お姉ちゃん参入
自宅のマンションに帰ってきた牧は、自称モンスター少女をリビングのソファに寝かせて頭を抱えていた。
あのまま放置出来ない人の良さはそのまま、この理解し難い話ばかりしてくる少女を遠ざけたいという常識となって、同じ人間性から起こる思考が鬩ぎ合う。
そしてこの状況を一緒に住んでいる家族に見られたらと思うと、一刻も早くすやすや眠っている変人を家から放り出したかった。牧が女を家に連れ込んだなんて勘違いされたら、のたうち回るかもしれない。
「たっだいまー」
「こういう日に限って早く帰って来るんだよなぁ」
颯爽と玄関を開けて軽やかな声と足取りで帰宅を教えてくる姉の登場に、牧はがっくりと頭を支えていた手から落とした。
「牧くんいるじゃん。お姉ちゃんにお帰りは?」
自室に入る前に姉の駒がひょいとリビングを覗いてきたのを、牧は恨めしそうに振り返る。
睫毛の長い瞼がぱちぱちと牧を見返してきた。
「え、なに、なんかタイミング悪かった? エロ本ちゃんと隠した?」
「年頃の男子にそういうこと言うの止めてくれませんかね。完全に風評被害だし」
「お
腰に手を当てて形のいい豊かな胸を張る姉に対して、オープン過ぎるというツッコミを返す気にもならずに牧は溜め息を零す。
抱えて来た少女は小柄なお陰で、姉の立つ位置からはソファの背もたれに隠れて見えてないらしい。けれどそれだけで乗り切れるとは到底思えないので、牧は駒が帰宅した時点でもう諦めモードだ。
「お腹空いたぁ」
そして諦めた矢先におかしな少女はむくりと上半身を起こした。どうせなら寝転んだまま声を上げてワンクッション置いてほしかったというのは、わがままなのだろうか。
どんなに牧が胸の内で嘆こうとも、駒の瞳に少女の姿はばっちりと映っていた。
駒はじっと少女の姿を見詰め、それから牧に視線を送り、その後に人差し指でとんとんと自分のこめかみを突く。
最後に額に当てていた指を少女に向けた。
「牧くんのカノジョ? いいことしてた?」
「質問は一回に一つにしろよ。行き倒れてたのを拾った。以上」
予想してた内容の上にいらないトッピングまで加えて来た姉の言葉に、牧は疲れがどっと肩に圧し掛かってくる気分になった。
併せて口を開くのも億劫になり、言葉少なに現状の経緯を説明する。
姉は説明の仕方が不服なのか説明の内容が不服なのか、えー、と不満の
寝ぼけ眼でぼんやりと駒を見上げていた少女は、また電池が切れたようにぱたりとソファに顔を沈めた。
見るからに深刻な様子に、駒は眦を下げてソファの背もたれに手をついて少女を覗き込んだ。
「だいじょうぶ? お腹空いたの?」
駒が問い掛けると、少女は瞑っていた瞼を持ち上げて彼女を見上げ、弱々しく頷いた。
「牧くん、なにか食べさせてあげなさい。カップ麺とか缶詰とか、すぐに出来るやつ」
駒は帰って来た直後とは打って変わって真面目な表情で牧に指示を出した。
しかし言っても牧が動こうとしないので怪訝そうに眉を寄せる。
「牧くん?」
駒は少しキツめの口調で弟を呼んだ。ここぞと言う時に言われなくても周りを助ける動きをする牧が今日に限って動きが悪いので、駒も不審を募らせる。
それでも牧は困った様子で苦笑いを見せるだけで、駒はなんなのと微かに憤慨しつつ、少女が心配でそちらに目を移した。
すると、少女がくたりとしながらも首を横に振っている。
「わたし、食べるの言葉だから……」
そして彼女はそんな風に訴えて来る。
普通の人間からはとても聞かないような台詞を出されて、駒は一瞬呆けてしまった。
