吸言鬼ちゃん、名前をもらう

 なんだかんだと言って行き倒れたのを拾った吸言鬼とかいう聞いたことない人外と同居するのを姉に押し切られた牧は頭が痛かった。

 改めて状況を整理しても意味不明過ぎる。

「ねー、おなかすいたー」

 そして出会ってからずっとこの少女の姿をしたナニカは空腹を牧に訴えてくる。

「さっき勝手に食ったろ。しかも二回も」

「初めのは半分だけだし、後のは呟きでしょ。あんなの飴玉よ、飴玉。キミはキャンディだけでお腹いっぱいになれるの? なれないでしょ?」

 そうやって言われると確かに辛いのが共感出来る。

 気絶するほどの空腹の後で飴玉一つは酷な話だ。

 しかし、さっきから美味しい言葉を食べさせろというが、今一つその区別が分からないのが困る。どうやら美味しい方が満腹になるらしいので、早く黙らせるためにも効率的に与えないのだが、いかんせんコミュニケーションが上手く成立しない。

「そうか、なるほど。タダでやるかってことね。俺がいなきゃ生きていけないんだからそれなりのものを差し出せってことね」

「え、いや、そんなことは一言も言ってないっての」

 牧が黙っているのを変に勘違いした少女は思い詰めた顔できゅっと両手を組んでいた。

 嫌な予感しかしなくて、牧は少女に思い直すように説得しようと思ったけれど。

 相手の行動の方が速く勢いもあり、一瞬で詰め寄られて細い輪郭の童顔を近付けられて、牧は言葉を飲み込んでしまった。

「この体を好きにさせるくらいなら、やぶさかでもないよ」

「おめーはなにほざいてんだ」

「なになに、エッチな話!? あとでお姉ちゃんにも感想と報告してね!」

「弟を辱めて楽しいかっ!」

 このバカ人外は予想に違わずとんでもないことを言いだすし、バカ姉の方もそれに乗っかって来るし、牧はもうこの家出でもしたい気分になった。家ってくつろげる場所じゃなかったのか。心の平穏を返せ、と言いたい。

「おかしーなー。男ってこういうシチュならむしゃぶりついてくるはずなのに」

 真顔で何が悪かったのかと悩む少女を、牧は一応上から下まで眺める。秋なのに薄着している彼女の体付きは外目からも明らかで、上からすとーんと真っ直ぐな足までボールが転がりそうだ。

「いや、俺、ロリコンじゃねぇし」

「なにをー!」

 牧が見たままを思い吐くと、少女は顔を赤くして腕を平坦な胸の前で上下させて抗議の声を上げる。

 しかし牧は小動物が目の前で憤慨してても特に動じることはない。

 そんな態度に少女は頬を含まらせて駒の方に目を向けた。

 きょとんとした駒の顔の下にある膨らみを少女はじぃっと見詰め、ビシッと指差した。

「キミがいっぱい栄養くれたらわたしだってこれくらい育つんだからね!」

「へー」

 少女の訴えが負け惜しみにしか聞こえなくて、牧の返事はおざなりだった。

 それでまた少女は頬を膨らませる。

「だいたい、そんなことどこで覚えた」

「ん? 食い繋ぐために捨ててあった雑誌を食べて覚えた」

 しれっと答える少女はギリギリその手のものがアウトな外見をしているので、牧は痛むこめかみを揉み解した。

「んな健康に悪そうなもん拾い食いすんなよ」

「や、エクスタシーを糧にするのは吸精鬼の系列としてはむしろ順当だけど」

「旧石器? マンモスがいた時期だっけ? そんな昔から生きてるの?」

 横で二人の掛け合いを楽しんでた駒が、少女の口にした聴き慣れない単語に食い付いてきた。

 けれど、少女は牧に続いて駒にまで聴き間違いをされてムッと不機嫌になる。

「きゅーせーき! 他の言い方だと夢魔とか淫魔とか、サキュバスインキュバスのこと!」

「お前、吸血鬼の変異種って言ってなかったか?」

 聞いてた話と違うと牧は顔を顰めた。しかも牧からすると好ましくない方向に設定が増やされている。

「吸血鬼がそもそも吸精鬼の亜種だもの。精気、つまり生きる活力をそのまま吸い取れるのが吸精鬼で、精気を血からしか吸えないのが吸血鬼、で、わたしは言葉から精気を吸うの。わかる?」

「はいはーい。そういうのって人間をカラカラにしちゃうけど、牧がそうなったらお駒は激おこだけどだいじょうぶ?」

「ひっ!」

 お駒は以降で急にドスの利いた低音で少女を威す姉だが、牧はそこまでするならもう追い出すのがお互いのためなんじゃないかと思ってしまう。

 小犬のように震える少女は流石に牧から見ても憐れだった。

「だ、だ、だいじょうぶです、そもそもですね! 人の間に伝わってるのは問題になった奴らばっかりで、もっと大勢無害な吸精鬼がいっぱいいるけど、ちゃんと人間に問題起こしてないから知られてないだけなので! はい!」

