サプライズデート

 次の日はお出掛け日和の快晴で、秋の良く冷えて乾いた空気の中をすいは牧の手を引いて車まで急ぐ。

 講義終わりで昼食前の牧は、欠伸を噛み殺してお腹を擦りながら為されるがままに引かれていた。

「おっそーい」

 安登あと家の若草色の軽自動車、その運転席のドアに寄りかかった人物が牧に文句を垂れた。

 そこにいた予想外の人物に牧はぴたりと足を止めて、騅の腕が後ろに引っ張られてがくんと背中を仰け反らせる。

「ちょっと、騅ちゃんがあぶないでしょ」

 二人を待っていた彼女は呆れた顔で容赦なく牧に非難を飛ばす。

 しかしそれ以上に物申したいのは牧のほうだった。

「なんで紗貴がここにいるんだよ!?」

 牧に何故と問われて、紗貴は丸っこい目で彼を見詰め返す。

「え、昨日騅ちゃんに誘われたから」

 紗貴から真実を教えられて、牧はバッと騅に首を向けた。

 騅がにやりと駒みたいな笑みを作る。

「サプライズデートっ」

 楽しげに宣言する騅にイラッとして牧はその頭にゲンコツを落とす。

「いたーい!」

「お前、さっそく余計なことするなよな!」

 牧に殴られた痛みで騅はその場でしゃがんで頭を抱える。

 その横で顔を赤くしている牧のところまで、紗貴はスタスタと歩み寄って来た。

 牧が紗貴に目を向けると、紗貴はちょいちょいと指を振って牧に頭を下げるように指示する。

 瞬きをしながらも牧は素直に頭を紗貴の前に差し出して。

 紗貴の手が空を切り、スパーンっと大きな音を牧の頭頂部で鳴らした。

「いってー!」

「女の子の頭殴るなんて最低よ。反省なさい」

 牧に氷雨のような冷たい言葉をぶつけてから、紗貴は騅のそばにしゃがんで頭を撫でてあげる。

「騅ちゃん、かわいそうに。悪い奴は退治してあげたからね」

「あうぅ、紗貴ー!」

 騅は優しくしてくれる紗貴にべったりと飛び付いて、紗貴もそんな騅をぎゅっと抱き締めて背中を擦る。

 一人、蚊帳の外で元凶である牧はヒリヒリと痛む頭と胸に立ち尽くすしかなかった。

「あ、そうそう。はい、鍵ちょうだい」

 騅を抱えながら紗貴は当たり前のように牧に手を伸ばした。

 牧はグッと声を詰まらせながらも車のキーが入ったポケットを生地の上から押さえてみっともなく守ろうとする。

 騅は紗貴の腕の中で丸っこい目で不思議そうに二人のやり取りを眺める。

「牧が運転じゃないの?」

「こやつ、夏に免許取ったばっかりだから。そんな奴に騅ちゃんの命は預けられない」

 紗貴が容赦なく事実を暴露されて牧はざくりと心臓を貫かれた。

「紗貴と牧は同い年なのに、紗貴の方が運転上手なの?」

「ふふ、紗貴お姉ちゃんは大学を推薦合格したから、去年の冬に合宿で免許取ってるんだよ」

 さらに紗貴と違って一般入試でなんとか同じ大学に合格を勝ち取り、運転という女子より男子の方が得意だろうと思われている運転技術でも敵わないと暴露されて、牧の情けないプライドはすっかりズタズタに割かれた。

