17.いつもそばに


 帰宅してきた朋重に、弟たちとのランチ会であったことを報告。

 寝室のクローゼットの前でネクタイをほどきながら聞いていた朋重も目を丸くした。


「ちぃちーちゃんが? 自主回収の商品を食べたらダメと教えてくれた?」

「そうなの。この前は足が動かないようにされたけれど、今日は手の動きを止められたの」

「それでママが食べないように止めてくれたってことなのか……?」

「それに。入らないように止められたカフェも、実はあまりよい営業状態ではなかったみたいで、閉店していたの。それもちぃちーちゃんにはわかっていたんじゃないかって伊万里は言うの」


 そのまま唖然とした様子の表情で、朋重が固まっていた。

 我に返った彼も落ち着くように額の栗毛をかきあげる。


「そうか……」


 娘がママを助けてくれたことをいままでのように『凄い』と明るく驚いてくれると思っていたら……意外な反応だった。

 ほどいたネクタイをクローゼットのネクタイホルダーに戻し、シャツのボタンを外して着替えようとしている夫の顔が鏡に映っている。とても神妙な面持ちで、ため息をひとつ落とした。


「俺、本当の意味でわかっていなかったな」


 なにを言いだしたのだろうかと、栗毛が麗しい夫の背を見つめて千歳は佇むだけ。いつも朗らかな夫が真剣な顔をすると怖く感じる。

 でも。漁船でワイルドに野性的な男らしさを見せてくれた真剣さも伝わってくる。


「朋君……?」

「妊娠したころに、千歳が不安そうにしていただろう。お腹の子はどんな長子として生まれて、自分は育ていけるのかと……。千歳の跡取り娘としてのプレッシャーを励ましていたつもりだけれど、まだ他人事だったかもなって……」

「そんなことないわよ。朋重さんがそうして明るく広い懐に受け止めてくれて、奇妙な私の体質だって、荻野の家だけが体験してきたことだって、お婿さんとして信じてくれて、妻の私同様に受け止めてくれたじゃない」

「いや……。俺もいま初めて。プレッシャーを感じたんだ。きっと千歳と同様、外から見ればけっして信じてもらえない『奇妙な力』を持って生まれるのだろう。守ってやらなくちゃいけない。どんなことも父親として信じて、外から見られる視線からも守ってやらなくちゃいけない」


 彼のさらなる父親しての自覚と覚悟だった。

 不思議な一族と言われても、その実体は『頭がおかしい一族』とも言われかねないものでもある。

 実際に長谷川社長は千歳のことを『家内でいちばん権威があるお祖母様に洗脳させてる』とまで口にしたほどだ。

 娘の嫁ぎ先がおかしな精神を隠し持っていないか。あれは最終確認でもあったのだろう。でも、伊万里の人柄もあってか、または千歳を見て信じてくれたのか、ひとまずは信じてみると言ってくれたので安堵することができた。


 朋重は神妙な面持ちのまま、重いため息をまたついた。


「ほんとうに暢気だったと思うんだけれど……。千歳はどうやって福神様のことを隠して育ってきたんだ? つまりはこれから、娘は千歳とおなじように他人様から奇妙な視線を集めないように言い聞かせて育てていく、親が注意をして見守っていくということだよな」


 ネクタイを解いて、シャツのボタンを少し開けた状態で着替えを止め、うつむいて考え込む夫へと千歳は歩み寄る。


「娘のこれからを既に思ってくれるパパで、私、嬉しいし安心しています」


 そんな夫の背中へ、千歳はそっと手を置いた。


 いつもの彼の体温がすぐに伝わってくる。そして彼に千歳は柔らかな声で伝える。


「大丈夫よ。だって神様が付くんだもの。ちゃんと神様が教えてくれるの。『千歳、私のことは内緒だわよ』、『千歳、〇〇をしてみなされ。いいことあるわよ』、悪い考えやひねくれた考えを持っても『その気もちはわかるけれど。もう少し考えてみようかな』、『その考えは捨てなされ』って教えてくれるの。だって最強の相棒がそばにいるんだもの。この子の神様も……、そばにいて『一緒に育ててくれる』のよ、きっと。私が福神様にまっすぐに育ててもらったように」


 最強の守り神がついている。

 それに気がついた朋重がやっと顔を上げてくれる。後ろにいる千歳へと振り返ってくれ、いつものように優しく抱き込んでくれる。


「そうだった。神様がついていれば、最強だったんだ」

「その代わり……。お力を貸してくれるお手伝いはしなくちゃいけないけれどね。福神様に言われたの。『千歳は私と通じている力を持っているかわりに、その苦労をしなくちゃいけないよ』と――。でも大丈夫。だって、私……いま、しあわせだもん」


