今日のご飯
牧が大学から帰ると出掛ける前にはなかった物がちらほらと家の中に見受けられた。
例えば靴とかサンダルとか、帽子とかカーディガンとか、まぁつまりは
その騅はリビングのソファに寝転がって色気のない冊子をパラパラと開いていた。
「ただいま。なにやってんの、お前」
「あ、牧、お帰りー。スマホの取説食べてる。使い方覚えるために」
牧は騅を見下ろしながら肩に紐を掛けていた鞄を床に置いた。
なんだかんだ言って大学生も教科書やらプリントやらで荷物は重い。ずっと肩に乗せてるのが嫌になるくらいには負担なのだ。
「お前って食ったら覚えるのか」
「そうだよ。言ってなかった?」
「言ってないって」
牧はキッチンに足を運んで冷蔵庫を開けた。五百ミリリットルのペットボトルを取り出して烏龍茶を口に含む。
「学生だったらサイキョーだな」
「でも美味しくない」
その言葉を心から言っていると分かるくらいに騅の表情は暗い。
ソファを占拠されて腰を沈められない牧は、床に転がっていたクッションを足で引き寄せて腰を降ろした。
「美味くないってどんな味なんだよ」
牧はテーブルの上に袋やら箱やらと一緒に置いてあるシルバーグレイのスマートフォンを指で突く。駒か騅が選んだのか、それとも偶々なのか、騅の元ネタになった葦毛の色だ。
「例えるなら、味のしないプラスチックの板みたいなのを食べてる感じ」
「……想像するだけでマズいな、それは」
最早、食べ物ですらない。
取扱説明書なんてものは大概の人間が詰まらなくて読もうとも思わないし、読んでもいらない苦痛を覚えて途中で止めてしまうものだが、そういうのが騅の言う美味しいとかそうじゃないというのにも反映されているんだろうか。
「てか、齧ってないじゃん」
「早食い的な? 齧った方が味わえるし栄養も吸収しやすいけど、これにそこまでする価値は感じない」
「さよか」
マズいもんを無理矢理食っているんだからさっさと終わらせたいって感じかと、牧も納得する。
牧は特にすることもないので騅の指が捲る取説を
騅が目を通したページは面白いようにくしゃりと形を崩していて、経年劣化の早送り映像を見ているようだ。
そしてその全てを吸収し終わった騅は何枚も重なった紙をティッシュのように丸めてゴミ箱に放り投げた。ザシュ、となかなか良い音を立ててシュートは決まった。
「牧ー、美味しいの食べたいー」
「あー」
牧は内心でまたかよとも思ったが、死んだ目をして取説を一冊食べ切った顔を目の前で眺めていたので突き放すのもバツが悪かった。
じっと縋る瞳を向けてくる騅から、牧は顔を背けテーブルに頬杖を突く。
「うちの大学、歩道が石畳でな。桜の落ち葉が風で渦巻いてその上を舞って擦れる時の
「はぐ」
牧の右耳の方から、空気に齧りつく音が聞こえた。実際に齧りついているのは空気じゃなくて声なんだろうけど、声は空気の振動なのでやっぱり空気だ。
牧がちらと視線を流すと、頬が落ちないように両手で支えた騅が蕩けそうな表情で口を動かしていた。
「おいし~!」
そう言ってもらえると、騅のために未言を探しながら一日を過ごした甲斐もあるというものだ。なんとなく恥ずかしくて、そんなことは本人には言えないけれども。
「こんな感じでいいのか?」
牧が確認を取ると、騅はこくこくと懸命に頷いてきた。
表情からも態度からも漏れ出る喜びのオーラからも、騅が満足しているのが良く伝わってくる。
牧は大学に住んでいる猫を撫でている時のように、胸の奥がほんわかと暖かくなった。
「あ、牧くん帰ってる。牧くーん! 荷物運ぶの手伝ってー!」
そこに車から荷物を運んでいた駒が戻って来た。
牧は颯爽と腰を上げて玄関に向かう。その途中で、なんとなく騅の頭に手を置いて撫でてみた。
「う?」
なんで急に撫でられたのか分からなくて騅は牧の動きを首を巡らして追いかけるけれども、牧は騅の方を一瞥もしないで去っていく。
「うわ、どんだけ買ったんだよ」
「女の子は入用なのよ。後でラックとか届くから牧くん暇な時に組み立ててくれる?」
「いいけど、マジで買いすぎじゃないの。置き場所ある?」
玄関の方から聞こえてくる姉弟の声に耳を傾けながら、騅は牧に撫でられたところに自分の手を置いてみた。何故だか頬が緩んで、にやけてしまった。
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