20.ちぃとりぃ
ハマナスが咲く砂浜から丘へと、潮風が駆けていく。
青い夏空に、今日も真っ白な風車が回る海岸線――。
石狩の海が見渡せる高台、漁村神社のそばにある一軒家に今日はいる。
「できないんだもん、できないの、できないの!」
甲高く響く子供の声、そのあとにうわんうわんと泣く声がリビングに響いた。
泣いているの次女の
千歳は二児、姉妹の母親となっていた。妹の千里は三歳、なんでもやりたがりのお年頃。自分でくつしたを履くと見守っていたら、できないと大泣きを始めたところ。
そんな娘のそばに歩み寄ってひざまずいたのは夫だった。
「どれどれ、パパが手伝ってあげるよ」
「くつした、はけないの……。パーティーまにあわなくなっちゃう」
「大丈夫だよ。まだみんな車に乗っている時間で、パーティーをするお庭にはまだ誰もいないよ」
くすんくすんと泣いていた娘が、小さな頭をパパに撫でてもらって泣きやんでいく。そうして、小さなリボンがついている靴下をパパと一緒に履き始めた。
いつもにっこりと優しい笑みを絶やさないパパの朋重は、妻の千歳を労ってくれたように、娘のお世話もなんなくこなしてくれている。
「おねえちゃんといっしょのくつした、はきたかったの」
「かわいい靴下だもんな。ママとお姉ちゃんと一緒に選んだんだもんな」
「リンばあちゃまと、ナナばあちゃまもいっしょだったの。みんなとえらんだの」
「女子会の日だよな。今日のバーベキュー大会のためにおそろいにしたんだよな」
「このみちゃんもいっしょだったらよかったのに……」
「木乃美ちゃんは、牧場のお仕事もしていて忙しかったんだよ。でも今日、会えるだろ」
「ジョーじいちゃんも来る?」
「くるくる! 今日もでっかい肉の塊をいっぱい持ってくるって張り切っていたよ!」
ジョーじいちゃんが来るのひとことで、千歳も密かに胸躍らせる。
『千歳ちゃん、ひさしぶりだから、三ポンドステーキ肉持っていくからな!』。つい先日、今回の会にお呼ばれされている長谷川社長から連絡があったのだ。
『おーほほ! 恒例の初夏鉄板焼きの日ですな! 浦和の鮮魚に、長谷川の和牛、そして川端家の漁師メシ。〆は、荻野の菓子の数々! 私はおはぎをたーんと食べたいので、千歳、頼みましたぞ。あと麦酒ですからな!』
千歳の脳内で今日も、福神様がぽよんぽよんとマスコットのような三頭身で跳ねまくっていた。
まあ、でも。福神様のはしゃぎようもわからないでもない。なにせ今日は、浦和家、長谷川家、川端家、荻野家が一堂に会して、BBQパーティーを開くのだ。
これは千歳が出産後、長女の千咲が産まれてから始まったことだった。
千咲のお披露目会をしようと、千歳と朋重が住まうマンションに浦和家、長谷川家、川端家と招待をしたら、いつのまにか『今度はうちで是非』という話ができあがり、あちこちのお家でお食事パーティーが開かれるようになった。
鮮魚に和牛に菓子。あちこち持ち寄りになって、ものすごく豪勢になる。
そしてそこに荻野大食い姉弟が降臨する。食べれば食べるほど福が舞い込むからと、浦和の家も、長谷川社長も、川端漁師一家までもが、『食べて欲しい!』と持ち込んでくる。
千歳出産後、伊万里と木乃美が結婚をする。その直後、木乃美が妊娠。男児を出産した。同年、千歳が再び妊娠、次女の『
そのたびに、どこかの家に集まって会食が行われる。
これは食いしん坊の福神様のなせる技なのか、祖母の縁神様のおかげなのか、父の聖女様が『遥万君にとっても、素晴らしく良いこと』と円満に収めてくれているからなのか。末広がりとばかりに『よいおつきあい』で一族となりつつある。
今日はなんの名目もないが、雪が溶け花々が咲き始め、気候がよくなってきた北国の初夏を楽しもうと、漁村バーベキューで集まるのも恒例となっていた。
この一軒家には海辺からの風がよく入り、夏も爽やかだった。
丘から見下ろす浜辺に、遠く広がる石狩の海。今日は漁村の青空も広がっている。丘の斜面にはハマナスが咲いていた。
川端家との交流も長く続き、よく行き来する家族づきあい。それが高じて、ついには千歳所有の別荘をここ漁村に持つようになったのだ。
子供達の長期休暇はここで過ごすことが多い。親しく信頼関係も強い川端家に別荘管理職も委ねているほどだった。
