吸言鬼ちゃん、手紙を貰う

 一通の手紙がすいに届いた。その手紙を前にして炬燵に足を入れながら騅はだらだらと滝のように汗を流している。

 差し出し人の所にははっきりと『安登轅』と手書きなのにパソコンで打ち出したような楷書が鎮座している。

「ついに来ちゃったな」

 郵便受けから手紙を持って来た牧が騅の前に置いた封筒をひょいと取り上げた。

 開けるぞ、と牧が騅に目で合図すると、騅は弱々しく頷いた。

 牧の指が封を破り開いた隙間から二枚綴りの紙を引き抜いた。封筒を逆さまにして振ってみたけれども剃刀の刃は入っていなかった。

 牧も騅も当たり前の事なのにほっと安堵の息を吐いた。

 牧は続けて本文の方に目を落とし、そして読み進める程に顔を顰めていく。

 そんな無言で不穏な態度に騅は更に不安を募らせていった。

 二枚目の最後まで読み終えた牧は目頭を指で揉んで自分の疲れを労わった。

「……読むか?」

「こわいよっ!?」

 騅は身を仰け反らせて牧が差し出してきた手紙から距離を保った。触った瞬間に呪われるとか起こりそうで怖い。

「文体は丁寧ではある」

「問題なのは内容だと思います」

「その通りだな」

「否定してくれないの!?」

 牧が言外に内容がヤバいと表現している。なんでそんなものを読ませようとしてくるのか。

 騅は体を炬燵の下に引っ込めて目から上だけを覗かせて牧を威嚇する。

「でもまぁ、ながえにしてはマシな方だ」

「一般人と比較した場合は?」

「……こんなもの書ける奴を一般人と認めたくはないなぁ」

「アウトです!」

 一般人から逸脱した文章がマシな方って、今までどんな狂気を実行してきたのか。

 騅は轅の話を聞く程にどんどん会いたくなくなっていく。

「でも一応騅宛だし……俺が読み上げるか?」

「わたしは知らないでいるという選択肢はないの……?」

「いや、送った手紙の内容を知ってない方が実際に会った時に騅が危ないかもって思って」

「はっ」

 確かに、有り得る。有り得すぎて笑えない。

 契約書にちゃんと書いてありますよねって言い逃れ出来ないようにして被害者を追い詰める奴だ。最近食べた異世界内政もので知った知識が危険回避に役立ったと騅は感謝したくなる。

 そしてぐっと息を飲み込んで気持ちを落ち着けて、じっくりと胸の奥底から消えそうな暖炉の火みたいに蹲っていた勇気を慎重に取り出した。

「牧、読んで」

「わかった」

 牧が轅の手紙を両手で持ち上げて目線の高さで止めた。

『吸言鬼 騅様へ

 拝啓。

 雪の訪れを感じさせる寒さが身に沁みる季節となりましたがお加減は如何でしょうか。

 初めまして。安登駒と牧の弟の轅と申します。名前は「ながえ」と読みまして、馬と馬車と繋ぐ器具を意味しています。両親は姉が馬の種類、兄が馬の育成場所であるので、僕も馬関連の名前にしようと馬具を調べて名前を決めたそうです。馴染みのない漢字と響きではありますが、僕は両親がくれて親愛なる姉と兄との繋がりを持ったこの名前がとても大好きで大切にしております。

 騅様につきましても、兄の牧が名前を付けたと姉から伺いました。姉の駒と同じく馬そのものを表す名前になった事に、兄が姉弟を大切にしてくれているからこそそう言った言葉を真っ先に名前の候補として出したのだろうと胸が暖まる思いがしました。 』

「え、文体がとても丁寧」

「言ったろ、文体は丁寧だって。きっちりした性格なんだよ。徹底的とも言える」

「待って。その徹底的って、徹底的に相手を潰すとかそういう意味で言ってるよね?」

「……まだまだ続くぞ」

「牧ー! そういう全部言わないのが逆に怖いから止めて!」

 恐怖で悲鳴を上げる騅を無視して牧は続きを読み上げた。正直に言えばこんな疲れる要件はさっさと終わらせたい。

『兄が行き倒れた騅様を拾ったとお聞きした時、僕はとても不安になりました。兄の優しく人助けを自然に行う人柄はとても好ましく思っておりますが、都会には人を騙す輩が多いと聞き及んでいます。現代日本で人が行き倒れているという非常識な事態に正直兄を騙して誑かそうとしているのではと不審を抱いております。

