19.ようこそ荻野家へ
親の神と子の神の引き継ぎの瞬間。そんなことが存在するのか、千歳は知りたくて、母が出産するときにも覚えがないか聞いてみたが、母の返答は――。
「そんなことはなかったけれど?」
ないのか。やはり母は母で、聖女様は父についているから見ることはできなかったのかと、期待通りの返答ではなかったので千歳はため息を吐いた。
マタニティパジャマでベッドの上で起き上がって腰をかけている娘を、母がじっと見下ろしている。母も母で、不思議な力を持つ娘のことを窺ってるようだった。
「千歳はなにかを見たの? 福神様からなにか言われたのかしら」
「産まれる直前に、福神様が赤ちゃんをだっこしていたの。『これでお別れですな。またいつか、どこかで。健やかであれ』と仰って、誰かに引き渡していた。きっと千咲を委ねる神様だったと思うの」
「あら、まあ。千咲ちゃんが夢を見たと教えてくれるまでもなく、千歳が先に見ちゃったわけ? でも千咲ちゃんがちゃんと夢を見たと教えてくれるまではわからないものね」
そこで母が急に黙りこくった。なにかを思い出しているように首を傾げている。母の頬にも春の茜がさしている。そうすると、母は本当に美しい人に見えるから、千歳はうっかり見惚れてしまっていた。そんな母が、千歳のためにもってきたタオルをロッカーにしまいながら、なにかをおもいだしたように話し出す。
「産む瞬間でなければ……。妊娠中だけれど、海辺で蛍のような小さな光と戯れる夢をみたことはあるわね」
「それって! そのときに、福神様らしい男性とかみたことある?」
「ないわね。千歳が小学生になって、遥万さんのように『おそばにいる』と教えてくれるようになるまでは、福神様という存在を認識できるようなことはなかったわね」
母の返答に、娘に神がついているかは確定したわけじゃないと千歳は思い知る。まだ自分の中で『神がついているか心配』な気もちが残っていたのだと自覚して項垂れた。
そんな千歳の気持ちも構わずに、『でもね』――と、母が急に照れた顔を見せる。
「やっぱりあなたのパパもおなじこと言っていたわと思い出しちゃった。遥万さんにその話をしたら『聖女様がお腹の子と遊んでくれていたのかもしれない』と優しい笑顔で聞いてくれたの。その笑顔が素敵で、いまも忘れていないわ」
いつもの惚気かなと思ったが、茜の中で笑む母はほんとうに美しく聖母そのものだった。
「だとしたら。産まれる前の子を、親に付いている神様が付き添ってくれていたのかもしれないわね。千歳の時は聖女様が、千咲ちゃんには福神様が……。守ってくださっているのなら、今度は私たちが大事に育てていかないとね」
茜の中の母はとても清らかな笑みで、ベビーコットに眠っている千咲を見下ろしている。
そんな母のおおらかさを見ていたら、千歳も心が落ち着いてくる。
そうだ、信じて待つしかない。娘が、千歳と福神様が出会ったころの年頃になるまで、その神様がちゃんとお側にずっと付いてくれていたのか、娘が告げてくれるまで……。
「かわいい。孫ってほんとうにかわいく感じるのね。千歳と伊万里が小さい時を思い出して、なお愛おしくかんじるわ。あなたたちもかわいかったけれど、お孫ちゃんもひとしおね……。ふふ、こんど、かわいい肌着をいっぱい持ってくるわね」
すでにお祖母ちゃん愛を発揮させはじめていて、千歳も嬉しいやら、どこまで発揮されるかで心配やら……。しかも母、美魔女だから、ちっともお祖母ちゃんに見えない。娘ながらもさらなる不思議な気もちにさせられて複雑だった。
そろそろ窓辺から、やさしい茜が消えそうなころ。
この病室にまたひとりの訪問者が現れる。
着物姿の祖母だった。
「お祖母ちゃま……!」
