三人で帰る道
ずっと親猫一匹と仔猫二匹を膝に乗せたまま屈んでいるのも疲れてしまうから、
ここに移動するにもなつ達が降りてくれる事はなくて、一度腕に抱えてから座るとまたするすると膝の上に戻っている。
「気ままだ……」
(あなたもきままに生きると楽しいわよ)
「猫の立場で言われても」
(なんだってわざわざヒトのカタチになんてなってるのよ)
呑気に話している二個体を他所に、仔猫二匹はみゃあみゃあ鳴きながら騅の体を攀じ登ったりずり落ちたりして遊んでいる。騅はアスレチックの気持ちを味わう日が来るとは思ってなかった。
そんな事をしている間に校舎からチャイムが鳴り響き、遅れてぞろぞろと学生達が騅の前を通り過ぎていく。その内の少なくない人数が騅の方に視線を向けてくる。
知らない人達の注目を集めるのが恥ずかしくて、騅はなつに顔を近付けた。
(先客がいたらわたしに手を出してこないわよ。あんもくの了解ってやつね。ざんねんそうな顔してる子もいるけど)
なつの言う通り、みんな遠目に見るだけで通過していく。そんな人の流れを騅は緊張を覚えつつ見送っている。
「なんで急に人がいっぱい出て来たんだろう」
ぽつりと騅が呟くと、なつからじっと見詰められた。
「え、なに?」
(さっきのチャイムが授業おわりの合図なのよ)
授業の始まりと終わりはチャイムと呼ばれる音に寄って知らされるという、学生にとって当たり前の事を、騅は猫から教えられた。
授業が終わって人が動き出した。それはつまり牧も授業が終わったはずという事だ。
騅はポケットからスマートフォンを取り出そうとするけど、猫達が膝に乗っていてすんなりとは出せなかった。焦れったい。
やっとやっと取り出したスマートフォンを起こすけど、まだ振動もしてなければ通知も届いていなかった。
騅はしょんぼりとスマートフォンを握って左手をお尻の下に降ろして、右手の人差し指と中指でなつの喉をくすぐった。
指からごろごろとなつの喉が転がる感触が伝わって来る。
(誰かを待つ人間っていうのはいつも切なそうね)
「わたし、人間じゃないし」
騅はつんと唇を尖らせる。その顔は気にしてないと言われてもとても説得力がない。
「あら、騅ちゃん。こんにちは」
詰まらなそうな空気を出し始めた騅を見付けたのは、紗貴だった。
上から声を掛けられて顔を上げた騅は、紗貴を認識して瞳孔を丸く広げる。
「なんで紗貴?」
「そこ、理工学部棟。私が大学でいつもいるところよ」
そこ、と紗貴が指差したのは見上げる程に高く騅の視界を埋める目の前の建物だった。
なんとなく近代的な印象で騅の目には格好良く映る。
「すごーい」
語彙力を失っている騅に紗貴はくすくすと笑う。
「それで騅ちゃんはこんなところで何してるの?」
「牧を待ってるの」
なるほどね、と紗貴は頷いた。それから腕を伸ばして騅の膝の上に包まっているなつの背中を撫でた。
「マムと仲良くなったんだ。可愛いよね、この子」
近くに来た紗貴の手に仔猫が二人揃って纏わり付いて来る。
紗貴は慣れた感じで手を返したり滑らせたりして、仔猫の体に巧みに
「名前あるんじゃない」
(いろいろあるっていったでしょ)
騅が非難の声を上げても、なつは気にも止めずに瞼を閉じて微睡んでいる。
「猫とお話しなんて、可愛いね」
その様子を紗貴に見られてまた笑われてしまった。
騅は恥ずかしくて耳を赤くする。騅が一方的に話し掛けているんじゃないんだけれども、なつには話が通じるんだなんて紗貴に言ったらもっと微笑ましく
騅は腹いせにじとっとなつを睨むが、やっぱりなつには何の意味もなかった。
そこに騅の手の中でスマートフォンが振動して着信音を流し出した。
やっと牧からの連絡が来た。
「もしもし」
『悪い、遅くなった。今どこにいる?』
電話の向こうで牧は息を切らしていた。
騅は知る由もないけれど、授業後に騅との関係を聞き出そうと押し寄せてきた友人達を振り切った結果だ。
「えとね、門の近くの……んと」
騅はどう言ったら牧に居場所が伝わるのか分からなくて言葉を詰まらせる。
「騅ちゃん、ちょっと貸して」
すると紗貴が手を伸ばしてきたので、騅は素直にスマートフォンを差し出した。
「もしもし、牧? 私。そう、紗貴。ん。たまたま見かけたの。今、理工学部棟の裏にいるから。そう、いつも猫といるところ。うん。うん、そう。いいから、早く来なさい」
紗貴は牧との話を終えて、通話を切ったスマートフォンを騅に返す。
「すぐに来るって」
「ん。ありがとう、紗貴」
騅はスマートフォンを受け取って立ち上がろうと膝を立てる。ゆっくりと垂直へ傾く騅の膝の上から猫達はずりりと爪を立ててスピードを殺し、地面へとひょいと降り立った。
膝が軽くなった騅はスマートフォンをポケットに仕舞って屈伸をする。
仔猫達は膝から降ろされたにも関わらず、騅の足首に顔を擦り寄せてくる。
「すっかり懐かれてるね」
