11.ご縁結びの準備

 福神様が仕事をすると言ってから、たびたび夢に出てくるようになった。


 海の上にふよふよ浮いた形で胡座をかいて、閉じた扇子で千歳を指して告げる。


『決意したんなら、いま一度、石狩までご挨拶におゆきよ』


 保食神様のところに行って来いという。

 やっと気がついたが、浦和水産の創設者である彼の祖父はあのあたりの出身。あの漁場であがるものを商品にしている。事業としての本拠地もあの地域だ。彼の家の加護についてるのは、あの保食神様なのだろう。


『よくお聞きよ。お供えものはだね……』


 夢の中なのに、福神様が荻野製菓の商品名をペラペラ何個もいうので、こんなのただの夢と思いたいのに思わせてくれない。

 目がパチッと覚めたら夜明け前。でも忘れないうちにと、寝ぼけ眼で手元にあるスマートフォンでメモを取る。


「えっと『ナッツごろごろフィナンシェ』……って、保食神様、フィナンシェ気に入ってくれたんだ。あとなんだったけ。おはぎと、どら焼きと、クリームチーズ入りマドレーヌと……苺のなにかもあったような?」


『いちごチョコサンドのサクサクパイと言ったでしょうが!』

 福神様のむくれたお顔が脳内から飛び出てきた。


「あ、それだそれ。細かいな。というか寝起きに話しかけてこないでほしい……」


 また横になってうとうと。


『いいかえ、千歳。縁と縁が結ばれる時がいちばん大変なんだわ。気を抜かないこと。頑張りなさいな』


 はい……。福神様……。

 再び千歳は眠りに落ちる。




 北国も夏日が増えてきた。ベージュ色のリネンのワンピースに、七分袖の紺のジャケット、長めの髪は後ろでまとめ『きちんとスタイル』に身なりを整える。よそ行きの格好で、千歳は本社ビル一階にある本店店舗へと出向く。

 千歳がわざわざ姿を現したので、本店店長が驚いて出迎えてくれる。


「千歳……。いや、荻野室長。どうかされましたか」


 元より気楽な同僚でもあるので、彼が一瞬だけ、同期の顔になったがすぐに店長の顔に戻った。


 本店店長は千歳と同期入社をした同僚。小柳広海こやなぎひろみ店長。

 千歳とおない歳だが、荻野製菓本店の店長へと抜擢された将来有望視されている男だ。千歳とも感覚が合い、気も合う。仕事がやりやすい彼は、祖母も父も気に入っていて『いずれ千歳の補佐に』と考えているようだった。


 なのに。彼のことは婿候補にしようとは祖母も父も言わず、千歳もおなじく彼に男を感じたことは一度もない。

 むしろ彼に異性を感じたらお終い。このバランスの良い仕事関係は終わると感じている。

 

 そんな信頼をしている彼に、千歳はいちまいのメモ用紙を差し出す。


「忙しいところ、ごめんなさい。とあるお客様にお土産に持っていきたいので、このギフトボックスにこれだけ詰めてもらえるかな」


 メモを渡すとそのとおりに詰めてくれ、綺麗に包装紙を施してくれる。

 接客をさせても抜群、菓子折の作り方も抜群、製品売上の動向分析も抜群、本店を守る判断力も抜群。そんな優秀な彼が手早く準備してくれる。


「大事なお客様のところに行くんだな」

「ま、まあね……」

「なにか、あったのか」


 こんなところ、気が抜けない同期生だった。すぐに千歳の素の顔に気がつく。ビジネスでご挨拶に出向くのではない。個人的事情で出向くと見抜かれている……。

 跡取り娘だと、社員たちが若干距離を作って遠巻きにしている中、彼だけは千歳を千歳として接してくれる。千歳の複雑な跡取り娘としての心境もこうして見抜いてしまう。弟の伊万里に近い存在だった。


 なのに。彼とは……。十年近いつきあいでも、なにも起きなかった。

 なにも返答をしない千歳のことも察してくれて、彼がいつもの優しい笑みで受け流した。


「また、なにかあったら教えてくれよな」

「う、うん」


 福神様に言われて、どことも言えないご挨拶に出向くための菓子折だなんて告げられず……。でも荻野の跡取り娘がすることだからと、彼もなにかを感じているようなのに素知らぬふりをしてくれる。

