迷惑はいつも突然に
牧は授業前の教室で友人達とたむろして下らない話に興じていた。
昨日のテレビのクイズ番組で答えが秒で分かっただとか今週出た雑誌のグラビアアイドルがエロ可愛いとか昨日発売したばかりの漫画週刊誌で連載されてる作品の引きが気になりすぎて来週まで待てないとか、そんな他愛ない話だ。その合間合間で次の授業で提出しなければならないレポート課題の見せ合いがあちこちで行われているのが混沌を後押ししているくらいだ。
牧は自分の姉のグラビア写真を見ながらこんな美人と付き合いたいとかぬかしてくる友人に、お前には無理だよと笑い飛ばした。その笑いが引いたところで、窓の外に視線を移す。
会話の隙間で、今日は
校舎横に植えられた欅が黄色く染まった細い葉を散らして
雨と言いながら乾いた綺雨の降る様はいかにも秋らしくて物寂しい。
〈乾いた綺雨に打たれる度に〉
そんなフレーズが牧の脳裏を過ぎった。
歌詞の出だしとして良い感じに思えた。雨に打たれて濡れる哀しさや惨めさを歌うものは多いが、乾いた綺雨に打たれた人は何を思うのか。雨に似るのか、雨とは離れているのか。
牧はスマホのメモに思い付いたフレーズを打ち込んだ。これは少し、騅に食べさせて失ってしまうには惜しい。他に何か探しておかないといけない。
「お、なんだまた歌詞思い付いたのか」
牧の手元を覗いて友人の一人が語り掛けて来た。
「ワンフレーズだけ」
牧は素っ気なく返してスマホをポケットに捻じ込んだ。
一節だけの文言じゃまだなんにもならない。そこからどれだけ歌詞で世界を広げられるか。
それに失敗して結局お蔵入りにしてしまったフレーズだって山程ある。
「でも、アトマすげーじゃん。自分で書いた歌詞をバンドで歌ってもらってんだろ?」
「まぁ、それはありがたい限りなんだけどさ、実際」
あと一音くらい発音してもいいだろとか、そもそも下の名前だけ呼び捨てにした方が短いだろとか、最初の頃こそツッコんだものだが、牧も半年以上経ってすっかり慣れてしまった。
友人達からすると、昭和の鉄腕ロボットと同じイントネーションで発音するのがクセになるらしい。
「次のライブとか決まってんの?」
「下北沢にある馴染みの店では月一回は演奏してるけど」
「え、すご」
「この話をお前とするの、三回目だぞ」
「そうだっけ?」
人に興味があるんだかないんだか分からない友人に牧は苦笑を零す。悪い気はしてない。少し心地いいくらいの距離感だ。
かったるい授業前にリラックスするにはこれくらいどうでもいい感じがちょうどいい。
「牧ーーーーー!」
そんな牧の平穏を廊下で上げられた雄叫びが掻き消した。
この二週間足らずですっかり聞き馴染んだ声に牧は冷や汗を垂らす。
声が響いてきた教室の入り口には既に注目が集まっている。
「アトマ、なんか可愛い子がお前を呼んでるけど」
ずっと牧と喋っていた友人が逸早く状況を飲み込んで牧に声を掛けた。
授業を受ける生徒も大分集まっている教室でこんな目立つのは頗る嫌なのだけれど、時間が巻き戻らない限り牧には打つ手はない。
それで動けないでいる牧に向かって騅は駆け寄ってきて、あろうことか抱き着いてきた。
「良かったー! 牧に会えたー!」
ぎゅっと抱き締めて来て何故か感極まっている騅とは裏腹に、牧の目からはハイライトが消えて顔に陰が落ちる。
まだ半年しか通っていない大学で深刻な社会ダメージを受けて牧は気が遠くなりそうだった。
「え、なに。カノジョ? アトマ、サキちゃんは諦めたのか?」
「質問は一回につき一つにしろよ。こいつは彼女じゃないし、俺が好きなのは紗貴だけだ」
「ま。相変わらず一途なことで。ところで、そうなるとこの状況は浮気にしか見えないんだけど釈明は?」
牧だって釈明をするような事態にはなって欲しくなかった。しかも授業が始まるまであと十五分だ。その短時間で面倒臭い騅との関係を友人に説明し、騅を教室から追い出すだなんて苦労をどうして突然被らなければならないのか。
両方を達成するのは無理だと牧は判断して、まず円滑に授業が行われるために邪魔になる騅の対処を優先する事に決めた。
友人への説明は後回しにして、周囲は一切無視して騅の手首を掴む。
「ちょっと表に来い」
「わ、え、はい」
周囲の注目を全て集めて教室を出て行く事になった牧はそれはもう大きな溜め息を吐いてから騅に向き直った。
「騅、どうした。まさか家の鍵開けっ放しで来たのか?」
「ううん。鍵、ほら、駒に貰ったの」
騅がケースから鍵を取り出して牧に見せた。
牧もお姉ちゃんが言っていた合鍵がもう用意出来ていたのかと納得する。
「おけ、家の心配ないのは分かった。でもなんでわざわざ俺のとこに来た。家に帰れば会えるだろ」
騅に急ぎの用事があるとも思えなくて、牧は不機嫌を隠しもせずに問い詰める。大勢の前で変に目立つのは誰だって嫌なものだ。
「それはその、だって……外を一人でいたら、牧に会いたくなって……」
騅は俯いて指をもじもじと合わせながら気持ちを白状した。
小柄で愛くるしい見た目であるのは確かなので、牧もそんな態度を見せられると沸いていた怒りも水を差したように急速に萎んでいく。
「ったく、よりにもよって授業前で人目が多いとこで大声出して。ん? てか、どうやって俺の居場所見つけたんだ?」
「え、牧の美味しそうな匂いと気配を頼りにして」
そういう事をさらっと言われると、騅って人外だったんだよなと思い出される。
普段の生活も見た目も人間と遜色ないのでどうしても人間の常識で判断し勝ちだが、そんなもので捉われる存在ではないのだ。
しかもまだ一歳のせいか、本人も常識が疎いと来ている。
「ああ、もう分かった。でももうすぐ授業始まるから、終わるまでどこかで待ってろ。ケータイは持って来てるか?」
騅は待っていろと言われて難色を表情で示すが、黙ってシルバーグレイのスマートフォンを両手で持って牧に掲げて見せた。
「授業終わったら連絡する。取りあえず、ここにいると周りが煩くなるから構内でも探索しててくれ」
「えー」
「文句言うな。連絡しないで来たお前が悪い」
牧に正論を言われると騅も不満を飲み込むしかなく、むー、と顔をくしゃくしゃにしながら牧に背を向けて歩き去っていった。
「全く、面倒ばっかかけて」
牧はちらちらとこちらに振り返ってくる騅に、しっしっ、と手を振って追い払ってから最後にもう一度溜め息を吐き出した。
踵を返して教室に入ると、再び衆目が牧に突き刺さる。
努めて堂々と普段通りを装ってその視線達を黙殺して牧は元の席に戻る。
「で、あの子、なんだったん?」
「……最近家で預かることになってな」
さっきまでの会話と打って変わって好奇心を隠そうともせずに詰め寄ってきた友人に、牧は冷たい声で差し障りない事実だけを返した。
その後すぐに教授が入室して授業開始のチャイムが鳴ったのが、牧にとって何よりの救いだった。
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