駒が緩慢に牧に視線を戻すと、先に話を聞いていた弟は諦め勝ちに肯定してくる。
「そういう怪物らしい。吸血鬼みたいなもんだっていう設定」
「……二人してお姉ちゃんをからかってる?」
僅かな期待を込めて駒は弟に向けて怒っちゃうよアピールをするが。
「そうだったら俺も気が楽なんだけど」
牧が肩を竦めるから、むむむ、と駒は難しい顔をして唸った。
「ヘイ、ガール。言葉を食べるっていうならこの仲良し姉弟の会話とか食べないのかい?」
駒は芝居が勝った台詞で少女に問い掛けた。あんまりに現実味のない話だから茶化さないとやってられないのだろう。
理解し難いモノに対してすぐ逃げようとする弟と比べて、社会人四年目も半ばを過ぎようとしている姉はまだ懐が広いとも言える。
「もっと心の籠った、大切な言葉じゃないと栄養が……足りない……牧の使うふしぎな言葉とか、おいしぃ」
少女はなけなしの気力を振り絞り、虚ろな瞳と声で駒に自分の要求を伝えた。
その台詞に駒は深く頷き理解を示す。
「ああ、牧くんのふしぎな言葉ね。あれね」
そして駒は気安く、あげなよ、と視線を牧に投げかけた。
あれ、とか、ふしぎな言葉と言われて牧には存分に思い当たる節があった。
そう思えば、さっき少女が勝手に吸った歌詞にもソレは使われていた。
「
牧がその言葉をぽつりと呟いた瞬間に。
少女は鯉のように大口を開けて体を跳ねさせ、ぱくんと空中に食い付いた。
「おいし~♪」
飴玉を貰った子供みたいに、少女は頬に両手を寄せて口の中になにかを転がしている素振りを見せた。
「おお、正解だったよ、牧くん」
「……え、なにが?」
牧はまるでなにもしてないのにという様子で目を丸くしていた。
駒はまた弟がおかしい様子を見せるので不安で顔を曇らせる。
「だいじょうぶ、牧くん? お熱ある?」
「ないけど。他人がいる前で普通に額に手を当てないでくれない?」
風邪でも引いて具合が悪いんじゃないかと心配する駒に、牧は至って健康だとその手を払い除けた。
駒も掌に熱が伝わってこなかったので、見当違いではあるらしいと身を引くが、そうだとすると弟が変な様子の理由が分からなくて余計に不安にもなる。
「ほら、牧くんのみことって言葉を美味しそうに食べて……舐めて……どっち? どっちなの?」
あんまり大差ない言葉の表現に迷う駒は、実際に牧の言葉を口にした少女に訊ねるけれども。
少女はまだ口の中にある美味しさに夢中で返事は期待出来そうになかった。
「未言? 俺、未言って言った、のか? 言ったか? うん?」
牧はついさっきの自分の発言が思い出せなくなっていて、答えを探すように視線をあちこちに移動させる。
頬が落ちないように押さえていた少女はそれを見て、バツが悪そうに顔を青褪めさせた。
「少女よ。説明してくれるかな? もしうちの弟くんに悪さをしたというなら、お駒は許しませんが」
駒は組んだ腕をソファの背もたれに乗せて、少女に顔を近付けた。声の調子は明るく柔らかくもあるが、その響きには確かな怒りも孕んでいる。
「え、いや、あの……わたしが食べちゃったから、喋ったのがなかったことになったというか、ほら、食べたら食べ物はなくなるでしょ? 言葉って文字とか声とかだけじゃなくて、頭の中の思考でもあるから、ついうっかりそこまで吸っちゃったっていうか、あはは?」
少女は笑って誤魔化すけれど、その隙間で駒や牧の様子を伺う。怒られないか不安みたいだ。
駒ががばりと腕を伸ばしてソファにもたれかかっていた体を持ち上げた。