 最初は『信じる』ことに戸惑いを見せていた朋重だったけれど、いまは『ほんとうにあること』として信じてくれるようになった夫。

 そんな男性に出会えたのも、荻野のご加護様のおかげ。こんな素敵な婿様が父親になる覚悟を本当の意味で考えてくれること。このうえなく、有り難く幸運なことだから。


 そうだ。千歳もやっと心が決まる。私も母としての覚悟を決めなくちゃ――。もうはちきれんばかりのお腹を撫でて、朋重の琥珀色の目をみつめる。


「この子の成長を、行く末を、あなたとならきっと守っていけると私は確信しています」


 夫も綺麗な色の瞳で、千歳をまっすぐに見つめ返し微笑んでくれる。


「当然だろ。俺はもう荻野の人間だ。なによりも……。荻野の人たちが密かに様々なことに貢献しようと心に秘めている、そんな気質が好きだよ」


 そういって千歳をまた抱きしめてくれる。

 お腹のふくらみがあるから、いままでのようにぴったりは夫の胸の中には収まらない。でもその間にはもう小さな子が一緒に抱きしめられている。

 彼も気もちが落ち着いたのか、やっといつもの朗らかな表情に崩れて、フローリングの上に跪いた。

 そのまま目の前にある千歳のお腹に耳を当てて、そして囁く。


「ちぃちーちゃん。ママを守ってくれたんだな。偉いぞ。パパも守ってやるから、安心して生まれてこいよ」


 パパの声がきこえたのかな? 千歳のお腹の中で、ちぃちーちゃんがぐるっと動いたのがわかった。


「千歳が福神様と子供時代をどう過ごしてきたか。もっと聞きたいな。参考にしたいよ」


 夫の言葉に。一緒にいることがすっかりあたりまえになってしまった福神様との子供時代を千歳は久しぶりに思い出す。


 いつからか、脳裏にぽんっと映像が浮かぶようになった。

 どんなときもいきなり現れて、最初の頃は戸惑いがあったのも確かだった。


どうして、私のそばにきたの?

『そりゃ、あなたのとこの菓子を守り通すためよ! 菓子は万民のしあわせのひとつですぞ! 守り通す気概があるあなたの一族につくと決めたのよ』


その菓子を守る長子として育てますぞ!


 しょんぼりしている時は、ころころしたぬいぐるみみたいなお姿で、千歳の頭の中で転がっておどけてみせたり。

 ここぞというときには凜々しく気品ある大人の佇まいになって、厳しいお顔で千歳を諭し背中を押す。


『私がついておりますぞ。おもいきっていきなされ』


 心細い時も、福神様はそばにいてくれた。


『塾やら、大変よなあ……。そうだ。ふっかふかの肉まんを食べてからいきましょ!』


 雪が降りしきる中、下校してからすぐ塾に向かう道で福神様が話しかけてくる。


『遠慮せず、みっついきましょ。みっつ!』

本当なら十個いけますけれど……。

『満腹になると眠くなりますからな。ここは我慢でみっつ!』

【熱いシェフ】というコーナーがあるコンビニに入るなら、千歳はフライドチキンを食べたいのに。

『にっくまん、にっくまん!』

 しゃんしゃんと鈴の音を鳴らして踊り狂う福神様を見ていたら、千歳もすっかり肉まんの気分になってしまったり……。

『雪が降る日は、揚げ鳥より、ふかふかほかほかの肉まんですぞ!』

 仕方がないなと思いながら、母から腹ごしらえにともらったお金で肉まんを三つ買う。

 コンビニのイートインで頬張る時も、福神様もふくふくした笑顔で『おっほほ。おいしいですな! あったかいですな! 雪の季節のおたのしみですな~。元気になりましたかな?』

 身体があったまってお腹もすこし埋まって、美味しい気もちになって……。そして、いつも声をかけてくれる福神様と頬張るおやつの時間に心も温まって――。

『がんばりましょうな』と脳内で一緒に食べて喜んで、励ましてくれた。


 そんなことも急に思い出す――。


 なんだかちょっと泣けてくる。

 いつもそばにいてくれる『おじさん』で、そう振りかえれば千歳を育ててくれた『おじさん』でもあるのだから。

 長子という使命を背負っても、清く正しく保つことが厳しいことであっても、その教えを守れば福神様は間違いなく導いてくれてきた。


 だから。娘もきっと大丈夫よね――。

 娘の神様、私の子供をよろしくお願いいたしますね。


 お腹を撫でる手が少し熱く感じたのは気のせいか。


 千歳の出産日はひな祭り前後の三月初旬。

 予定どおりの日程で、千歳は産気づく。


 夕方からおかしいなと感じていたら、朋重と就寝をしてしばらくして陣痛がやってきた。


『来ましたな! 私もついていきますぞ!』


 着物の上にたすきを掛けをして戦闘態勢の福神様も、千歳の脳内で気合を入れて準備万端。勇ましいお顔で扇子を持っていた。

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