吸言鬼ちゃん、電車に乗る
牧は駅の券売機で新しくPASMOを発行して
騅はその硬いカードを矯めつ眇めつしてくるくると引っ繰り返す。
「失くすなよ。あと無駄遣いもしないように」
牧に注意された騅はこくんと頷いて見せたけれど、手に持ったカードを何に使うのか良く分かっていなかった。だからぱかりと口を開けて小っちゃな犬歯を見せる。
「齧るな!」
牧に怒鳴られて、騅は口に入れようとしていたカードを寸前で止める。渋々と手を顔から離していく。
「これ、何?」
「分からないんだったら先に訊いてくれよ……先に金入れておくプリペイドカードで改札にタッチするだけで構内に入れるもの」
「ふーん」
牧が指差した改札では、確かに光っているところに財布やカード入れを当てて入場している人がいた。あの中に騅が持っているのと同じカードが入っているんだろう。
「ほら、時間遅れるから行くよ」
先に歩き出した牧の背中を騅は追って行く。
改札に貰ったPASMOを当てると、ピッ、と音が鳴ってガシャンとゲートが勝手に開くのがちょっと楽しかった。
騅は改札の通り抜けて直ぐの場所で立ち止まってまじまじと改札を見返す。
「おい、邪魔になるから。きりきり歩く」
「あぁ」
でも牧に手を取られ連れて行かれて、楽しい改札くんから引き離されてしまった。
「全く。子供みたいな手間かけさせて」
「わたし、一才だもん」
そう言えば見た目は高校生か大学生だけれども、実年齢は幼いんだったと牧は改めて驚いた。会話も普通に成り立つし、文字を食べる事で知識もどんどん増やしているし、それなのに人生経験がすっぽり抜け落ちているんだと今更ながらに思い至る。
始発の電車に乗り込めばまだまだ座席は空いていた。二人並んで座る。
乗り換えの駅まで三十分以上あるから腰を落ち着けて考え事も出来る。
PASMOを両手で握り締めたままの騅は電車のあちこちを見回している。
小さい頃に初めて電車に乗った弟もこんな感じだったと牧は懐かしささえ覚える。
牧が腕を組むと電車のドアが閉まり走り出した。
取り残されてる駅の景色が流されて行き、電車は屋外へと出て光に突っ込んでいく。
蛍光灯の明るさは秋の太陽にも負けるのだと、その眩しさで思い知る。
騅は向かいの窓にキラキラした眼差しを向けていた。いつかの
「PASMO、仕舞えば?」
いい加減、出しっ放しのそれが気になって騅に小さく声を掛けた。
騅は一度牧の顔を見上げてから手の中のカードに視線を注いだ。
これは何処に仕舞えばいいのか分かってないのかもしれない。
「家の鍵入れてるケースに入るだろ?」
「あ、うん」
騅は成程と思って肘に掛けていたバッグからキーケースを取り出してPASMOを差し込んだ。
昨日、駒がやたらと張り切って決めたコーディネートはいつもの騅の格好と違って垢抜けている。
駒が出掛ける時に良く騅を着せ替え人形のように楽しそうにおめかしさせているけれど、それも面倒見の良さというか騅の意識を育てる為に手を掛けているのかもしれない。
普段の言動が気安いを通り越してガンガンにプライバシーに踏み込んでくるから意識を反らされてしまうけれど、一番の年長者として駒は弟や妹が恥ずかしくない大人になるようにと随分と心を砕いている。でも、弟の恋愛や性事情まで訊いてくるのは本当に止めてほしいけれども。
「なんか牧、面倒くさい事考えてない?」
窓の外で流されていく街並みを眺めていた筈の騅の視線がいつの間にか牧を見上げていた。
「……なんでわかった?」
「思考は言葉だもの」
騅は言葉を食べるが故に言葉には敏感だ。隠れた草食動物を見付ける肉食獣のように目敏い。
騅の前では悩みに気に取られてはいけないと牧は心に戒める。余計な心配を掛けた。
「子育てって大変なんだって再確認してた」
「えっ! 子供! 紗貴との!? いつの間に!? やったー!」
盛大な勘違いをする騅を、牧は頭を掴んで止めた。
「電車の中で大声出すな。しかもそういうことをっ」
掌に力を籠め顔を寄せて、牧は騅を詰める。
「牧、ちょっと痛い、痛いって。ごめんなさい」
「ほんっとにもう、お前は手のかかるやつだな」
騅が素直に謝ってきたし、大して効果もないし、電車の中で女性に暴力を振るう男だと思われたくないし、牧は苦笑いを浮かべて手を放した。
「……え、子育てってもしかして、わたし?」
「絶賛面倒見てるのはお前しかいない」
手間が掛かると言われたのが自分の事だと気付いて騅はむーと頬を膨らませる。
本当に面倒臭い妹を拾ってしまったと思い嘆く牧は、けれど裏腹に胸の奥がじんわりと温まっていた。
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