Showerslamp hold us

 自己紹介も終わってバンドメンバーは練習を始めるのかと思ったら、今度はすいの情報をあれこれ訊いて来た。それも何故か騅本人に訊かずに牧を取り囲んで質問攻めにしている。

「預かったってどこから掻っ攫ってきたのよ?」

「預かったって言ってんのになんで誘拐になるんだよ、おかしいだろ。地元の知り合いからだよ」

「彼女、学校には行ってないんですか? そもそも何歳なんです?」

「未成年だから絶対に手を出すなよ。学校にはいってない。これ以上はノーコメント」

「ほんほん。ワケありね。まぁ、そうじゃなきゃマキのとこで預からないか」

 まぁ、見ての通り取り囲んでいるのはふう知遊ちゆ、それと静かに会話を見守っている凪左なぎさだけだ。

 騅は数彰かずあきが持って来てくれた砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーの紙コップに口を付ける。

 杏珠あんじゅは腕を組んでマリンバの前で座っていて微動だにしない。

「杏珠って人、怒ってない?」

 騅はもしかして邪魔をしているのかもと不安になって隣に座る数彰に耳打ちをした。

 数彰は杏珠の方に顔を上げて、気にしなくていいよとひらひらと手を振った。

「杏珠は元から無口だから。それに嫌ならすぐにそう言ってくるし」

 数彰はそう言うけれど騅はまだ杏珠の為人ひととなりを知らないから不安は拭えなくてちらりと視線をそちらに向けた。

「ひっ」

 するとギロリと鋭い視線が返ってきて、騅は未声を上げて頭を抱えて蹲った。

 しかし杏珠は騅の様子を気にせずに、ついとお喋りに興じているメンバーに顔を向けた。

「そろそろ練習を再開しないか」

 杏珠は伺いの文法で指摘をする。

 ブースの真ん中で話していた四人が揃って騅の方に――正確にはその少し上に向かって視線を移動させた。騅の背後に時計が掛けられていたのだ。

 先程の杏珠も騅を睨んだのではなくて時間を確認したのだと、自分も振り返った騅は理解する。

「杏珠の言う通りだ。練習しよう」

「はいはーい」

「ま、マキは何時でも問い詰められますしね」

「なんでだよ」

 真ん中に固まっていたメンバーもバラけて自分の立ち位置に戻っていく。

 騅の隣にいた数彰もよっこいせと腰を上げた。騅が立ち上がった彼を見上げるとウィンクを流して離れて行く。

 その代わりに牧と凪左が騅の方へやって来た。

「シャワーズランプからでいい? 今日で完璧にしたいから」

「オッケー」

 牧が風に頷くと、その途端にブースの空気が変わった。

 緊張が部屋を支配して肌がピリピリする。

 メンバーの中でスタンドマイクを前にした風が真ん中に立っている。

 バリトンサックスを抱えた知遊は風に寄り添うように左にいて。

 数彰は風の背後でチェロに弓を構えて座っている。

 マリンバが動かせない杏珠は一人離れた場所、風の右手の方でマレットを構えて少し前かがみになっている。

 風が息を吸う音がやけにはっきりと聴こえた。

 その息と一緒にブースに散らばっていた雑音が全て飲み込まれて消えたように思える。

 自ら生み出した静寂しじまの中に風が歌声を降らした。

〈Showerslamp, please hold us, so your fantastic world〉

 空の遠く遠く彼方から一粒の雨が地上に向かって伸びて来る。そんなイメージを抱いてしまいそうなくらいに美しくて長く伸びた歌声だった。

 メゾソプラノから響かせてソプラノを通り越してさらに空高くまで伸び上がっていく。

 騅は一瞬で心奪われた。

「食うなよ」

 牧が騅の耳に唇を寄せて囁いた。

 騅は両手で口を塞いでこくこくと小刻みに頷いた。口を塞いだ代わりに丸っこい目でこれでもかと開かれて風を見詰めている。

 牧は騅の事を気にしながらも意識と顔を演奏しているメンバーに引き戻す。

 風のソロで三小節を過ぎて、それでやっと楽器は入る。

 数彰のチェロが遅れた前奏のように穏やかに旋律と律動をリードして、知遊のサックスと杏珠のマリンバが乗っかってくる。

