牧と紗貴、二人でのランチ

 珍しく紗貴から昼食を一緒に取ろうと誘われて、牧は友人達を振り切って二人で学食にいた。

「どうせランチするなら学食じゃなくて外に行った方が良くなかった?」

 プレートランチを既に半分食べている牧は今更ながらにそんな疑問を前に座る紗貴に投げ掛けた。

 紗貴は牧を睨み付けて口の中のフレンチトーストを缶のミルクティーで喉に流し込む。

「この山の中で他のとこ行くなら学食の方が安いし手軽じゃないの。お互い、この後も授業あるんだから駅前に降りてる時間ないでしょう」

 八王子駅からバスで三十分掛かるような山の中が二人の大学だ。景色はいいが授業の合間で行けるような遊び場所はない。

 ロマンチストは現実主義者にあっさりと黙らされてしまった。

 牧のおもきを蹴飛ばした紗貴はフレンチトーストの最後の一欠けを口に運んだ。

「ところで、今朝、牧が可愛い女の子と手を繋いでいるところを見たんだけど」

「ぐはっ」

 心当たりが有り過ぎて牧は口の中に入れていたサラダで盛大に噎せた。息を整えるためにコップに入れてあった水を全て飲み干す。

「いや、あの、あれすいだし」

「騅ちゃんが可愛くないとでも言うの?」

「いや、その……まぁ……」

 可愛いと返しても可愛くないと返しても、何倍もの爆撃が返って来るだけなのが分かってしまって牧は言葉を濁すしか出来ない。

 牧が紗貴を見れば、目の前の彼女はにっこりと恐ろしい爽やかさで笑っていた。

 そして紗貴は徐に右手を牧に向かって伸ばして来る。

「手を出してどうされたのでしょうか?」

「あれー? 他の女の子の手は握るのに、私の手は握ってくれないのかなー?」

 此処は地獄かと牧は天を仰ぐ。今は学食が一番混んでいる時間帯だ。

 しかし牧がこの席から蹴散らした友人達は牧と紗貴が見える位置でこちらを観察している。

 食べ掛けの食事を残して席を立つような勿体ない事を牧は出来ないし、それをした場合に後から紗貴からどんな仕返しが来るのかも怖い。

 どんなに考えても、牧には紗貴の言う事に従う以外の結論は出て来ない。

 公衆の面前でしかも知り合いも紛れ込んでいるのに、女性と手を繋げだなんてどんな拷問かと思う。

 いや、実際に紗貴からすれば他の女と手を繋いでいた牧に対する処刑で違いないのだろうけれども。

 牧は斜め後ろの席を振り返る。ムカつく位良い笑顔で友人Aが手を振って来た。空気を読んでどっかに行く気は全くないらしい。

「まーき。私がいるのに一体誰を気にしてるのかな?」

「……その言い方は卑怯だと思うし、何を気にしててそれを紗貴は別にどうでもいいと思ってるのに追い詰めるのはよくない」

「ふふ、だって怯える牧は可愛いから」

 紗貴の愛が怖い。牧はちょっと泣きたくなった。

 腹を決めて、自分の指を紗貴の指の間に絡めて、掌をくっ付ける。

 紗貴は満足そうに丸っこい目に光を揺らした。

 牧はまだ半分残ってるランチプレートを右手だけで口に運ばないといけない。左手が捕まえられていると思いの外食べ辛い。

 紗貴がこのタイミングで手を取って来たのはそうやって、少しでも時間を引き伸ばすためかと覚る。手を繋いだ後に気付いても全く以て遅かった。

「それで騅ちゃんとはなんの話をしてたの?」

 牧は紗貴の目を見詰めた。問い詰めるつもりではなくて、ただ単に雑談として話題を振られたのを確認する。

 だから牧は答える前にピラフを一掬い口に入れる。

未言みことのことを話してただけだよ。半分はいつもの餌やり」

 きゅっと紗貴が牧の手の甲に爪を立てる。

 甘い痛みに牧は視線が自然とそちらに流れた。

「貴方の好きなものの話、ちゃんと聞きたいわ。話して」

 紗貴には関係ない話だからと端的に切り上げようとしたら、怒られてしまった。

 牧はバツが悪くてミニトマトをフォークで刺して口に入れて、犬歯で皮を破る。

「どんな未言の話をしたの?」

 牧がミニトマトの果汁を舌の上に広げている間に、紗貴が話しやすいように質問で誘ってきた。

むと掌与たなたうっていう未言だよ。指し食むは冷えた指先で相手の体温を奪うこと。掌与うは温かい掌を相手に当てて体温を分け与えること」