「ほれ、変に意固地になってないで早く鍵渡しなさい、この荷物持ち」

 荷物を持つしか役に立たなないと罵倒されて牧は地面に崩れ落ちた。

 砂利敷の駐車場だから膝が痛そうだなんて、騅は呑気に牧を見て思う。

 かくして鍵は強者の手に渡り、騅は住宅街の中で自然の摂理を学んだのだった。

 そんな一悶着があったものの、三人はやっと車に乗った。

 紗貴が運転席、助手席は騅、牧は後部座席に納まる。

「わたしこっちでいいの?」

 騅が後ろに振り返ってそう訊ねるけれど、牧はムスッとして窓の外を眺めていた。

「いいの、いいの。たまにしか会えないんだから、今日は私の隣にいてね?」

 紗貴はシートを前に出した後に左手をミラーに伸ばして位置を調節してから、エンジンのスイッチを押し込んだ。

 紗貴の運転で車は滑らかに発進する。

「でも本当に紗貴が付き合う必要があったのかよ」

 この期に及んで、まだ拗ねている牧は不満を漏らす。

「何言ってるの。牧がちゃんとした料理の本を選べるとは思えないし、食材もてきとうに選ぶでしょ」

 でもこうやって言い負かされてすぐ黙ることになるのだから、いい加減学習すればいいいものを。

 小さい頃から変わらないんだよなぁ、と紗貴は運転しながらバックミラーで牧の様子を見て苦笑する。口が弱いくせに負けず嫌いな幼馴染はドアのインサイドハンドルに肘を立てて手の甲に口を押し当てている。

「てか、何気に仲良くないか。いつの間に」

 今度は嫉妬かなと思いながら、紗貴はミラーから視線を外して前の信号に視線を向けた。

「駒も牧もいない時に、たまに紗貴の部屋にお呼ばれしてくれるの。おやつ貰ったりしてる」

「スマホで連絡先も交換したもんね」

「うんっ」

 女子二人の仲睦まじい様子に一人後ろに座る牧は少なからずショックを受けていた。

 片方は無邪気さ故に気付かず、片方は気付いているけれど敢えて無視して、楽しく二人だけでお喋りに花を咲かせる

 騅が紗貴の家で食べた手作りのお菓子が美味しかったと燥ぎ、紗貴がその作り方や雑学なんかを騅に教えている。

「え……お前、食いもんには興味ないんじゃなかったのか……」

 家では食事の時間も、牧達が食べるのを見ているだけでお喋りばかりしているのに。

 隣では普通にお菓子を食べてお茶を飲んでいると知って牧は愕然とする。

「え、だって……」

「そりゃ、食べれればそれでいいって感じの駒お姉ちゃんや牧の食事と、美味しく食べたい、食べてほしいって作ってる私の手料理じゃ詰まってる想いが違うわよ。比べられるのすらこっちからしたら不本意よ」

 騅は言い難そうに言葉を濁したが、やっぱり紗貴が容赦なく牧の思い上がりを貶す。

 騅は言葉を食べるが、その美味しさには想いに比重が置かれているのを、紗貴は完全に理解していた。

 勝手にずーんと沈む馬鹿な牧を紗貴は放置して運転に専念するけれど、騅は後ろに身を乗り出して心配そうに見ている。

 騅の背中でシートベルトが買ったばかりの服を撚れさせているが、紗貴は前を向かせるのも良くないかと穏やかにアクセルを緩める。

「でも牧のくれる言葉が一番美味しいからね?」

 しゅんとした騅から牧の頭上へとそんな言葉が降って来た。

 それが届いた瞬間、牧の耳が真っ赤に染まる。

 前が眩しくて牧は余計に顔を俯けて恥ずかしさに震える。

「そ、そうかよ」

 紗貴は、嬉しそうにしちゃってまぁ、と握ってハンドルを親指だけで撫でた。

「騅ちゃんってば、罪作りね」

「え……。えっ!? うそうそ、わたしなんか悪い事した? 悪い事しちゃったの!? ごめんなさい!」

 紗貴はちょっと揶揄うだけのつもりだったのだけれど、予想を遥かに超えて騅が慌てふためいて牧と紗貴を交互に見て来る。あまりに勢いが強すぎて首を振る音が聞こえてくるから、紗貴は申し訳ない気持ちになってしまう。

「あはは。違うよ、騅ちゃんはいいことしたんだよ。ね、牧?」

「……ノーコメント」

 牧はむしろ自分がここにいる必要がなかったんじゃないかと、同行したのを後悔している。

 そんな牧を見下ろして、結局、良いのか悪いのか分からず仕舞いになっている騅は怯えで瞳を暗くしていた。

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