バンドメンバー

 すいは牧に連れられて狭苦しい階段を地下へと降りていく。昼間なのに闇の底のような気配が沈んでいる先に重苦しいドアがあった。

 その中に入るとカラオケのようなロビーがあってその奥にまた扉が見える。そこが演奏用のブースだ。

 ブースが一つしかないこじんまりとしたスタジオだが、料金が格安で学生には使い勝手がいい。

 牧は受付の若い男性に軽く手を上げる。向こうも牧の顔を見知っているので会釈するだけで引き留める事もない。

 牧はそのまま騅を連れてブースに入る。

「お、マキやっと来た! おっそいぞー!」

 中で雑談していたのは五人、その中の一人、すらりとした女性が牧を見るなり立ち上がって駆け寄って来た。

 そして牧の背中をばしんと叩く。

「いったいな。時間通りだろ」

「なにをー。私らは午前から練習してるのよ」

「歌詞ない曲に俺がいても仕方ないって時間ずらそうって言ったのはふうじゃんか」

 牧がまた女の人にマウント取られてる。そう思いながら、騅は巻き込まれるのも嫌なのでこっそりと閉まったドアに身を寄せて気配を消していた。

「それでこの子が例のスイちゃんね!」

「ぴっ」

 しかし、牧に絡んでいた女性はくりんと首を巡らせて騅を捕捉してきた。

 唐突にロックオンされた騅は怯えて短く小さな悲鳴を上げる。

「おい、ビビらすな」

「あら? 大丈夫、怖くないわよ。篠築しのつき風、このバンドでボーカルやってるの。よろしくね」

 騅は風から差し出された手をまじまじと見詰めてから、おずおずと握った。

 風はにこりと笑って騅の手をぎゅっと掴む。

「ほら、おいで。うちのメンバーを紹介するから」

 そのまま騅は手を引かれて他の四人が固まっていたブースの真ん中へと攫われた。

 数彰がひらひらと手を振ってきたので、騅も手を振り返す。

「取りあえずカズは紹介いらないから」

「おいおい。まぁ、もう何回か会ってはいるけどさ」

 風にスルーされかけて数彰は不満そうに口を挟みチェロの弦を爪弾いた。その音は森の中の葉踏はふ鹿しかみたいに間隔を空けて一音ずつをしっかりと響かせる。

「はい、カズ終わり」

「はいはい」

 数音鳴らしただけで時間を取り上げられてしまった数彰は肩を竦める。

 それと入れ替わりに象の鳴き声にも似た重低音が室内に凛音りんとを破裂した。

 騅はびくりと肩を跳ねさせて音を発生源に顔を向けた。

 細身で白いシャツに黒いベストを重ねた人物がバリトンサックスを吹いている。カフェ店員がサックスを持ち出してきたみたいな格好だ。

 彼人かのとは騅に向けて格好良くウィンクを決めると、サックスで謳い始める。紳士に手を引かれるような安堵を自然と抱くような音色に、騅は知らず知らずの内に心を委ねる。

 短い演奏を終えてバリトンサックスを片手で保持し、空けた右手が騅に差し出された。

「バリトンサックス担当のアラタです。よろしく」

 アラタ自身の声も低音で甘く響き耳に心地好かった。

 騅は顔を火照らせてぼんやりとしたままアラタの手を握る。ひんやりとした掌に火照る体温をまれるのが快い。

「騅、ちなみにだが、知遊ちゆは女だぞ」

 そっと身を寄せて来た牧に耳打ちされた言葉は一度騅の意識を上滑りして流れていく。

 ぱち、と瞬き一つして。

 やっと騅は牧が囁いた言葉の意味を受け止める。

「おんなのひと!?」

 騅が丸っこい目を見開いて牧に向き直った。

「ちょっと、すぐにバラしたら面白くないでしょうが、この過保護」

「乙女に夢を見させないだなんて、マキは無粋だなぁ」

「うるさい、この愉快犯どもめ」

 風と知遊から非難が殺到するが牧は動じない。

 しかし騅は信じられないという気持ちをありありと顔に浮かべて牧と知遊の顔を交互に見比べる。

「え……本当に女の人なの?」

 戸惑いを隠せない騅に知遊はくすりと笑みを浮かべ、人差し指を当てて騅の顎を持ち上げた。

「なんならベッドの上で確認しますか?」

 知遊の顔が近くて熱が引いたばかりの騅の顔がまた赤く染まった。

 数彰が野次馬よろしく口笛を吹く。

