許可をもらえた。


 以降、朋重は新鮮なタコを持ち込んで来て、テストキッチンで企画室2のメンバーと共に試食の日々を過ごしている。


 タコの足を輪切りにして、まずはカリッとフライにしてみることから始めた。

 磯くささ、歯触り、味。一筋縄ではいかない調整が何度も続いている。


 イメージは『チップス』なのに、最初はカリッとしていても時間が経つとしなっとして生臭さが出てくる。

 テストキッチンは荻野製菓の日もあれば、浦和水産の石狩工場の場を借りて、浦和水産の社員からもアイデアをもらっての試作試食が繰り返されていた。


 一般消費者の忌憚なき声も欲しくて、千歳は身近なところで、自社の女性社員からも意見を募った。


 特に納得していないのが。


『まっずそう。あれ、駄目だわ。駄目。あんなん、保食神うけもちのかみさんにおすすめできんわっ』


 という……。福神様ご機嫌ななめの夢を見てしまった。

 石狩の保食神様がタコを呼び寄せてくれているようなので、いつか持っていって召し上がってほしい。そんなふうに千歳はお返しとして考えているのだが、まだまだお供えするには至らない。


「あ、」


 今日も荻野のテストキッチンで試食をしている時に、伊万里がハッと思いついた顔をした。


「これさ。タコの扱いに慣れている『漁村のお嫁さんズ』に協力してもらったらどうかな」


 千歳も朋重も同時に『あ、』と表情を揃えた。


「確かにそうだね。うん、川端のおっちゃんに連絡してみるよ」

「そうね。あんなに美味しくタコ天を揚げられるんだもの。なにかヒントくださるかも!」


 タコだけではなく、石狩で揚がる海産物でご馳走を作るエキスパートじゃないかと、ひと筋の光が見えた気持ちだった。


 朋重がさっそくスマートフォン片手に連絡を取ろうとしているそばで、千歳は『言づて』を頼む。


「せっかく石狩の漁村から出てきてくださるのなら、お返しをしたいから、うちの『こもれびカフェ』のフリーチケットとお土産を準備するとも伝えて」


 千歳の提案に、夫の朋重もクォーターの優美な笑みを見せてくれる。


「いいね。そう伝えておく」


 朋重からの連絡に、川端家はいつも気前よく対応してくれる。


 お嫁さんズが大喜びで、札幌市内にある荻野製菓本社まで来てくれることになった。


「さて、仕事も一段落。お昼休みにしようか。今日の差し入れは『おにぎり』だよ」


 外から企画室に入ってくる朋重は、よく差し入れを手土産に持ってくる。もちろん、その量も心得ていた。

 彼の差し入れを千歳よりも楽しみにしているのは伊万里。


「うおーー! めっちゃ入ってるじゃん。さっすが朋重兄ちゃん!!」

「お米屋さんが同じ敷地内で経営している『おにぎり専門店』のものなんだ。うちの『筋子』とか『たらこ』とか、『昆布佃煮』とか卸してる関係で、大量予約を受け付けてくれたんだ」


 婚約後に改めて知ったことだが、夫になった朋重は、水産会社経営関係者として食品関係のコネクトネットワークが広い。そのおかげで前もって予約しておけば、荻野姉弟対応の大量注文も可能になり、様々な差し入れをしてくる。


 今日もいくつもの具材のおにぎりを五十個も持ってきてくれた。

 実際、これ以上食べられる力がある姉弟だが、それでも五十個も差し入れしてくれたことが嬉しい。伊万里もそれはわかっていて、自分が準備したランチ+おにぎり二十個で大満足、大喜びだった。