〈I want anyone to see our love, so want to be only us in showerslamp〉

 三つの楽器の演奏をお供にして風の歌声が女王のように前へと進む。

 その歌は何か大きな存在へと向けられていて、聴衆はその通り道として自分の直ぐ横を過ぎていく歌声を聴かせて貰っているだけだ。

 三つの楽器は時に揃って風の歌声を護衛して、時に交代して一つずつで風の歌声に従い、時に演奏を止めて傅いた。

〈I want anyone to see our love, so want to be only us in showerslamp〉

 そして最後は風の歌声が細い雨のように全ての音を引き連れて、光に綴じたシャワーズランプの内側へと去っていってしまった。

 演奏を終えて風を始めとする演奏メンバーは息を整えながら牧に注目していた。

「どうだい? 何か意見は?」

 牧の隣に立っている凪左が演奏していたメンバーの代わりに水を向けた。

 口許に手を置いて悩む牧は訊ねられても暫く黙って思案を続けていた。

「Sinceからの未繫みづなしパートのとこなんだが」

「うん」

「もっとテンポを速く……なんて言うか駆け足みたいな感じで歌って……杏珠のマリンバで急き立てるようなのは、どうかな?」

「うん、うん……それは、『逃げるように』?」

「ああ、それだ、逃げるように。それ」

 凪左は牧の漠然としたイメージを一つの言葉に巧く纏め上げて、本人からも同意を得た。

 牧も凪左に示された言葉に言いたいニュアンスが詰まっていると感じて感嘆している。

「風、杏珠、行けそうかな?」

「走って逃げるのね? 大丈夫よ」

「……即興ならやってみせる。だが、それだと鈴城の楽譜を無視するが」

 風は軽やかに了承してものの、杏珠は重苦しく条件を出して来た。

 折角作って貰った楽譜に添えないのを申し訳なく思っているというのは、気心の知れたメンバーにしか分からない事で、騅にはやっぱり少し不機嫌そうに聞こえた。

「いいよ、好きにやっちゃって。そこは杏珠の即興パートにしよう。知遊と数彰は一旦音無しで」

「了解です」

「おっけー」

 最小限で打ち合わせを終えて、メンバーはもう一度演奏体勢に入る。

 数彰のチェロが長く音を引き、そして途中からの演奏に入り込んだ。

〈Rain shuts streetlamps into its drops, anyone can see any anything〉

 風が問題のパートの一つ手前から歌を乗せる。

 先程の演奏と同じく、四分休符の無音が挟まれた。風は静かに瞼を閉じる。

 この後、元の演奏では初めはゆったりと、後になる程に息を切るように力強く風は歌い上げ、楽器達はクレシェンドで曲を盛り上げていった。

 風がカッと目を見開いて。

 杏珠のマリンバが三つの音を一つにしてスタートの合図を取る。

〈Since,〉

 風はクラウチングスタートのように歌声を踏み切った。

 杏珠の打つ音は速く細かく激しく、それは秋の冷たい時雨のように街を閉ざそうとしている。

〈I miss me,〉

 その篠突く音の雨を振り切ろうとするように風は鋭く次の一歩を前に出した。

〈I miss myself,〉

 杏珠の雨は風を逃がさない。視界を閉ざし、身を打ち、足を竦ませようとする。それでも風は腕を振り払うように歌声に力を籠めた。

〈I miss in this world,〉

 杏珠の雨はバケツを引っ繰り返したように、ダムの放水のように、空から落ちる壁となって風を阻む。

〈I miss my you,〉

 その壁に打たれても風は痛みに耐えて腕を、腕の代わりに歌声を伸ばす。

〈I am locked in silent rain〉

 最後の一歩は杏珠の降らせる豪雨によって掻き消されかけていた。

 雨の暴力的な沈黙に部屋の空気が打ちひしがれる。

「風、もっと速く。杏珠も出来るならさらに激しく」

 牧が冷たさも感じるような真剣な声で駄目出しをした。