川端家の息子夫妻となる恭太とミチルとは、同世代ということで朋重と共に特に親しくしている。
この別荘に休養にくると、ミチルと子供たちと交えて和気藹々とした休日を過ごすことも定例となっていた。
ゲストルームもあるので、伊万里と木乃美の弟家族も宿泊して姉弟家族で過ごすこともあれば、祖母の千草や、千歳の両親が遊びに泊まりに来ることもある。
荻野家の『石狩の家』として休日を象徴する別荘へとなりつつある。
二階建て、上は子供部屋と夫妻の寝室、一階はリビングとキッチン。
そのリビングで、やっと機嫌を直した次女の千里とやさしいパパの朋重が身支度を進めている。
千歳はダイニングテーブルでパソコンを開いて、出掛ける前に本社の業務に滞りがないかチェックしている。
「お母さん」
そこに長女の千咲がやってきた。
五歳になった娘だったが、どこか大人びていて表情がいつも落ち着いている。次女の千里のように感情赴くままに騒いだりとか、なだめるのに手がかかるなど、そんなことがあまりない。
この子、感情に起伏があるのかなと案じたことがあった。が、母と父が言うには『千咲と千里を見ていると、もの静かな千歳と感情に素直で騒がしかった伊万里――という、異なる性格を持った我が子たちのことを思い出す』と微笑ましく眺めていたので、そんなものかと千歳もひとまず安堵はしている。
千咲は五歳なのに、黙々と大人しく着替えを終えて、それを母である千歳に報告しにきたようだった。
「うん、かわいい。その靴下、千咲が最初にみつけたんだものね。すっごく、かわいい」
彼女の艶やかな髪を撫でると、やっと娘が子供らしい笑みを浮かべて、千歳をまっすぐに見つめてくる。
混血である夫の血が混じったからなのか、娘の髪は真っ黒ではないし、目の色も千歳や伊万里よりも明るい褐色だった。その奥に静かなものを湛えている千咲の瞳は吸い込まれそうなほどに透き通ってる。
「りぃちゃんとおそろいになったから、お父さんに見せてくる」
長女の千咲も無邪気な笑みで、パパの元に走って行く。
次女千里の愛称は『りぃちゃん』になっていた。ママが『ちーちゃん』、お姉ちゃんが『ちぃちーちゃん』。自分だけ『ぃーちゃん』と聞こえない『せんちゃん』なんて嫌だと次女が泣きわめいてから『だったら、りぃちゃんな』とパパが呼び始めてから定着した。
「みてみてパパ、おねえちゃんとおそろい」
「ちぃが桃色で、」
「りぃはあお!」
リボンがついている靴下をはきおえた姉妹が仲良くならんで、お互いの足をみせあってきゃっきゃと嬉しそうにしている。
そんな娘たちを、また朋重が嬉しそうにスマートフォンで撮影をしていた。
やがて娘たちが揃って『パパ、お父さん』と栗髪の朋重へと抱きついていく。
千咲は長子教育が既に始まっているので、ふだんはお利口さんの顔を整えているが、妹の千里と一緒にいると子供らしくなることがある。
そんな娘を眺めていると……。千歳もやっぱり自分はあんなふうな子で、伊万里がそばにいるときには『子供同士』として、いつまでも素の自分でいられたことも思い出していた。
娘たちも、そんなお互いをお互いに認め合って支え合える姉妹になってほしいと願っている。
袖口にかわいいフリルがついたチュニックTシャツに、ストレッチデニムのパンツ。そしてお揃いのリボンが付いてる靴下。動きやすいお洋服で支度が調った娘達の関心は『もうみんな到着したかな』、『もうBBQをするお庭に行こう』とこの家から出掛けるタイミングだった。
千歳も仕事かたわらにテーブルで娘たちと夫を微笑ましく眺めていたが、手元に置いてあるスマートフォンに着信表示、着信音が聞こえてきた。表示は伊万里。
『姉ちゃん。俺らも到着したよ。川端のおっちゃんと恭太君と準備に取りかかるな。木乃美と万季人がそっちに迎えに行ったから、準備整うまでそこで待たせてあげて』
「うん、わかった。火を起こすんでしょう。あぶないから、子供たちはこちらに集合させて、まとめて連れて行くよ」
『またジョーパパがでっかい肉を持ってきたからさ。特製のローストビーフも昨日から仕込んでくれたみたいだし、俺と姉ちゃんの三ポンドも持ってきてくれたよ。各三枚……』
すっごい親戚ができたもんだと千歳も嬉しさで飛び上がりたくなったのだが、それより前に頭の中にぴょこんと福神様が出てきた。