「ならよし」

 駒はテーブルの上に乗せた上半身を降ろして元の位置に戻った。

 少女は過呼吸になっているが、ここで甘いことを言うと双方から槍玉に上げられるのが目に見えていたので、牧は黙っている。

「そういえば、あなた、お名前は? もう覚えちゃったかもしれないけど、私は駒、弟は牧よ」

 一瞬で気遣いを見せる駒の切り替えの早さに牧は舌を巻く。それに逃れたい気持ちが先行し過ぎて名前を訊いていないのも今になって思い出した。

「名前? ないよ?」

「え、ないの?」

「うん、わたし生まれたばっかりだし」

 これには牧も駒も目を丸くした。名前がないだなんて、一般人なら到底考えられない事態だ。

「生まれたばっかりって、いつ生まれたの?」

 駒が続けて、少女の返した言葉から生じた疑問を重ねて訊いた。

 少女はおとがいに人差し指を当てて天井を見上げた。

「んとね、一年くらい前」

「一才」

 少女の年齢を聞いて、駒は立ったままの牧を見上げた。

「手を出したら流石に犯罪……いや、人間じゃないなら気にしなくてもいい?」

「そこから発想を離れろ」

 いっそ清々しいくらいに論点がブレない姉に、牧は冷たい声を掛ける。しかしこれで頭が冷えるとはちっとも思えないのが問題だ。

「よし、じゃあ、牧くん。この子の名付け親になってあげなさい」

「は? 俺が?」

 いきなり振られてもそんなポンといい名前なんて出て来るはずもない。

「ほら、文学部でしょ」

「文学部をなんだと思ってる」

「頭がいい人たち」

「もっと世間をよく見てくれ」

 大学に行ってなくても、文学部なんて四年間を遊び惚けたい連中が溢れ返っているのをドラマなり小説なりで分かっていそうなものを、と牧は呆れる。

「お姉ちゃんからしたら、大学に合格してるだけで頭いい人たちだよ」

「頭のいいバカってのも結構いるけどな」

 無条件に大学生を格上と見做している駒の見識を修正したくて牧は意固地になったように苦言を呈する。

 しかし変に口答えをする弟に駒が立ち上がり、腰に手を当てて上半身を折って前のめりに迫る。

「もう! お姉ちゃんは牧くんが頭がいいって話をしてます!」

 その気迫に、牧は頷くしか出来なかった。

「よろしい。はい、名前付けてあげて」

 駒が体を牧の前から避けて、バッと手を広げて少女の姿がよく見えるように演出する。

 少女は目をパチパチと瞬かせていて、よく事態が飲み込めてないのが分かる。

「あー……オグリキャップ」

「可愛くない。却下」

 お腹が空いたとしか言わないし、見た目はまぁ愛らしいし、怪物と呼ばれていたし、というのでアイドルとも呼ばれた大食いのサラブレッドの名前を出した牧だが、秒で駒に退けられた。

 姉弟三人が全員、飼育馬関連の名前を付けられているからと言って、どうしてその名前が最初に出たのかとも思う。

 しかし唐突に振られてすんなり出て来るものでもなく、牧はなんとかネタを探そうとじっと少女を見詰めた。

 それが三十秒も長引くと、見られている少女の方が頬を赤らめて送毛を指でいじり、顔を背けて視線から逃れようとし始める。

「そうだな……騅、ならどうだ」

「すいちゃん? どういう意味?」

 牧の出した名前に駒が由来を問いかける。

「葦毛の馬。オグリキャップの毛色」

「そこからは離れられなかったのね……」

 意味まで気にしてしまうとどうかと思うが、音の響きは悪くないんじゃないかと牧は思う。それに少女の髪の色も葦毛に見えなくもないし、思い付きにしては悪くないんじゃなかろうか。

「騅。わたしの名前?」

 少女は牧が言った名前を自分でも口に出して、自らの鼻先を指差した。

 牧はそうだと頷いて見せた。

 その途端に、少女は瞳を輝かせる。

「騅、騅、すいすいすーい」

 少女は嬉しそうに貰った名前を繰り返し、途中から泳ぐように踊るように声を弾ませる。

 どうやら気に入って貰えたらしい。

「わたし、誰かから言葉を貰えたの初めて! ありがとう!」

 満面の笑みで距離を詰めて来た騅に、牧はたじろいだ。純粋で眩しい感謝はそれはそれで対応が困る。

 そんな二人の様子を見て駒がにやにやと笑っている。

「いやー、おいしい。お家でこんなおいしい光景が見られるなんて。これはもう飲んじゃおうかな」

 駒はうきうきとステップを踏んで冷蔵庫に向かって行った。まだ夕方にもなってないのにビールの缶を開けるつもりだ。

 まだ収拾が着いていないのに一人だけ楽しみやがってと牧は胸の内で悪態を吐く。

「牧ー、騅、お腹空いたー」

 そして騅の訴えも振り出しに戻る。

「ああ、もう分かった、分かった!」

 何か与えるまでまとわりつかれるのが確定したと理解して、牧は声の勢いで騅を黙らせた。

 さっき騅に食われたルーズリーフを取り出し、ラメ入りインクのペンで丁寧に書かれたのに半分が失われた歌詞をじっと見詰める。

 そして牧は溜め息を吐き出して、諦めた。デモ音源を貰っているから、耳コピで歌詞を書き起こせばいい。どちらにしろ、この手書きの歌詞は不完全になってしまっている。

「ほれ」

 牧が差し出したルーズリーフを、騅は躊躇いがちに受け取った。牧の手が離れても、本当にいいのかと視線で伺ってくる。

「いいの?」

 堪らずといった様子で騅は声でも確認を取ってきた。

 牧は仕方ないだろとばかりに頷く。

「俺は部屋で同じのを音源から書き起こすから、邪魔すんなよ。それ食って大人しくしてろ」

 騅はソファの上にぺたんと座り、牧に言われた通りにルーズリーフを食んで口を淑やかに閉じた。

 それをしっかりと確認した後に、牧は鞄を背負って自室へと潜り込む。

 ただ駒だけがその様子を満足そうに眺めて、缶ビールを呷って一気飲みしていた。

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