吸言鬼ちゃんのやりたいこと

 安登あと家の食卓にカレーが盛られた大きな皿が二つと小さな器が一つ並べられる。

 湯気立つ香りに牧は少なからず驚いて瞳孔が少し大きく開いていた。

「これ、お前が作ったの?」

「うん、紗貴に教えてもらってね」

 すいは得意満面でいる。お米だって騅が炊いて、よそったのも彼女だ。自分の手で家族に食事を全て用意した。その事実が騅の胸で暖かく灯っている。

「ほら、冷める前に食べないと」

 駒も嬉しそうに頬を緩めて、動作が遅くなっている弟を急かす。もう待ちきれないでいて、見えない尻尾がぶんぶんと振れているような雰囲気だ。

 牧はいつになく子供っぽい態度の姉に呆れながらも手を合わせた。

「いただきます」

 騅も二人の真似をして。

 三人揃って食事を始める。

 真っ先にカレーを口に運んだのは駒だった。頬張った瞬間に目を輝かせて深く頷くような仕草で口の中に入った騅の手料理を噛み締める。

「おいっしー!」

 それはロケットが飛び立つような勢いの歓声だった。

 騅は嬉しさで体を揺すり、牧の顔を見詰める。

 ちょうど口にスプーンを入れたところだった牧は、目元を顰めながら緩慢にスプーンを引き抜き咀嚼を始める。

 その間も騅の視線は外れない。これは感想を言うまで引き下がらないやつだ。

 それが分かるからこそ、牧はカレーを飲み込み言葉を出すのを大いに躊躇っている。

 いつもと比べ物にならないくらいにゆっくりと丁寧に米とルーを噛み、噛み続けている間に子供の頃、ご飯は三十回噛むようにと教えられた標語を思い返す。

 いつしか騅だけでなく、駒からもにまにまとした視線が牧に注がれている。

 いいから自分の食事を進めろと声を大にして言いたい。

 酷く居心地の悪い一口を、牧はようやく観念して飲み込み牛乳を口に流し込んだ。

「どう」

 騅が前のめりになって牧に迫る。

 その圧に耐え切れず牧は顔を背けた。

「まぁ、うまいよ。普通に」

 駒が時折奮発して買ってくる高級ホテルのテイクアウトカレーとは比べるべくもないけれど、スーパーで纏め買いしているレトルトカレーよりは騅のカレーの方が美味しいと素直に思えた。野菜や肉がごろごろしてて食べ応えあるのが、若い男子の心にクリティカルヒットだ。

 それでもすごく美味しいと言えばうざったい展開が予想されて、牧から出た言葉は当たり障りのない体裁を取り繕っている。

 それでも騅は満足そうに口の端を持ち上げていた。

「なんと今日は紗貴も同じの食べてるんだよ。嬉しい? ねぇ、嬉しい?」

「お前はなんでそう余計なこと言ってくるんだよ。ふつーに食いにくくなるって」

 どっちにしろ騅の絡みはうざかった。

「えー」

 牧が心底嫌そうにドン引きしているのを見て、騅は不満そうに口を尖らせる。

「好きな人と同じものを食べてるって、それだけで幸せじゃないの?」

「お前、いつの間に少女マンガなんか食ったんだ、とっととその知識吐き出せ」

 牧は近くに寄ってくる騅の顔を左手で押し退けて元の位置に戻し、憮然と食事を再開する。

 騅は牧を指差して駒にどう思うと訴えるけど、駒は騅を愛想笑いで宥める。

「男の子も割りと繊細なんだよ、分かって上げて」

「恥ずかしがり屋っていうのはヘタレの言い訳にならないと思うの」

 女子二人に目の前で言いたい放題されて、牧は噎せた。

 牧は恨めしそうに騅を睨むが、騅は素知らぬ顔で自分の分のカレーに手を付けた。

「そういや、今日は騅もカレー食うんだな」

「うん、美味しいから」

「ふーん。自分で作ったのに?」

「心込めて作ったもん」

 牧に揶揄されて騅は頬を膨らませる。

 でも牧もそんなに深く考えずに口を挟んだだけなので肩を竦めただけで受け流した。

「でもほんとに美味しい。毎日でも食べられちゃいそう」

 そこに駒の素直な言葉が差し込まれて食卓を和ませる。

「明日からも毎日わたしがご飯作ってあげるから、楽しみにしててね」

 そう決意を語る騅は楽しそうだった。家族のために料理をするというのは思っていた以上に彼女の気質に合っていたようだ。家事の手伝いだって率先してやっていたのでその片鱗は確かに見えていたけれども。

「あら、よかったね、牧くん」

「なんでこっちに振る。どっちかっていうと食費が節約されて嬉しいのは姉ちゃんの方でしょ」

「いや、お姉ちゃんは別にそんなお金貯めたいとか思ってないから」

 相変わらず金銭に頓着しない駒である。浪費癖はないけれど、必要なら躊躇いなく、そして上限なく使う彼女の財布の紐は至って緩い。

「飯作ってくれるのはありがたいけど、お前は家事ばっかりじゃなくて他にやりたいこととかないのか?」

 牧は普段時間が取れなくて部屋の掃除も後回しにしている。その感覚でいると、騅が時間を持て余して家事をしているようにも、また家事に時間を取られてやりたいことに手が回らないようにも思える。

「やりたいこと?」

 けれど騅はそんな話は全く考えていなかったようで不思議そうに目を丸くした。

「そうだね。騅ちゃんが家事してくれて助かるけど、別にお駒達を気にしないで好きなことやっていいんだよ?」

「すきなこと?」

 駒にも重ねて自由に生きていいと言われるけれど、正直生まれて一年の騅にはピンと来なかった。

 それでも二人揃って同じ事を言うから、天井を見上げて少し考えてみる。

 二人は騅が答えを出すのを静かに待つ。

「うん。今やりたいのは、牧と紗貴を結婚させる事!」

 そして意気揚々と騅は使命を宣言した。

 一拍の間を置いて。

 駒は大いに笑ってお腹を抱えて。

 牧はテーブルに肘を付いて手の甲で重たくなった頭を支えた。

「なんでお前はそう発想がいつも一段階飛ばすんだよ」

「だって……結婚した方が早いもん」

 そりゃ、結婚はゴールなんだから早いだろうよ。

 そんなツッコミをする気力すら牧には湧いて来なかった。

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