『さすがですな! 和牛の主、長谷川殿!! 三ポンド! 千歳、ぜったいに、私そっくりの絵がついている黒麦酒で頼みますぞ!』
すでにナイフとフォークを両手に持っている福神様が頭のなかでころころ転がっている。それどころか『タコ天! 漬け鮪! 焼き蟹! 帆立! ローストビーフ! 三ポンドステーキ! おはぎ、おはぎ、お・は・ぎ!!』とずっと連呼しているので、千歳は苦笑いが浮かぶばかり。
しかし哀しいかな。福神様のリクエストとその期待に存分に応えられるこの体質は母親になっても健在……。その信頼も万全なのか、だから余計に福神様ははしゃいでいるのだ。
『伊万里が到着したよ、木乃美ちゃんと万季人君が一緒に来るよ』――と伝えると、朋重と娘たちも『みんなきたきた』とはしゃぎはじめる。
しばらくすると、元気な男児を連れてきた木乃美が到着する。
窓を開け放している庭から入ってくるのもいつものこと。
「千歳お義姉さん、こんにちは。今日もおじゃまします」
「おじゃましますっ。おばちゃん、おじちゃん、こんにちはっ」
千咲と千里の姉妹の間に挟まれるように産まれた男児、伊万里の長男『
通う園は異なるが、いまも伊万里一家とは親しくして行動を共にすることも多い。姉家の姉妹と万季人は三姉弟のようにして仲良くしている。
「ちーちゃん、りぃちゃん! パパがバーベキューの火をつけていたよ。もう行こうよ」
「まきくん、火つくのみたの? ねえ、お姉ちゃん、いまりおじちゃんが火をつけたって、いこう!」
「うん。りぃ、まきくん。行こう行こう。ジョーじいちゃんも来てるの」
「うん! じいちゃんまたでっかい肉を牧場でじゅんびしてたよ。ぼく、いっしょにみたんだ。おっきいいかたまり。パパとちーおばちゃんがいっきに食べるからって」
子供三人わいわいと騒ぎ始めたかと思ったら、そのキラキラとした視線がまだパソコンに向かっている千歳へと一斉に向かってきた。
「おばちゃんとパパ、すっげえもんな」
「うん、おっきいの平気でどんどん食べちゃう」
万季人と千里というちびっ子コンビから注がれる期待の眼差し……。まるでショーで頑張る珍獣を期待しているようで、千歳は毎度、遠慮なく食べられるチャンスと心躍らせつつも、なんだか子供たちにそんな姿を見せていいのかと気恥ずかしくもなる。
「でも、しょうがないよ。だって、わたし、ジョーおじいちゃんのところ以上に美味しい牛肉、食べたことないもん。長谷川のお肉が一等賞、最高だもん」
長子の千咲が胸を張って豪語したので、そこで大人三人子供三人の間で笑いが起きて賑やかになっていく。
日常では相変わらずメガネをしている木乃美が、そんな千咲のそばに行き、姪っ子を愛おしそうに抱きしめてくれる。
「美味しいものがどれかよくわかる千咲ちゃんから、うちの牧場和牛が一等賞という保証済みで嬉しい。ジョーおじいちゃんも、すっごく喜んでいるんだもの」
結婚してからも清楚な奥様でママの木乃美に抱きしめられて、千咲も嬉しそうだった。
そんな微笑ましい親族触れ合いを眺めている千歳も、とても満ち足りた気持ちになる瞬間だった。
木乃美はまさに良妻賢母といいたくなるほどの妻、母となっていた。
夫と子供を第一として動き、実家も義実家も大事にする。伊万里の畑も手伝うこともあるが、実家の仕事にも変わらずに携わっている。
出会ってすぐに結婚を決めた伊万里だったが、『姉ちゃんと神さんのおかげだわ。あの時俺も、ここだいまだ、これがナチュラルな感触ってびびびってきたもんね。おかげで、俺、もう~木乃美しか考えられないっ』というほどに、木乃美といればいるほど惚れてしまうのだそうだ。
千歳自身も自分の感触を確かめつつ決めた見合い結婚だったが、ある意味、祖母と自分のインスピレーションに導かれたスピード婚約。弟も、姉の導きに従って良かった良かったと、ますます荻野としての生き方を大事にしてくれている。
つまりは。次に千歳と伊万里が大事にしていかねばらないのは、長子長女の千咲が無事に夢をみたと告げた日が来たならば――。
千咲を跡継ぎとして、姉弟そろって、ほかの子供たちにも協力していく生き方へと教育していかねばならないということだ。
朋重も木乃美もそこは重々承知してくれている。
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