 夫婦と義弟、三人でテストキッチンでそのままランチタイムに入る。

 千歳が緑茶を入れて、朋重と伊万里が『これなんの具かな』とワイワイとおにぎりを分け合っている。


 さて。私もいただきまーす、今日も伊万里に負けないもんねと、千歳も頬張った。

 一個、二個、三個、今日も順調に『食べる魔女』に大変身――。

 と、思っていたのだけれど。『こんな味だったかな?』と首を傾げた。

 四個……五個……。大好きな筋子のおにぎりを頬張ったところで、千歳は食べる手を止めた。伊万里と談話していた朋重が、そんな千歳の様子に気がついた。


「ちーちゃん、どうかした?」

「ううん。あ、私、野菜ジュースを買いに食堂の売店に行ってくるわね」


 お見合いで出会った時以上の輝く微笑みを見せてくれる栗毛の夫。そんな彼を見たら、一瞬だけ嫌な予感がした気持ちが晴れていく。



---🍙✨



 企画室を出て、千歳は自社食堂へ向かう。小さな売店はちょっとしたコンビニのようになっていて、そこに紙パックの野菜ジュースがあるのでそれを購入した。

 食堂の片隅にひとりで座って、そのジュースをストローから吸って飲んだ。『おいしい』。さっきの味覚の違和感はなんだったのだろうと首を傾げた。


 ちょっとだけ目を瞑って頭の中をからっぽにしてみる。

 来るかな?

 来ない……。なにかあれば福神様が『こうなんよ~』と呟く声が聞こえることもあるけれど、なんのお告げもない。それならそれだけのことだったのだと千歳は安堵する。


 企画室に戻って、もう一度、待望のおにぎりに向き合った。

 伊万里はすでに自分に与えられた数だけすっかり平らげていて、キッチンの片隅で自らコーヒーを淹れているところだった。


「……伊万里、これ、あげる」


 千歳が食べるはずだったおにぎりを、すべて伊万里へと差し出した。


 フィルターにお湯を注いでいた伊万里の手が止まり、栗毛の夫も目を見開き静止していた。


「え、マジ? え、いいの? 俺、マジで全部食べちゃうよ。全然イケるし!!」


 そうは言いながらも、いつもの無邪気さもどこへやら、伊万里はすぐには『やった、やった。俺のもの!』とは飛びついてこなかった。

 姉が買った物なら遠慮はないが、義兄の差し入れなのでそこは多少の遠慮をみせたのだろう。


 夫の朋重は少し反応が違った。


「千歳? なにかあった?」


 いつも姉弟で言い合いながら大食い三昧をしているのに、食べる魔女である妻が、いつになく少食なので案じたようだった。


「ごめんね。いっぱい食べたかったんだけれど、ここのところ、ちょっと寝不足だったかな」

「夜遅くまで、調べ物にデータの確認とかしていたもんな……。そんなこともあるか」

「うん。たまにあるの。なんか、こう胸に詰まるような、胸焼けのような重く感じるときが……」

「そんな時は、神様はどんなお告げをしてきた?」

「なにも。ただ、なんとなく『気をつけなさい』と言われている気がする。開発が頓挫しているせいもあるのかも。……もしかすると、この企画、ダメなのかな」


 いつになく弱気になっている千歳に、朋重がただただ寄り添ってそばにいてくれる。いまは仕事中なので、自宅でそうであるように抱きしめるなんて行為ができないので、もどかしそうな視線で千歳を見つめてくれている。


「今日は定時であがって、ゆっくり休むんだ。家のことは俺がするから。仕事のことを忘れる日もきちんと持とう」

「……うん。大丈夫。朋君が家のこともしてくれるから、仕事に没頭しちゃって。でも、今日はあなたとゆっくりする……」

「うん。そうだね……」


 今日も品の良いスーツ姿の夫が優しく労ってくれる。それだけで千歳はほっとできる。

 コーヒーの薫りがするのに、いつのまにか、黙って淹れていたはずの伊万里がいなくなっている。

 新婚の姉夫妻に気を遣い、キッチンを出て行ったようだった。しかし千歳が残し譲った『おにぎり』十数個も、ちゃっかり持ち去っていた。

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