吸言鬼ちゃん、びっくりです

 すいはもう逃げたかった。でも逃げられない。

「うん、それも可愛いね。騅ちゃんどう? 買う?」

「い、いらないっ」

「そう? じゃ、こっち着てみて」

 ふるふると震える騅を意に介さず、駒は次の服を突き出した。ニットで袖が三つ編みに飾られている長袖に、ふんわり足首まで包んでしまう紅葉柄のロングスカート。

 これで騅の試着は二十三着目だし、既にトップス七着、ボトムス五着、下着十組が駒のカードで会計されている。この店でも上下合わせて三枚が買い物籠に確保されている。

 騅は何度も、もういい、もういらない、やめてと懇願しているのに、駒は、もっといるよ、まだ足りないよ、あっちのお店も見るだけ見ようよと言って強引に騅を着替えさせ続ける。

 着せ替え人形ってすごい、と尊敬することになるなんて騅は思ってもみなかった。

「ケータイの待ち時間までまだまだあるから、ゆっくりたくさんお洋服が見れるね」

 スマホで時間を確認した駒は無垢な笑顔でこの恐怖がまだまだ続くと言ってきた。小心者はそんなのに耐えられない。

「きゅぅ……」

 結果、騅はその場で気絶した。

「騅ちゃーん!?」

 救急車が呼ばれることはなかったものの、しばし店内は騒ぎになった。

 そんな一幕はありつつも、必要最低限よりはそれなりに多い量の買い物は一段落して荷物は駒の車に詰め込まれたり配送に回されたりした。

 そして今度は本屋に寄っている。

「駒、後はご飯を買うんじゃなかったの?」

 それなのに地下の食品エリアじゃなくて最上階の本屋に来てるのかと騅は疑問を投げ掛ける。

「うん、だから先に騅ちゃんのご飯になりそうなのはないかなって。美味しそうなのある?」

 駒の気遣いが嬉しくて、騅はぴくんと鼓動を跳ねさせた。

「いいの?」

 服にスマートフォンにアクセサリーに食器に布団やクッションなんかまで買ってもらっているのに、本まで買ってもらうなんて騅は悪い気がしている。

 でも、むしろ駒は騅の腕を強く引っ張って本屋を区切って色を塗り分けられた床を颯爽と越えた。

「もちろん。みことの本とかないかな?」

「んー、ないと思う」

「え、ないの?」

 振り返って首を傾げる駒に向けて、騅は頷いて見せる。

「未言って同人誌しかないはずだから」

「うちの牧くんはいったいどこでみことを知ったの?」

 駒が抱いた疑問は牧に直接訊かないと分からない 。

 それはともかくとして、騅が美味しそうと思える本はちゃんと売られていた。

 古典、エッセイ、マンガ、ライトノベル、辞書、学術書に参考書、海外文学に純文学、それこそ目移りしてしまいそうなほどに。

 騅はその中から小さな文庫本の並ぶ棚に足を向ける。他よりは安くて文量もあって、経済的だと思えたからだ。

「こんなちっちゃい本でいいの?」

「うん。文章量は大きいのとそんなに変わらないよ」

 文字の大きさは騅には何の問題にもならない。

 騅は宮沢賢治の作品集を手に取って、パラパラと中身を開く。口の中に溢れて来る唾液をこくりと飲み込んだ。

「はい、これね」

「あ」

 騅が抵抗する隙もなく、駒に文庫本を取られて籠へ入れられてしまった。

 いつの間に籠を取っていたんだろう。それに籠を持っているだなんて、どれだけの本を買うつもりなんだろう。

「これ、一冊だとどれくらい持ちそう? 一食分? それとも一食にもならない?」

「え……と……んーと」

「んみゅ? どしたの? わかるならお姉ちゃんに教えてほしいな」

 騅が返答を躊躇っていたら、駒がぐいっと顔を近付けてきた。

 大きなサングラスの奥の瞳でまじまじと見詰められて騅は追い詰められる。

「あうあう……その、わたしずっとご飯まともに食べてなかったらその、食欲が落ち着くのにだいぶかかると言うか」

「んん?」

 駒は騅の言うことがすぐには理解出来なくて、腕を組んで頭を回転させる。

 それで数秒停止した後に、ぱっと口を開いた。

「風邪で食欲ないのが治ったらいっぱい食べるみたいなやつ?」

 駒が訊ね返すと、騅は恥ずかしそうにこくんと頷いた。

「じゃいっぱい買わなきゃね」

「こまー!」

 棚に腕を伸ばす駒が全種類買い占めそうな雰囲気を醸し出していたので、騅はその腕にぎゅっと抱き着いて暴挙を食い止めた。

「おお……すごい、ちっとも動けない。これは牧くんも負ける訳だ」

 こんなところで弟と同じ体験をして駒はなるほどと納得をした。

「一回落ち着けば、美味しいやつで一日か二日は保つかな!」

「でも今はたくさん欲しいんでしょ? 取りあえず十冊くらい買っとく?」

 騅は一瞬、十冊くらいなら買ってもらってもいいかなと思いかけたけれど、駒の金銭感覚に流されちゃ駄目だと首を振って自制を取り戻す。

「そんなにはいらないよ! ほら! 牧にも食べさせてもらうから!」

「あー……でも本の方がお互い気楽じゃない?」

「そうかもだけど、そうじゃなくて!」

 話が通じないのがこんなに煩わしいのかと騅は泣きべそをかく。

 駒は不満そうにしながらも、また騅に倒れられても困るので身を引いた。

「じゃあ、三冊くらいにしておこっか」

 駒の妥協に、騅はほっと息をく。

 それから騅はじっと棚を見詰めて、特に美味しそうに思えた文庫本をあと二つ抜き取って駒に手渡した。

 駒はそれを受け取ると籠に静かに入れる。

「あ、そうそう。せっかくだからお駒のお仕事を見せてあげるよ」

 仕事を見せると言われても騅はピンと来なかった。

 駒は本屋の店員なんだろうか。それでも今日は休日で客としてここにいるんだから、仕事をしちゃいけないのに。

 ぼんやりとそんなことを考えていた騅は、とあるスペースで立ち止まった駒の背中に鼻をぶつけてしまった。

「わぷ」

「だいじょぶ、騅ちゃん?」

 駒は自分の背中にぶつかって来た騅の頭を上からわしゃわしゃと撫でつける。

 そして一冊のファッション雑誌を掌の上に乗せて開いた。

 そこは見開きのページを存分に使って美しいポーズを決めた女性が写っている。

 騅はその美味しそうな写真をじぃっと見詰めて、そしてはっと気付く。

 写真に撮られているのと同じ顔をした女性が騅の目の前にいる。騅は目を真ん丸に大きくして、帽子の下に髪をひっ詰めて隠し、大きなサングラスで顔を隠した駒を見詰める。

「ええーーーー!」

 フロアいっぱいに響き渡る大声を上げた騅に、駒は悪戯っぽく微笑んで、その大きく開いた口に人差し指を当てた。

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