「やめんか」

 牧が呆然として言葉を返せないでいた騅の首根っこを掴んで知遊から引き剥がした。

「これ以上騅を誑かすなら帰るぞ。マジで」

「やれやれ、幸せな気分に浸らせてあげることの何が悪いんですかね」

 牧の威嚇に対して知遊は大仰に手を肩の高さで広げた。

 その様子で知遊の紹介も一段落したと見て残る二人の内、一人が相手に目配せをした。しかしアイコンタクトを振られた大柄な男性は全く動く気配を見せない。

 仕方ないなと目配せをした方が騅の前に立ち上がった。

「こんにちは。作曲提供をしている鈴城すずしろ凪左なぎさです。楽器を演奏もしないし歌う訳でもないから、立ち位置的には牧と一緒かな?」

 凪左に流し目を送られて牧は肩を竦めた。

 牧と違って凪左はバンドのオリジナル楽曲全てに貢献しているから牧よりも重要な存在の筈だ。

 そんな事を口にすれば牧だって大事だと方々から反論されるのが面倒臭いから言わないけれども。

「作曲家さん?」

「音大に通ってる卵さ。まだまだ勉学の身だよ」

 音大生と知って騅は感心する。騅の中では音大生というと何となくエリートっぽい印象があるようだ。

「そしてあそこで押し黙ってる最後の一人も僕と同じ音大に通ってるよ。ね、杏珠あんじゅ

「……ああ」

 杏珠と呼ばれた男性は名前を呼ばれて渋々と言った様子で擦れるような低い声を漏らした。

 杏珠がスッと立ち上がると牧よりも背が高い。しなやかな肉付きは何処となくジャガーに似ていた。

 彼はブースに置かれたマリンバの前に立った。両手にマレットと呼ばれる撥を持ち、見た目の威圧感とは裏腹に軽やかに音を奏で始める。

 それは湖の一面に雨花あまばなが咲いては散るような、雫が心に波紋を描くような、そんな演奏だった。そしてその演奏は通り雨のようにあっさりとした終わりに至る。

「マリンバの加賀美かがみ杏珠だ」

 言葉少なにそれだけ言うと杏珠はマリンバの前に置かれた椅子に腰を降ろした。

 これでメンバー全員の紹介が終わって、騅は牧に目を向けた。

「なんか、みんな濃いね」

 騅の感想が否定出来なくて牧は顔を背ける。

「そりゃ、未言みことが好きな連中が集まってるんだもの、濃いのしかいないわよ」

 騅の言葉を聞いて風が気を悪くした様子もなくけらけらと笑った。

「みんな未言が好きなの?」

 騅が驚いてメンバーを見渡すと、誰もが穏やかな表情で頷いていた。

「そう。元から未言が好きで、ジャズをやりたいっていう人間が奇跡的に出会ってバンドを組んだのがオレ達なのさ。すごいっしょ?」

 数彰はそれはもう誇らしそうに自慢した。

「俺は取っ捕まった感じだけど」

 それなのに水を注すのが牧の性分だ。

「私も部屋で歌ってたら隣のアラタに押し入られたのよ」

 それはそれで中々に恐ろしい事態に思えるけれど風は可笑しそうに笑っている。

「風ちゃんはジャズカフェで歌ってたじゃん。だからオレが見付けられたんだし」

 牧よか見付け易かったと数彰が当時を振り返る。まだ半年も経ってないのに遠くを見るような視線はきっとわざとなんだろう。

「それで三人で演奏しながらオリジナル楽曲もやりたいってライブで言っている内にナギが声をかけてくれたんですよね。それでアンジュも連れてきてくれました」

 知遊の言葉に凪左が頷く。自分で作った曲を自分で演奏して確認しても限界があるとすぐに感じていた凪左は、曲の裏打ちにしている未言を分かってくれる演奏家を求めていた。

「順番前後するけど、最後にオレが牧の噂を聞いて引き込んだってワケ」

 それで今此処にいるメンバーが揃うようになった。

 バンド結成までの流れを聞いて騅はただただ感心するしかない。

「なんか、すごいね」

「行動力と人の迷惑考えない押しの強さが何故か上手くいった参考にならない例だな」

 完全に巻き込まれた当事者である牧は疲れたように首を振った。

 言っていて騅も似たようなもんだと気付いてしまったからだ。

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