打ち合わせ

 下北沢のとある喫茶店、午後の日射しがテーブルに落ちる角席で牧は男一人、女一人と顔を突き合わせていた。

 テーブルの上には先日、すいに貰った原本を食べれてしまったので牧が手書きで音源から書き起こした歌詞のルーズリーフがある。さらにその横には五線譜に音符が散りばめられた紙も添えられていた。

「んじゃ、歌詞も曲もふうが考えたのを基本に軽く手直しって感じでいいな」

「あら、私みたいな素人の思い付いたままでマキもナギもいいの?」

 牧とは向かい合わせに座った女子が意地悪く笑った。

 それに牧は肩を竦めて隣に座る男子に視線を送る。

「俺は別に特別歌詞の勉強してる訳でもないし、風とそんなに変わらないって」

「僕だってまだ学生の身だからね。そも風の感性はそれだけで完成度高いもの出してくるし、敢えて手を加えるような自己顕示欲は持ってないよ」

 彼も牧に同意して優雅にコーヒーカップを口に運んだ。鈴城すずしろ凪左なぎさという名前の彼は、とある縁で牧の歌詞に曲を付ける音大生だ。作曲家の卵であり、ジャズの作曲と編曲を志望している。

 そしてその縁というのが、二人の向かいに座る女子が所属している学生ジャズバンドである。彼女は篠築しのつき風といい、都内の大学で文学部英文学科に通っている身であるが、先程二人が触れたように作詞と作曲にも才能を魅せている。

 勿論、ジャズバンドのメンバーは他にもいるけれども、今日は風が先日書き上げた〈Showerslamp hold us〉という曲の仕上げの相談なので三人だけが集まっている。

 とは言っても、牧が言った通りに風が寄越したものが余りにも出来が頗る良いのでこれからやる事は殆ど無い。

 特に歌詞については牧が心から称賛するばかりで、そのままで完成にしたい程だ。

 凪左の方が曲起こししたものを、歌詞が乗りやすいように多少手を加えるくらいだろう。

「なんか二人にそう言われるとちょっと恥ずいけど……まぁ、どうも?」

「どうも」

「どーも」

 何処かの刑事ドラマで主人公バディに対して正規の刑事が煙たがりながら返事をするのと同じトーンで交わされた声が何とも言えない空気を作り出す。

 しかし風が言う通り、折角集まったのにすぐに手持ち無沙汰になってしまったのも事実だ。

「でもマキったら、そのままで良いって言うならわざわざ書き写すんじゃなくて私が上げた紙を持って来たら良かったじゃない」

 風は揶揄い混じりに笑って紅茶で唇を濡らした。

 水を向けられた牧は、あー、と唸って首裏を掻いた。

「それがな、風に書いてもらったやつは、なんだ……そう、取られちまってさ」

「取られた? 私の歌詞が? 誰によ?」

 今までそんな事態は聞いた事がなかったので、風は野次馬根性丸出しで食い付いてきた。

 牧はバツが悪くて言い淀み、隣の凪左に助けを求めてアイコンタクトを送る。

 しかし凪左は整った顔立ちに微笑を浮かべて見返してくる。こちらも興味を引かれているようだ。

「私の歌詞が欲しいって言ってくれたんでしょ? ファンになってくれそうじゃない。教えなさいよ」

 風は身を乗り出して牧に圧を掛ける。吐くまで追い詰めて逃がさないという嗜虐心がにやにやと顔にまで出てきているのが、牧には恐ろしく思えた。

「ああ、まぁ、確かに風の歌詞を美味しいって喜んではいたけど」

「おいしいってなにそれ? 食べるの?」

 風に笑われて、牧はしまったと冷や汗を掻いた。咄嗟だったから騅が言った事をそのまま伝えてしまった。

 でも風はおかしな表現をする人だと言うだけで、実際に歌詞を食べられたとは思ってなさそうだ。まぁ、言葉を食べる人外なんてものを言い当てられてもそれはそれで怖いが。

「風は笑うけど、未言屋店主も素敵な作品を美味しいって書いてたりするよ」

 そこに助け舟を出してくれたのは、凪左だった。

 牧も彼に指摘されて、確かにそんな事を書いたエッセイや手記を見た事があると今更ながらに思い出す。

「あ、そうね、私もそれ前に読んだわ。誠言の巻頭言だっけ?」

「どうだろ。そこまでは流石にパッと出て来ないな」

 シャワーズランプという未言を歌詞に使用した風は当たり前だけど、凪左も未言を知っている人だ。というか、このジャズバンドのメンバーと作詞担当の牧、作曲担当の凪左の共通点が未言が好きであるという事なのだ。