千歳もつい、子供のように嬉しさいっぱいの笑顔を見せてしまった。
しかも、なんでか……。父や母がそばにいる時以上に涙が滲んできた。
「遅くなりましたよ。ごめんね、千歳ちゃん」
孫に見せる時の柔らかな表情の『お祖母ちゃま』の様子で千歳のそばに来てくれる。
すぐにベッドサイドに寄り添っているベビーコットへと祖母の目線が定まる。
「まあ、かわいらしい」
そして祖母はすぐに千歳にも視線を向けてくれる。
「頑張ったね、千歳ちゃん。これであなたも立派なお母さんだね。頑張って育てなさい。この子が荻野の長子だからと頑張りすぎても駄目だよ。この子がこの子らしくあるように、それが第一だよ」
「お祖母ちゃま……」
祖母のことだから『荻野の長子として立派に育てるべし』と活を入れられると思っていたので、そうではない、長老ではなく本当に千歳の祖母としての言葉に、また千歳は涙をこぼしてしまった。
そんな孫娘を知って、祖母の千草は『あらあら』と大らかに笑いながら、ベッドで起き上がっている千歳の背を撫でてくれた。
お祖母ちゃまの優しい手、孫だからと甘やかしてくれる時のお顔。温かさにまた千歳は涙をこぼしていた。
ああ、私、どうしちゃったのかな。こんな、子供の時みたいに泣いちゃうだなんて。やっぱりホルモンバランス崩れているからなのかな。そう思うほどに、いつになく泣けていた。
「お祖母ちゃまもだっこしていいかしら」
「うん、だっこして。お祖母ちゃま」
「伊万里以来で、ちょっと怖くなっちゃうわね。こんな小さかったんだね。千歳も伊万里も……」
いつも威風堂々の祖母があたふたしていたので、今度は母と一緒に千歳も笑い声をこぼしていた。
母がそっとベビーコットから抱き上げ、着物姿の祖母の胸元へと持っていく。祖母も慎重に静かに……、初めての曾孫をその腕に包み込んだ。
「まあ、軽いこと。でも重いこと……」
千歳が初めてだっこしたときと同じ感想を祖母が呟いた。
その時だった。祖母に抱かれた途端、腕の中の娘がぱっちりと小さな目を開けたのだ。
「あら、お目覚めですか」
少し表情をくしゅっと崩したので、泣き出すかなと千歳は構えたのだが――。娘の千咲はまだ目が見えないはずなのに、祖母をじっと見つめている。静かに泣かずにただただじっと……。
「不思議だね。まだ目が見えないはずなのに……。まるで、私が見えているみたいな顔をしているよ……」
あの祖母が戸惑っている。誰よりも不思議な体験を重ねてきただろう祖母でも、どっきりとする現象が起きているようだった。
千歳もだった。祖母がいうとおりに、娘は祖母を一直線に見つめているようにしかみえない。
母の凛香はにっこりと微笑むだけの落ち着きで、でも不思議なことを言いだした。
「お義母さん、縁神様が見えているのではないですか」
「え、そうなのかね! まさか、そんな、」
だがそこで祖母もじっと目を瞑って黙り込んでしまった。
しばらくして、祖母が目を開ける。腕の中に包んでいる千咲を見下ろし顔を綻ばせる。
「そんなに見つめられると照れると、仰っているわね」
縁神様がそんなことを言っていると知って、千歳は飛び上がる。
え、え、うちの子、ほんとうに見えているの??
「縁神様もお喜びだよ。いらっしゃい、千咲――と祝福しています」
そして着物の腕の中、いまだにじっと『ひいお祖母ちゃま』を見つめている千咲に、祖母が語りかける。
「なんとなく伝わってくるわね。既に不思議なこの雰囲気。千咲、ようこそ荻野へ。ひいばあちゃまよ」
長老の千草曾祖母に包まれ、愛らしい息づかいの娘。つぶらな瞳は艶やかな光を宿して煌めいていた。
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