家族の団欒

 今日の晩ご飯は牧が炊いたご飯にレトルトカレーだった。

 すいは掃除の時に食べたのでお腹が膨れていた。

「騅ちゃん、今日はお掃除してくれてありがとうね」

「うん」

 カレーを食べている駒に褒められて騅はくすぐったそうに、はにかんだ。

「でも、牧には叱られちゃった。勝手にお部屋に入っちゃったから」

「牧くんのお部屋もお掃除してくれたの?」

 駒は騅に顔を寄せてそっと耳打ちをする。

「エッチな本あった?」

「ううん、一冊もなかった」

 事実を知って駒はそれはもうすごく残念そうな顔をした。

「姉ちゃん、騅の情操教育に悪い話しないでくれるか。あと俺のプライベート」

 黙々とスプーンを口に運んでいた牧も今の話は聞き捨てならなくて、こめかみに青筋を浮かべている。

 そんな連れない弟に駒は服を持ち上げる胸をさらに張って見せつけた。

「お駒はオープンな家族を目指しているからね!」

 何を言っても無駄だと悟った牧は諦めの溜息を吐き出してコップの牛乳を飲み干して立ち上がった。

「あ、お姉ちゃんの分もお願い」

「はいはい」

 牧は駒が差し出した飲みかけのコップも受け取って冷蔵庫まで足を伸ばした。

 そんな姉弟の当たり前のやり取りの間、騅はずっと駒を丸っこい目で見詰めていた。

「あや? 騅ちゃん、どうしたの?」

「かぞく……?」

 騅はぼんやりとした声を漏らした自分の口許を指差した。

 駒はほんわかと笑みを浮かべる。

「一緒に暮らしてるんだもん、騅ちゃんも家族だよ。家事だってしてくれてるし、お互い助け合ってるじゃない」

 駒の真っ直ぐな言葉に、騅は花のように喜びを綻ばせた。そわそわと体を揺すり、牛乳を入れて戻ってくる牧をちらちらと見る。

 牧はそんな居候を一度は無視して自分と姉の席にコップを置いて食事を再開させる。

「牧くんも、騅ちゃんのこと家族って思ってるよねー?」

 でも一切触れずに逃れるのは、厳格な姉が許してくれなかった。

 牧は気難しそうに目尻に皺を寄せて手にしたスプーンの尻でテーブルを落ち着きなく突く。

 黙っている牧に、二人分の視線が容赦なく突き刺さる。

「あーもー。手のかかる妹みたいには思ってるよ。これで満足か!」

 怒鳴り散らしてからカレーを掻き込む牧の態度に、騅と駒は顔を見合わせてくすくすと幸せそうに楽しそうに喉を鳴らす。

「牧くん、お部屋をお掃除してくれたの、騅ちゃんにありがとうってちゃんと言ったのかなー?」

 駒はにやにやと意地悪く笑ってさらに弟に追撃を仕掛けた。

 牧はスプーンをちょうど口に入れたところで止まった。思い返せば、お礼は言ってない気がする。

 確かに親しき中にも礼儀あり、相手が居候だろうがなんだろうがちゃんと感謝を伝えるのは大事だ。しかしこの空気の中でそれを口にするのは頗る嫌だ。

 そんな葛藤で牧は秋の冷えた夜の中だというのにだらだらと冷や汗を流す。

「牧、汗凄い。そんなに辛いの、それ?」

 そしていまいち牧の心情を分かっていない騅が見当違いな心配をして顔を覗いて来た。

 丸っこい目が不安そうに伏せられているのが間近に迫って、牧は息が詰まる気分になる。

 こんな目でずっと見られているなんて、牧には堪えられなかった。

「いや、そうじゃない。その、部屋キレイにして、ありがとう」

 言い終わると同時に牧は顔を背けたから、またはにかんだ騅の顔は見れなかった。

 しかし、お手伝いをすると褒められる、大事にして貰えると覚えた騅は気分が良くて、もっと二人に役立ちたいなと考えを巡らせる。

 そしてはたとテーブルに並ぶ食事を見て気付いた。

 今日はレトルトカレー、昨日は駒が買って来た駅弁、一昨日は牧の作った出来合いソースを掛けたスパゲッティ。

 騅はこの家に来てから、まともな手料理を見た覚えが全くなかった。

「え、もしかして二人共、料理出来ない……?」

 騅が真実に気づくと、安登姉弟は揃って愛想笑いを浮かべた。

「お好み焼きとかなら作れる」

「牧、それ混ぜて焼くだけ」

「一回コンロを爆発させちゃったんだよねー、あはは」

「それむしろどうやったの、駒!?」

 牧の方は兎も角、駒の話は詳しく聞くのが怖くなって、騅はがくぶると肩を震わせる。

 騅だって駒に買ってもらった本を読んだり昼間にドラマを見たりして、キッチンがそう簡単に爆発するものじゃないのは知っている。そんなことになったら世の中の料理はみんな命がけになってしまう。

 騅は恐怖でごくりと唾を飲み込んだ。でも思った通りそれは、騅がいっぱい役に立てるチャンスでもある。

「それなら、明日からわたしがご飯を作ってあげるよ!」

 騅が勢い良く自分の考えを宣言すると、牧は疑わしそうな目で見返してきた。

「お前、料理したことあんの?」

「ないよ!」

「止めとけ、ボヤ騒ぎは一回で十分だ」

 牧は過去の惨事を思い出して素気無く騅を止める。

 でも一度決意した騅がそう簡単に引き下がる訳もない。

「だいじょうぶ! 牧ったら忘れたの? わたしがお料理の本食べたらその通りに美味しいの作れちゃうんだから!」

「……なるほど?」

 そう、騅にとって学習は一を与えたら十を吸収するものだ。単純な知識じゃなくて体を使う実践でもその有為は覆らない。

「そうすると、騅ちゃんにフランス料理の本とかを買ってあげたら一流レストランの味が家でも楽しめるのね」

「任せて!」

「食材の金額考えろ、バカ姉とバカ妹」

 女子二人が調子に乗っているのに対して、牧は生活のこと考えろと窘める。

 それでまた自分の提案が止められると思って、騅は慌てて身を乗り出した。

「でもでも、お弁当とかばっかりだし飽きちゃうし、自炊した方が節約になるってテレビで言ってたよ!」

 折角、家族のために役立てるチャンスを騅は逃したくはなかった。

 途端に牧は困り顔になる。心配が先に立ってしまっただけで、手料理が食べられるのが嬉しくない訳ではないのだ。

 そんなそんな弟と妹の攻防を駒だけは一歩引いて楽しそうに観戦していた。

「分かった、分かったから。簡単なのからやってくれ。怪我とか事故には気を付けて」

 そして駒の思った通り、優しい弟の方が折れる結果になる。それだけで胸がいっぱいになって、お姉ちゃんはお酒が美味しく飲めそうな気分だ。

「それなら、牧くん明日は午前だけでしょ? 大学の後に騅ちゃんと一緒に本買ってあげてついでに食材も買っておいでよ」

「うん!」

 駒の後押しに、頼まれた牧ではなく騅が元気良く返事する。

 もう逃げられないように追い詰められて牧はこそばゆそうに苦笑いを浮かべた。

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