紗貴に指摘されて、騅ははにかんだ。嫌な気持ちはしない。
でも野良としてこんな警戒心がないのは心配になる。
(いいのよ、どうせこの子達は人の家に住むようになるんだから)
(……人の心を読まないで)
なつと騅は視線だけで言葉を交わす。
騅がなつを手放したから、今度は紗貴がその側に座り込んで艶のある毛並みを楽しむ。
「マムは、春に会った時から子供連れてたからマムって呼んでるんだけど、半年でもう次の子を産んだのよね。名前が似合ってくれていいけど」
紗貴は騅にそう紹介しながら目を細めている。本当に猫が好きなんだと見ていて分かる。
なんだかそれが羨ましくて、騅は紗貴の背中に抱き着いた。
「なに? 騅ちゃんも甘えん坊さん?」
肩越しに紗貴の手が伸びて来て騅の頭を撫でてくれる。その手付きが気持ち良くて騅も目を細める。
「なにベタベタくっ付いてんの、お前ら」
向こうから歩いて来た牧にそんな状態を白い目で見られた。
騅と紗貴は目を合わせて、騅はさらにぎゅっと紗貴に体を引っ付かせた。
「羨ましい?」
「やかましい」
騅が揶揄い混じりに声を掛けたら、牧に素っ気なくあしらわれる。
牧が登場して、なつが仔猫達をひょいと咥えて側の生垣の中に隠してしまう。
騅はその動きを視線で追った後に牧を見上げた。
「何、牧ってば信用されてないの?」
「文学部はこんなとこに滅多に来ないんだよ」
「わたし、今日初めて会ったけど仔猫付きで膝に乗ってきたけど」
「……動物近い気配を感じたんじゃないのか?」
何とも不毛な言い争いで、紗貴が白けた顔で牧を睨んでいる。
「待て、先に突っかかってきたのは騅だって」
「牧が信用してもらえないの、そういう往生際の悪いところだと思う」
「うっ」
紗貴の冷たい眼差しに牧は胸を打ち抜かれた。
地面に手と膝を付いた牧を、紗貴は勝ち誇った顔で見下す。
「騅ちゃん、ちゃんと敵は討ち取ったから」
「え、あ、うん。ありがとう?」
騅は別に牧をへこませて欲しいとは思ってなかったけれど、紗貴に逆らう方が怖くて抱いてもいない感謝を口にした。
「もういい。ほら、送ってやるから帰るぞ」
紗貴に負けるのも慣れたものなのか、牧は意外と早く復帰した。
しかし騅は送っていくという言葉に首を傾げる。
「牧は?」
「俺は今日、もう一限授業があるんだよ。連コマじゃなくて良かったよ、本当」
いつもならこの空きコマにレポート片付けるんだけどな、と牧は不平を漏らす。
それでも別に帰らなくていい家に一度帰ってくれると言うので、騅は不満を飲み込むしかない。
「騅ちゃん、私は今日もう終わりだから、牧が授業終わるまで家に来る?」
「うん!」
寂しさを持て余していた騅を見兼ねて、紗貴が一緒に居てくれると言ってくれた。
それが嬉しくて騅はその場でぴょんと跳ねる。
「騅ちゃんは感情表現が素直で可愛いね」
紗貴は自然に騅の手を取って歩き出す。
手を引かれる騅は牧の方を振り返る。置いていってないか心配になったのだけれど、牧はちゃんと二人の後ろに付いて来ていた。
三人一緒になって校門を出て坂道を降りて家を目指す。
「ん?」
牧が疑問の声を漏らしたのはそんな時だった。ちょうど太陽の光が騅の頭に差して、きらりと一筋だけ
「騅、その頭どうしたんだ?」
「え、何が?」
頭と言われても鏡がないと自分では確認出来なくて、訊ねられた騅も訊き返すしか出来ない。
牧は一歩二歩と跳ねて手を繋いで前を行く女子二人に追い付いて、騅の頭に手を伸ばしてぷつんと髪を一本引き抜いた。
「いった!」
突然走った痛みに騅が空いている方の手で頭を擦った。
涙目になる騅の目の前に、牧が引き抜いた髪を見せる。それは透き通って光をきらりと反射させる。
「ほれ、白髪。昨日まで一本もなかったのに、何本か出てるぞ」
無邪気に指摘する牧に対して、紗貴は嫌悪の強く浮かんだ眼差しを容赦なく向けた。
「うわ……女の子の髪の毛を抜いた上に白髪見せつけるとか、最低。死ねば?」
「そ、そこまで言うか!?」
途端に狼狽える牧に、紗貴は更に軽蔑の眼差しをくれてやった。
「髪は女性の命よ。騅ちゃん、可哀想に」
紗貴は騅のさらりと流れる髪を指で梳く。
確かに光にさらされて白いものが幾筋か見えるけど、それで乙女の髪を抜いていい理由になんてなりはしない。
「ほんっとにデリカシーないのね。そんなだから牧には彼女が出来ないのよ!」
「ぐはっ!?」
紗貴の罵倒は痛恨の一撃となって牧の心を打ち砕いた。
深刻なダメージに牧はアスファルトに崩れ落ちる。
「紗貴っ!? 牧が、牧が倒れちゃったよ!?」
「いいのよ。反省させなきゃ」
「牧ーーーーー!」
騅は地面に転がる牧に腕を伸ばすけれども、紗貴に手を引かれて彼を置き去りにしてどんどんと遠ざかってしまうのだった。
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