 そんなやりやすい彼なのだ。彼は和風のイケメンだが、朋重に負けず劣らず美男で、店頭にいると空気が爽やかに浄化されるのが伝わってくる。心も清らかだ。荻野の今後を守っていくのに、仕事としては彼の力は荻野に必須。それだけを千歳はひしひしと感じ取っている。


 夫婦の縁がないとはこのことか。彼とは恋とか、男を感じることはひとつもなく。家族も福神様も、小柳については『会社の重要人物』という捉え方をしているだけ。


 そう思うと……。千歳が初めて感じた朋重への『焦がれ』は本物で、やはり『これぞ縁』とも感じ入るしかなかった。


 自費で買い上げ、紙袋に入れてもらい、千歳はでかける。

 今日は有給休暇をもらい、ひとまず実家に向かった。


---☆



 会長職をしている祖母が、今日は在宅していることを確認。その祖母に報告をする。

 こちらも緑に包まれる小高い山が見える閑静な住宅地にある。和の庭がある奥の本宅へと向かい、千歳は実家の鍵で玄関をあける。

 連絡をしていた祖母が待ち構えてくれていた。


「おかえり、千歳」

「ただいまもどりました。お祖母様」


 夏らしく紗の着物を着込んだ祖母とリビングへ。

 慣れ親しんでいる実家のソファーに座るが、向かい側に祖母が座り込み千歳は緊張をする。


「その後、朋重さんといかがかな」

「はい。心が決まりました。彼に結婚を正式に申し込みたいと思います」


 そう聞いて祖母は驚かなかった。自分が目につけた青年だから当然とばかりに、にんまりとした笑みを見せたのだ。


「お祖母ちゃまのセンス、良かったでしょ」

「はい。神様もお気に召したようでした」

「ほうほう。だったら間違いないね」

「本日はいまから、あちらの神様にご挨拶に出向こうと思っています。その前にお祖母様に、今後の気持ちとして先に報告に来ました」

「うんうん。それはいいね。あちらの神さんだと、石狩海岸沿いの保食神かな」


 やはりお祖母様は気がついていたのかと、千歳はやっと悟る。

 そこも含めて、祖母は朋重の写真から嗅ぎ取って、千歳と相性が良いと選んでいたのかもしれない。


「ですがね、千歳。お相手が決まったからとて、神さんにご挨拶したとて、やはりまだまだ出会ったばかりという段階に過ぎないのだよ」

「はい。神様も縁と縁が結ばれるときが、いちばん大変と仰せでした」

「おや、既に教えてくれていたのだね」


 祖母もご自分についている『神さん』と長く寄り沿ってきた人。家を加護する神とのつきあいをよくよく心得ている。


 製菓の品質と従業員の生活と顧客の満足を維持していく礎にするため、 いまは古くさいと言われていることも祖母は無碍にはしない。『伝統』という時勢に合わぬ重みも、役員の自分たちがいちばんに考えて守っていくのが使命。

 それ以上に、神様たちが当家の菓子を気に入って守りたいと力を貸してくれているのだから、いちばんに敬う役割も担う。『お参りにご挨拶』なんて非現実的、無駄なもの。いまの世の中はそう言われるのが一般的だろうが、荻野は『ないがしろにしてはいけないこと』としてきた。それが荻野の家訓のひとつでもある。


 だから祖母は、福神様がいいたいことは同じように気がつくことができて、若い千歳に教え促す準備をしていたようだった。


「その気持ちになったのなら、結婚するにあたって起きるかもしれないことも覚悟しておきなさい。どの家もなにかしら抱えていることがあるもんだよ。表面化していないことが、新しい縁ができることで出てくることもあったりね」


 最後、祖母は千歳に釘を刺した。


「婿に迎えるなら、守ってあげなさい」

「はい。お祖母様」


 この時に千歳は察知した。祖母の言い方だと、浦和の家になにかを感じ取っているようだった。

 見合いという身元をオープンにしてわかっていること以外の、小さな小さな黒い点。そんなかんじのものなのだろう。


 荻野家では、長子のところに婿に嫁にと来てくれた者が繋いできた縁を、大事にすることで繁栄すると考えている。

 その縁をきちんと繋ぐことは長子の役目だとも言われてきた。結婚を見据えたのなら、千歳はそれを意識していかねばならない。朋重のために、浦和との縁を結ぶ役目を心得る。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る