「へぇ。真逆の意味なのね。指し食むって、すさむっていうのと同じ仲間なのかしら?」

 牧は紗貴の推測に頷きを見せる。昔、指し凄むの事も話したっけかと、牧の方が完全に忘れていた。

 牧が思い出せないのは、きっと特別に意識したのではなくて日常会話の流れで話したからだろう。でも紗貴はそんな当たり前の中にあったものも大切に記憶に仕舞っておいた。

「そういや、騅に掌与うは俺に相応しい未言だって言われたな」

「へぇ?」

 どういう事、と紗貴の瞳が詳しい内容を求めて来る。

 しかし、騅に言われた話は牧とはしては随分とこそばゆいものだ。それを紗貴に話すとなると照れてしまう。

 それでも紗貴に手を取られてじっと見詰められてしまったら、食事を三口運ぶのが抵抗の限界であっさりと口を割ってしまうのだけれども。

「掌与うは熱を与えることで、熱っていうのは命や生きてることそのものだそうだ。だから、人に命を分け与えるって、騅は俺がそういう人間だと思ってるんだとさ」

「なるほどね」

 紗貴の熱っぽい頷きは、騅の意見に同意していた。

 そんな態度をされたらどんな顔をしたらいいのか分からなくて、牧は火食ほばむ顔を背けて右手で隠す。

「じゃあ、今はその牧の熱っぽい命を私が美味しく指し食んであげるわね」

 紗貴の右手の指がにぎにぎと蠢いて、牧の左手を咀嚼してくる。

 気持ち悪くて心地好い。牧は紗貴に為されるが儘にされる。

「お、牧くんみーっけ……あれ、もしかしなくてもお邪魔かな?」

「……いや、たぶんたすかった」

 そんな場面で呑気に声を掛けて来たのは数彰だった。太い指を開いては閉めて挨拶代わりに見せていた彼は、テーブルの上で繋がっている二人の手を見て目を丸くしている。

 憔悴した牧はいつもとは違って乱入を求めた。

 数彰は視線を流して紗貴の様子を伺った。馬に蹴られたら図体の太い彼だって簡単に吹き飛ばされる。

 身の保身を確認する数彰に対して、紗貴は何も気にした様子もなくにこりと微笑み返した。

 この場の支配者に話し掛けるを許されて数彰は鞄から二枚のチケットを牧に差し出した。

「なんか怖いから要件だけで。ほい、クリスマスプレゼント。一枚三千円のところ、二枚で千五百円であげるよ」

 牧が視線だけでチケット確認すると、それは数彰達のバンドが十二月二十四日の夜に開くライブのものだった。数彰達以外のバンドも演奏する対バンライブだ。

「いいのか? 差額自腹でしょ?」

 数彰達はそこそこ人気がある。牧に二枚も割引で譲らなくても正規の値段で今回のライブハウスを満席にするのだってあと一ヶ月もあるのだから出来る筈だ。

 けれど数彰はにこやかにそのチケットを牧の胸に押し付けて来た。

「いいって、いいって。言ったろ、クリスマスプレゼント。彼女と一緒においで」

 そういって数彰は紗貴に向かって愛嬌のあるウィンクをした。

 紗貴は軽くお辞儀をして感謝を示す。

「あ、でも騅も行きたいとか言い出しそうだし、あと二枚くらい――」

「まーきくん」

 どうせ紗貴とデートするなら駒と騅も付いてくると思って、牧は二人の分も数彰からチケットを買おうとして、当の数彰に差し止められた。

「せっかくのデートに他の女の子連れていくのは違うでしょ。優しいのは君のいいとこだけど、スイちゃんだってそんな子供じゃないんだから。二人で楽しい夜を過ごしてほしくて、チケット用意したんだぜ? スイちゃんやお姉さんに頼まれてもオレからはチケットは融通しないよ」

 数彰は呆れ顔でそう伝えると、後ろ手を振ってその場を立ち去った。

 柄にもなく男らしい態度を見せる友人の背中を牧は呆然と見送るしか出来なかった。

 数彰が学食から出て行った後に、牧は押し付けられて手に納まったチケットをぼんやりと見る。

「えっと、紗貴、この日の夜は空いてる?」

「もちろん」

 友人に背中を押されて、牧はクリスマスイヴに紗貴とのデートを取り付ける事が出来た。少なくともライブの間は二人きりになれる夜を約束された。

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