気の置けない仲

 駅前の空中歩道ペデストリアンデッキに立っている紗貴は手首を返して腕時計を確認した。牧との待ち合わせまであと五分を切っている。

 今まで、待たせる事はあっても待つ事はなかった紗貴は、牧に何かあったのかと不安で心が煽られる。

 つい十数秒前にも確認したのに、また鞄からスマートフォンを取り出して電源ボタンに指を掛ける。浮かび上がったホーム画面には電話もメールも通知が入ってなかった。

 連絡が出来ない状況なのか、単に頭から抜けているのか、何の情報もない現状では判断が付かない。

 待ち合わせ時間にもなっていないのに電話をするのも急かしているようで悪い気がして、紗貴はざわつく心をどうにか宥める。

「紗貴!」

 そんな落ち着かない気分でいた紗貴の耳に、息を切らした呼び声が届いた。

 耳控みみひかえられるままに顔を上げれば、バス降り場に繋がる階段から走って来る牧の姿が見えた。

 パッと見て、取りあえず怪我をしている様子はなく、それだけでも紗貴は一先ず安堵出来た。

「ごめん、待たせた!」

 紗貴の前に辿り着いた牧は膝に手を付いて体を支えて肩で息をしている。

 そんなに慌ててやって来た牧を見ていると、紗貴の方が申し訳ない気持ちになってくる。

「ぎりぎり間に合ってるから、謝ることないって。でもなにかあったの?」

「あー、んっ、と。ちょっと、待って」

 牧は呼吸が整わなくて喉を閊えさせてしまう。普段から体を鍛えている牧がこんなにも息を乱すだなんて、どれだけ本気になって走ってきたのかと思う。

 紗貴は牧の体に視線を這わせて、何処も無事なのかと確認しながら待つ。

「はぁ、はぁ、あー。それが、なんでか分かんないんだけど、ソファで寝ちゃって出るのがギリギリに……」

「ええ? なにそれ。私とのデートが楽しみ過ぎて昨日眠れなかったの?」

 ただの居眠りが遅刻の原因だと知って、紗貴はやっと軽口を叩く余裕が持てた。

 牧はバツが悪そうに頭を掻く。

「いや、ちゃんと夜寝たんだけど……自分でもなんで出る前に寝てたのか分かんなくて……」

「そう。でも事故とかじゃなくて良かった。別に連絡一本くれたらいいんだから。慌てて来て途中で怪我したらどうするのよ」

 牧は紗貴に指摘されて初めて連絡を入れてなかったのに気付いたようで、頭を抱えていた。人通りの多い往来でデカい図体の男が女性の前で項垂れていたら目立って仕方ない。

「そしてすいちゃんも急いできてサングラスするのも忘れて尾行している、と」

「え、あいつ、また付いて来てるの?」

 牧が上がって来た階段を数段残したところで落下防止の側板に隠れて騅は顔を覗かせている。でも目から上がばっちり見えているから、まるで隠れている甲斐がない。

 牧は後ろを振り返って存在を認めるのも嫌なようで、中途半婆に首を回している。

「駒さんは今日来てないのね?」

「ああ、姉ちゃんは今日クリスマス特番の生放送で仕事だから」

「あら、人気グラビアアイドルは忙しくて大変ね」

 折角のクリスマスに仕事が入るだなんて芸能人らしいと言えばらしい。

 本人はきっとこっちを見守りたかっただろうに、泣く泣く諦めて仕事に向かう姿が紗貴の目に浮かぶ。

 やっと全力疾走の負担と紗貴を待たせた緊張から抜け出した牧が上半身を起こした。

 持ち上がった牧の顔を、今日初めてちゃんと確認して、紗貴はその頬に手を添えた。

「え、なに?」

「……なんか顔色良くないけど、大丈夫? 本当は具合悪かったりしない?」

「いや、全然……、え、寝起きで騅にも心配されたんだけど、そんなに顔色悪いの、俺?」

 そんなに悪いかと言われると、普段から余程牧を良く見ていないと気付かないくらいの違いではある。いつも授業で一緒にいる友人でも気に留めないだろう。

 それでも紗貴が見ると、牧の顔は若干血の気が引いて青褪めているのが分かる。

「なにかあった?」

「あー、いや、夢見が悪かった……みたい? どんな夢かもう覚えてないんだけどさ」

「そう。別に覚えてないなら思い出さなくていいわよ。良くない夢だったんでしょう? 忘れられた方がきっと良かったのよ」

 牧を気遣う紗貴の顔を、牧は呆然と見返した。

 急にぼんやりし出した牧の様子に、やっぱり不調なのかと紗貴は眉を寄せた。

「なに?」

「いや……騅とほとんど同じこと言うから……」

 牧は言い訳がましくそう言って手で隠しながら顔を背けた。

 その表情に紗貴は長年の付き合いから牧の心情を読み取った。

「なに、騅ちゃんが私と同じ思考してるからって嫉妬してるの?」

 紗貴に指摘されて、牧は面白いくらいに顔を真っ赤に染めた。これ以上ないくらいに図星だというのが分かりやすい。

 そんな子供っぽい態度が可愛らしくて、紗貴はつい口許が緩んでにやついてしまう。

「まぁ、牧は遅刻しそうなのに連絡も忘れるくらいに抜けてるからねー。女心なんてちっとも分かんなくてもしょうがないんじゃないかなー?」

「うっさい!」

 これまでの沈んだ空気なんてなかったかように牧を揶揄う紗貴に、牧も思春期のような反抗を見せる。

 弄り甲斐があって大変宜しいと紗貴は内心で微笑ましさを灯す。

「さて。牧もちょっと調子良くなさそうだし、先にゆっくりお昼にしよっか」

「え、でも、お昼食べる前にぶらつこうって言ってたじゃん」

 気を遣われて予定を変えられるのも心苦しくて、牧は動き出そうとする紗貴を引き止めた。

 でも紗貴は逆に溜息を吐いて牧に向き直る。

「別にぶらつくのもどこかでゆっくりするのも、牧がいるならおんなじなの。分かる?」

 牧は紗貴に言い返せなくて、んぐ、と押し黙った。

 逆の立場だったら牧だって紗貴を歩かせようなんて思わないし、何をしていたって一緒にいられるならそれで満足だし、気遣いに気遣いで返すのがたがっているのだと牧自身でも気付いた。

 紗貴は牧の手を取って、ゆっくりと食事が出来るお店を頭に思い比べながら歩き出す。

 牧は紗貴の横で歩調を合わせて、何とか手を引かれるのではなく、隣に立つ格好を保ってデートを開始出来た。

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