出会いはいつも突然に
校舎を出た
騅は行く宛もなく
授業っていうのはどれくらいで終わるんだろう。そんな事も唯は分からない。
どれくらい時間を潰せばいいのか、どのくらい遠くまでなら言ってもいいのか、なんにも分からない。
騅は石畳に降り積もった橡の葉を蹴っ飛ばした。
ざわりと茶色の朽ち葉が膝の辺りまで舞い上がって、空気に捕まりながらふらふらと落ちる。ちっとも楽しくなかった。
心此処にあらずのまま、とぼとぼと歩いていたら門まで来てしまった。構外に出てもした方ないので騅は踵を返す。
なんとなく来た道をそのまま戻る気にならなくて、騅は門の横の建物の隙間を通り抜ける。
「みゃあん」
(あなた、だいじょうぶ?)
ぴたりと騅の足が止まった。
耳に届いたのは紛れもなく可愛らしい猫の鳴き声だった。
でも言葉を食べる種族であるために言葉に鋭敏な騅には、しっかりとその鳴き声に込められた言葉を、意思を汲み取った。
「え?」
騅は驚きと共に声の主へと視線を降ろす。
猫だ。見間違える筈もなく猫だった。
背中の方が黒くて、お腹の方が白い。でも背中側も肩の部分だけ白く橋が掛かっている。じっと騅を見詰めて来る目は黄色味の強い緑で綺麗だ。
その猫の横で子猫が二匹じゃれ合いながらちょこまかと走り回っている。
騅も放浪している間に猫を始め、犬とか烏とか
それなのに、今この親猫は騅を気遣った、ような気がする。気のせいと言われた方がしっくりくる事態に、騅の判断は無意識の内に偏った。
(あら、もしかしてわたしの聲が通じてる?)
でもそんな騅の正常性バイアスは、猫が小首を傾げて鳴き声なしに聲を伝えてきた現実にあっさりと打ち砕かれた。
「え、あの、ねこ……ねこちゃん?」
見た目は至って普通の猫だ。顔の造形が整っていて美猫だし、体付きもしなやかでメスらしく魅力的だ。
甘えた声を出されて擦り寄られたら撫でられずにはいられないだろう。
そんな彼女が牙を魅せて大きく欠伸をした。
(あなた、わたしに近いモノみたいね。まぁ、わたしは猫のまま成り変わったモノで、あなたは人間に似せてカタチを作ったモノみたいだけど)
猫は左前足でたしたしと地面を叩いた。
その仕草に呼ばれて騅は猫の前に膝を付く。
(寒くなってきたから、体温あるモノが来てくれて嬉しいわ)
親猫は仔猫を一匹、ひょいと咥えると騅の膝の上にぽんと放った。
「え、えっ」
大事な子供をいきなり預けられて騅は物凄く戸惑った。柔らかくて小さな温もりが膝の上に感じられて、壊してしまいそうで怖くなる。
そんな騅の心情を一切気にする事なく、親猫はもう一匹の仔猫も捕まえて今度はその仔を咥えたまま自分も一緒に騅の上に攀じ登った。
「ええええ!?」
騅の狭い膝の上は一匹の親猫と二匹の仔猫に占拠されてしまった。
(うーん、細くて丸っこくて、落ちそうになる膝ねぇ)
親猫は文句を言いながらごろんと器用に寝転がってお腹を晒す。仔猫達は嬉しそうに母猫のお腹に身を埋めた。
(こうしてるとお互いあったかいからお得でしょ?)
確かに騅も猫達の体温でぽかぽかしてきたけれども、それは全然構わないというか確かにちょっぴり幸せになってくるんだけども、そこじゃなくて。
「あなた……なにもの?」
「みゃ」
(猫よ)
わざとらしく鳴き声付きで彼女は答えるけれども、猫なのは見れば判る。問題にしているのは本質の方だ。
彼女はすりすりと頭を騅の膝の内側に擦り付けた。
(猫の化生だから、やっぱり化け猫というべきかしら。でも人間が思ってる化け猫みたいに人に化けるとか神秘が扱えるとかはないけれど)
騅が仔猫一匹に人差し指を差し出すと、暖かい口の中に頬張られて甘噛みされた。まだ柔らかさも感じる歯だけれど、細くて鋭さがあって気持ちいい痛みが走る。力がなくて皮も破れないから血が出たりはしないけれど。
(わたしは子を産むのが幸せで、それを繰り返すために今の在り方に成り変わったの。猫の体で最大限に子供を産む。頻度で言えば年に二回ね。そして子供を産めなくなったら死んで、子供達のどれかの胎に宿って生まれ変わるの。そしてまた子供を産む。そういう機構となったモノよ)
「永久機関……」
(幸い、ここは教授も生徒もお人好しが多くて餌にも困らないし、産んだ仔は定期的に引き取られて里親探してくれるし、わたしの在り方に最適な環境なのよね)
親猫は仔猫を抱き寄せて体を舐め上げる。仔猫はくすぐったいのか暴れるが彼女は我が子をしっかりと抱き締めて固定している。
騅はその様子を見ながら、長期的な生き方や生まれ変わり方は兎も角、やってる事は普通の雌猫だから正しく人畜無害なのかなと思った。
こうして人に懐いて癒しを与えているのならむしろ役に立っているのかもしれない。
(でもあなたは自分の在り方に苦しんでるみたいね)
ざり、と母猫の舌が騅の手の甲を擦った。
仔猫の毛繕いをして乾いた彼女の舌は、仔猫の牙よりも痛かった。
図星を突かれて、騅の心臓が跳ねた。
そんな騅の曇って俯いた顔は、膝の上から見上げる猫には見通しが随分と良かった。
(あなたがどういうモノなのかはまだ知らないけれど)
さりさりと彼女は騅の手の甲に頬擦りをする。
(人は猫に甘えられるだけで癒されるらしいわ。あなたも苦しくなったらわたしや子供達を抱きに来なさい。これから冬になるから暖をくれるのは大歓迎よ)
彼女は言葉を扱うし頭がいいし、どう考えても普通の猫じゃない。
けど普通の猫よりもっともっと優しい存在な気がした。
「あなた、名前は?」
「なぁ?」
(いろいろあるわよ)
さもありなん。野良猫の名前なんて呼ぶ人毎に違うものだ。首輪に名前が彫ってある訳でもないし。
(でも、わたしが神秘の側に至る因縁を与えた人は、なつ、と呼んだわね。人懐こいからって)
「なつ」
騅が呼ぶと、なつはわざとらしく猫らしく、にゃ、と鳴いてみせた。
なんだか揶揄われているみたいで、でもそれが楽しくて、騅は喉の奥を猫みたいに鳴らして笑った。
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