 未言を知っている人間がそもそも少ないのに、そんな人間が集まってこうして一つのバンドになっているのはお節介で行動的なメンバーの功績だ。ちなみにそれに当てはまるのは一人ではなく二人だったりする。

 その二人が周囲から未言好きでジャズ好きな人物を集めて一つのグループにしたのだ。

 牧についてはジャズはそれ程でもなかったけれど、歌詞を書けるというのを聞き付けて取っ捕まった形だ。

「ん、待って。じゃ、その人も未言を知ってるの?」

「いや、元は知らなかったけど……教えたらすごく気に入ったみたいだ」

 実際は教える前から気に入っていたし、気に入るというのも食事としてなのだけれど、そんな話をするとさらにややこしくなるので牧は言い繕う。

 それでも風は顔を輝かせる。かなり好印象を抱いたようだ。

「せっかくだし、今度私達のライブに連れて来なさいよ」

「えぇ」

 風の提案に牧は難色を示す。

 最初の一度だけだけど、騅は牧の言葉を食べて記憶を失わせたのだ。

 風の歌声に我慢が効かなくなって食らい付き、その結果風が沈黙する、なんて事態も起きそうで気が乗らない。

「あ、なによ。歌声でちゃんと感動させる自信あるけど」

「だから怖いんだよ」

 実際、身内贔屓を差し引いても風の歌唱は素晴らしい。馴染みのジャズバーでもソロの歌だけで出て欲しいとオファーが来るくらいだ。

 そして風の歌が素晴らしいという事実は騅の食欲を強く刺激しそうだという懸念に直結する。

 風はまだ顔を歪ませる牧を不審そうに見た後に、何かを思い付いてぽんと手を打った。

「分かった、その人が私に惚れちゃうのが心配なのね! なに、男の子? 牧に心配されるって事はもしかして年下!?」

「ちげぇよ!」

 風の斜め上の勘違いに牧は勢い良くツッコんだ。

 どうしてこう自分の周りの女は、姉といい騅といい風といい色惚けばっかりなのかと、牧は痛む頭を手で押さえた。

「えー、じゃあなによ。レズっ気あるの?」

「そういう発想から離れろ、うちの姉ちゃんか、お前は」

「いや、駒さんレベルのブラコンと一緒にされたら困るわ」

 ブラコンと言われたらその通りなのだけれど、実際に駒の弟を長年やっている牧はそう言われるのに納得しかねた。

 顔を顰める牧に対して、風はふんす、と鼻を鳴らした。

「分かった。牧がその人を連れて来たいと思うくらいのものにしてやるんだから、後悔しなさい。ほら、ナギ、曲考えよ」

 ひっそりと楽しそうに事態を眺めていた凪左の方に、風は二枚の紙を滑らせた。

 凪左は牧に労わるような眼差しを向けてから指を歌詞に伸ばす。

「風の歌が良いから出だしはソロがいいなって思ってる。他のメンバーは風の声を聞かせた後に響かせたいんだ。雨の音が突然耳に入って来る、みたいにね」

「いいね。ちょっと私が目立ち過ぎな気もしないでもないけど」

「実際、風のデモテープはそれだけで配信してもいいくらいの出来だったし、この曲は風メインってことでいいんじゃないか? 他の奴らもそれぞれ魅せのある曲あるんだしさ」

 風が他のメンバーへの気遣いを見せるので、牧は凪左の後押しをした。

 牧は風から貰った音源を通学や勉強の時に聴いているくらいに気に入っている。彼女の歌声を聴いていると集中力が上がる気がするのだ。

「いっそ風のソロと楽器ありバージョンと二つ書いちゃおっか?」

「え、そんなの、ナギが大変じゃない?」

 茶目っ気たっぷりに提案する凪左に風は困惑の顔だ。

 二、三分の曲だといっても作り上げるのには何日も何週間も時間が掛かる。凪左にも学校の課題があるのだから負担を掛けられない。

「大丈夫、ソロの方は正直僕が手を出す隙もないし、それでほぼ完成だから。作業的には一曲分だよ」

 凪左はあっさりとそんなふうに言って気楽な態度を見せる。

 それなら、まぁ、と風もそれ以上は口を出せなくなった。

 これはまた良い曲が出来そうだなと牧は一人外野気分でコーヒーを飲み干した。

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