少女はびくりと腕で頭を庇う。けれど、特になんの衝撃も来なくて、恐る恐る腕の隙間から駒を覗いた。
駒の視線は牧を注視していた。
「牧くん! 高卒のお姉ちゃんには話が難しくてよく分からなかったから判決よろ!」
「そこで俺に丸投げにするのかよ」
さっきまでの威勢はどこに行ったのかと牧は呆れて頭を揺すった。
「つまりお前が食う言葉ってのは、文字とか声とかの現実にある媒体を通してその意味とか言った本人の思考まで食う、と。……それ食われた奴は記憶喪失にならんのか?」
「えっとぉ……物忘れくらいに収めるのも出来る、よ? 栄養は少なくなるけど、人の知能から言葉一つ丸ごと吸うのはマズい、よね? ちゃんと加減はしてるよ……たぶん」
牧が理解した内容が合ってるのか確認を取ると、少女からは自信なさげな自己報告を受けた。
牧は胡乱な瞳でソファに転がる少女を見下ろす。
「吸血鬼の例えで言うと、気付かないくらいの血を吸うか、貧血起こすくらい吸うか、致死量を吸うかっていうのを、問題ないくらいで調整している、と」
「そうそう。頭いいね、キミ」
牧が正解を導き出したのを褒めるように、少女は両手の人差し指を振ってファンファーレを表現した。
「つまりちょっと血を吸うつもりが、ついうっかり貧血起こさせた、というのがさっきの俺の記憶障害だと」
しかし少女の愛嬌で誤魔化されるほど、牧は甘くもなく間抜けでもなかった。
失態を指摘されて、少女はぴたりと指を振るのを停止させる。
「姉ちゃん、変なもん拾った俺が悪かった。面倒見切れないから元の場所に戻してくるわ」
「うわぁああん! やだやだ、もうひもじい想いはいーやーだー!」
牧は少女の首根っこを掴み外へ連れ出そうとするが、少女はまた怪力を発揮してソファに抱き着き必死に抵抗する。
そんな騒がしい二人を見ていた駒は、くすりと笑った。
「いいじゃない。食費もかかんない訳だし、たまに牧くんがご飯上げればいいだけなんでしょ?」
あっけからんと、思いがけず少女の存在を許容した駒の発言に、二人はぴたりと騒ぐのを止めた。
「え、そこはさっさと捨ててきなさいって乗ってくるところだろ、乗って来ないのかよ」
「だって可哀想じゃない。か弱い女の子だし」
「そうそう! わたしってば可哀想だよ!」
「姉ちゃん、よく見てくれ。こいつ、俺の力で引っ張っても微動だにしないんだけど、どの辺がか弱い?」
「か弱いよ! 空腹で倒れたよ! 今もお腹ぺこぺこだよ!」
「お腹が空くと悲しくなるもんね」
「うん!」
牧と少女が言葉の応酬を繰り返すが、駒が少女を憐れんでいるために二対一で牧が判決負けに追い込まれている。
女の強さに競り負けそうになって、牧はぐぬぬと喉を詰まらせた。
「でも姉ちゃん、こいつバケモノだって自分で言ってんだぞ。弟の命が心配にならないのかよ」
手詰まりになって自分の命を盾に取った牧を情けないと取るか卑怯だと取るか、それとも正論だと取るかは人に寄るだろうが。
その台詞を受けて駒はにこりと微笑みを大切な弟に返して。
すっと少女の視界一杯に顔を寄せた。
「牧くんの命が危うくなったら、お駒は怒り心頭になるけど、そんなこと、しないよね?」
駒の声はやっぱり柔らかく、けれど一言区切ったそれには鉛のような重みがあった。
その威圧を一身に受けた少女は壊れた機械人形のようにがくがくと懸命に振った頷きを駒に見てもらおうと全力を尽くす。
少女が視た姉の表情がどんなものなのか、牧は絶対に知りたくないと思った。
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