牧の一人歩き

 十二月に入って大学の景色は空気が色褪せたかと思うくらいに物寂しくなる。

 牧の田舎であれば雪が積もり他の季節とは様変わりする街並みを楽しむことが出来るのだが、八王子は雪が降るのも稀で街を埋め尽くすように積もることはまず有り得ない。

 木々の葉は全て散って枝を晒しているか、常緑ながらも暗く深く濃く陰鬱な色味に変わってしまっている。

 冷たい空気は肌の潤いを掠め取って乾燥させて、太陽の光も何処か遠く感じる。

 ここ最近、何かと身の回りが騒がしかった牧は、そんな冬の寂寥の中を一人で歩いていた。

 紗貴もすいも、友人達も共にいないのは、どれくらい振りかと振り返ると、真面目に数ヶ月振りな気がして苦笑いが零れる。

「いやぁ、一人でいられる時間って貴重だな」

 牧は宛のない散歩を続ける。朝のランニングではないが、とにかく足を動かして景色を眺めるのが目的になりつつあった。

 他人といる事は牧にとって何の負担でもなく疲れもしないが、一人で何の目的も意味もなくぶらつくと言うのも良いものだ。

 特に二ヶ月前に拾って何かと付き纏ってくる騒がしくて仕方ない妹的存在がいないだけでこんなにも心安らぐとは思ってなかった。

 牧が歩く脇の雑木林に小鳥達が飛んできて姦しく鳴いている。その拍子に木が揺れてざわざわと蠢いた。

 牧は足を止めてしばし耳を傾けた。日に火包ほくるまれる右半身だけが熱さを感じ、逆側はすさむから手をジャケットのポケットに仕舞った。

 ふと、牧は思う。雪に囲まれた故郷よりも、この八王子の冬は暗いんだと。

 日の光が雪に反射して砥光とみつに満ちた故郷は、東京の片隅の八王子よりも店も人も街灯も少なくても、明るかったんだと気付く。

 雪のない冬は暗い。

 日射しが当たるだけで体が温まり、それなのに日陰は震えるくらいに冷える。

〈半分欠けた冬〉

 牧は瞼を閉じておもく。

 雪は間違いなく冬の代名詞であるから。それが欠けたこの冬は半分欠けている。

 日射しが冬の寒さを半分欠けさせる。

 そうすると、と牧は詩心を巡らせた。

〈日没の日彼方ひかなつ夜は、冬が満たされる〉

 どうだろうか。

 満たされるというのは言い過ぎだと牧は思った。雪は夜になって現れる訳でもないから、欠けたままだ。

 半月から少し膨らんだ寝待月くらいの月齢の形を牧は脳裏に思い描く。

〈日彼方つ夜に、冬は膨らみ、けれど欠けたまま浮かんでいる〉

 牧は言い直して、こっちの方がしっくり来るとスマホにメモを取った。

 今付け足したメモの一つ前に、十月に残した〈乾いた綺雨あやさめに打たれる度に〉というワンフレーズだけが手付かずで放置されているのが目に入る。

 すっかり忘れていたと牧は自嘲した。

 日常の中で未言みことを見付けて、詩の断片を詩想して、それで日常を過ごす中で置き去りにしてしまって、次の未言に詩を呼び起こされてそれを見付ける。

 我ながら節操がなくて、誠意がないと感じた。

「まぁ、でも、詩なんて無理矢理こねくり回しても碌なもん出来ないしな」

 言い訳して目を背けた。気が向けば置き去りになった詩心だって芽言めこととなって牧の胸を責めるだろう。

 言葉が芽吹く時の衝動には逆らえない。けれど眠る種に意識は向かない。

「趣味なんてそんなもんだよ」

 牧にとって詩は趣味にしかならない。それで何かを得ようとも思えないし、誰かに贈ろうとも思わない。

 ただ自分で自分を急き立てる心を慰めるためのもの。一度灯ればカタチにせずにはいられないもの。

 それなのに。

「俺よりも言葉に情熱向けてる人間は幾らでもいるってのに、なんで騅は俺にこだわるんだろうな」

 牧が未言を知っているから。それはあるのだろうけど、今はもう騅に未言屋店主の通販を教えている。

 牧が与える未言に拘らなくても、未言の作品は手に入る筈だ。まぁ、牧の私物である冊子は食べられると困るので手を出すなと言い聞かせているが、同じのを注文するかと訊いても騅は牧のでいいとそんなに乗り気にならない。

 けれど、騅が最近好んで食べている本は、かなり未言屋店主の趣味嗜好に近いのを牧は知っている。エマソンの詩、枕草子、古今和歌集、法華経、レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダー、シートン動物記、それらを騅は駒から貰った小遣いで繰り返し購入して何度も食べている。全て未言屋店主が何処かしらで自分を形作ったと述べている作品だ。

「俺よりも美味しく未言を表現する人が見付かると、騅はそっちに行くのかな」

 その予測は少し寂しくて牧の胸に針鼓はりこを刺した。

 けれどそれよりも強く、それは騅にとってきっと恋になって、本当に大切な相手との出逢いになるんだろうと仄かな温もりも宿した。

「そしたら騅は今より幸せになれそうだな」

 どうか受け取れる限りの幸せで満ちてほしいと願うくらいに、あの騒がしくて面倒な人外の妹に絆されているのを自覚して、それでも牧は嬉しそうに笑みを溢す。

 さっきの詩を紙に書いて食わせてやろう。牧はそう思って家に向けて足を踏み出した。

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