 それは怖くなるくらいに付け放すような言い方で、騅は初めて見る牧の態度に委縮してしまう。

 けれどその言葉を受けた本人達二人は黙って頷いて、歌と演奏を繰り返した。

 さっきよりも思い切りよくスタートして。

「もっと」

 踏み切った直後に牧がやり直しを求めた。

 風が息を飲み込んで、にやりと笑う。

 次の疾走は三歩目で止められた。

 杏珠がマレットを手離してハンカチで汗を拭った。

〈Since,〉

 雨に打たれながら風は逃げる。

〈I miss me,〉

 自分すらも見失って孤独に逃げる。

〈I miss myself,〉

 自分が何者かなんて分からない。逃げた先で何かになれるのかどうかも分からない。

〈I miss in this world,〉

 それでも雨に閉ざされたこの世界で、耳に聴こえる音もなく、目に視える景色もなく、独りきりでいるのは堪えられないと必死に逃げる。

〈I miss my you,〉

 たった一人。自分だけの誰かを求めて孤独を振り切ろうと逃げる。

〈I am locked in silent rain〉

 結局は雨という鍵を掛けられた静かな孤独に行き着いてしまうのだとしても。

 杏珠と向き合い歌い切った風は汗を顎から滴らせてして、それなのに満足そうに不敵な笑みを見せている。

 杏珠もマレットを木琴に触れさせたまま動きを止めて真っ直ぐに風を見返している。

 今度は牧もやり直しを要求しなかった。

「これがいいと思う」

「いいね。確かに。僕の楽譜を越えてる」

「風のソロなら楽譜通りがいいと思うけど」

「そうだね。でも楽器が入るならこっちのアレンジがいい。ソロと楽器ありでの差別化にもなるし、何より杏珠のマリンバが存在する意味が出来る」

「数彰と知遊は抑えたままでどうかな」

「うん。二人はサイレントでいこう。このパートの切り替えで少し長めにサックスとチェロの間奏を入れる」

 牧の意見を取り入れて凪左はこの場で新しい楽譜を組み立てていた。

「いぇーい、ヤバいパートに参加せずに休ませてもらえるー」

 この激しい演奏への参加を免除されると聞いて数彰がやる気のない声を一緒に太い腕を上げた。

 その姿はまるで降参と言っているようだった。

「おや、折角だからマリンバ伴奏だけじゃなくてチェロ伴奏やサックス伴奏のバージョンもお願いしてもいいと思いますけど」

「いやいや、勘弁。てか、そんなの凪左が過労で倒れるって」

「え、即興で任せるから僕は苦労しないけど?」

「乗り気にならないでいいから!」

 数彰がとんでもないと叫ぶと、彼を揶揄って遊んでいた知遊がくすくすと笑う。

 数彰はムードメーカーとしてしっかりと気を張り詰めたメンバーがリラックス出来る空気を作り出していた。

 そんな和やかな空気の中で風が騅に近付いてきた。

「どう? マキの歌詞をかっこよく歌えてたでしょ?」

 騅は懸命に首を動かして頷いた。風の歌声に騅はずっと聞き惚れてしまって放心していたくらいだ。

「おいしかった?」

 風がにこやかに訊ねてきた言葉に騅はびくりと体を仰け反らせる。

「た、食べてないよっ!」

 確かに風の声も杏珠の音も美味しそうだった。でも食べたら牧に怒られるし、食べるよりもずっと聴いていたいと思った。

 だからそんな事は間違ってもしてないと騅は慌てて手を振り否定する。

「え、そうなの? 残念。歌詞をおいしいって褒められたって聞いたのに」

 風は言葉通り残念そうに背伸びをした。それからもっと頑張らなきゃ、と言ってブースの端に行って水を飲む。

 風が騅から離れた後、牧の視線が風に向けられていた。

「た、食べてないから!」

「知ってるよ。落ち着け」

 今度は牧が騅に近寄ってきてぽんぽんと頭を叩かれた。

 騅は耳を赤くして上目遣いに牧を睨むけれど、牧は全く怖がっていない。

 そんな二人の姿を他のメンバーがにまにまと生暖かい目で見ているのには気付いていないようだった。

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