 その上、騅様が吸言鬼という人外の存在だと聞かされた時、教えてくれた姉の正気を疑いました。姉や兄は騅様が実際に言葉を食べた所を目撃したと言っておりましたが、浅学な僕には理解が及びません。しかも騅様が食したい言葉というのは兄の牧が扱いものだとも知り、騅様の仰る事が虚偽であれば兄がどんな悪事に巻き込まれるのかと不安になり、仮に事実だとすればそのような魑魅魍魎に憑かれて悲運に見舞われた昔話が枚挙に暇が無い以上、兄の心身が心配でなりません』

「え、遠回しにわたしなんか信用出来ないって書いてない?」

「回りくどくて難しい言葉使ってるだけで、割と率直に悪者扱いされてる」

「待って。こわいこわいこわい」

 轅は慇懃無礼どころか、礼儀正しいのは言葉遣いだけで真正面から騅を警戒して敵視している。

『本音を語れば、僕はこの話を聞いて直ぐに姉と兄の元へと飛んで行きたかったのですが、お世話になっている武野家のご両親に一人で東京には行かせられないと止められてしまいました。武野家は紗貴姉さんの実家です。騅様も紗貴姉さんとも交流があるとお聞きしました。一人暮らしの女性である紗貴姉さんの身に何かあってからでは遅いと僕は訴えていますが、姉が定期的に連絡をくれるから様子見るとご両親から言われて、僕の主張は取り合って貰えませんでした。まだ中学生であり保護者に行動を制限されて然るべきこの身がとても恨めしいです。何故僕も姉や兄と一緒に東京へ出れるくらいに歳が近くないのかと毎日自分の境遇を歯痒く思っており、僕の大切な人達が無事であるようにと祈り、悪しき者が離れていくように強く願っています。』

「なんか実は呪いとか出来たりしなよね、この子?」

「昔、あんなもの効果がないから駄目だって諦めてたぞ」

「効果が出るならやるってことじゃん!?」

「……騅なら頑張って弾き飛ばせたりしないのか?」

「そんな事態になる前に止めてくれないかな!?」

 轅には神秘を扱う素質はないと牧は思っている。それと騅の方がそう言った非常識なものが得意なのだから自分の身も守れるだろうと期待もしている。

 どちらにせよ、牧自身には全く関与出来ない分野なので、実行されないでほしいと願うしか出来ない。

『武野家のご両親は、年末年始に騅様も姉達と一緒に帰省するからその時に見極めれば良いと諭されました。安登家の良心も同意しております。

 しかし僕はそんな遠い未来まで大切な姉や兄の側に得体の知れない人物が同居している事実に不安が隠せませんし、そもそも血の繋がった家族である僕が姉や兄と離れて暮らしているのに赤の他人が寝食を共にしているという事自体が不満であります。

 それでも姉からも一緒にいて楽しいと、事あるごとに連絡や動画が送られており、姉や兄本人の意向は勿論僕も尊重したい次第であります。それ故に自分の消せない不審と姉や兄の人を見る目は確かだろうと期待する心とで決断が下せず、お手紙を認めるのに一月も費やして挨拶が遅れた事は深く謝罪致します。

 一先ずは僕も学生の身である以上、冬季休業に入るまでは勉学に励み本分を果たして姉と兄に安心してもらうと決めました。

 どうか騅様も決して姉や兄に危害や迷惑を加える事のない、真に善良なる姉や兄の側にいるに相応しい人物であるようにと祈っております。もし事実がそうでなく、姉や兄の身に不測の事態が起こるのであれば、僕は全てを擲つ決意であります。

 末筆ではありますが、実際にお会い出来る日を楽しみにしております。

 敬具』

 轅の手紙を読み終えて牧は疲れ切った溜息を吐き出して肩を沈ませた。

「この手紙、厄払いに燃やした方がいいんじゃないかな!?」

「確かに」

 騅の意見に同意するくらいには牧もこの手紙がこの世にあるのが不穏だと感じている。

 隠しもせずに騅を疑っているし、駒や牧や紗貴の側にいる事に嫉妬しているし、轅の性格上本当に事件が起きようものなら何としても復讐を果たすだろう。

 弟の気持ちが重い、と常識的な兄は項垂れる。両親が殆ど家にいなくても駒や紗貴や紗貴の親と協力してちゃんと育てたつもりなのに、何がどうしてこんな歪んだ家族愛を抱えて育ってしまったのだろうか。

「あと、わたし、牧達の実家に行くの?」

「それな。俺も初めて知った。まぁ、お前をこの家に何日も一人にさせるのも不安だしなぁ」

 何気に駒は当たり前だと思っている事をちゃんと教えてくれない。困ったものだ。

「なんかお前、轅を魅了して仲良くなる特殊能力とかないの?」

「そんなことして牧は嫌じゃないの……?」

「いや、それくらいしないと無理じゃないかなって思って」

「こわいこといわないで!」

 牧の実家に行きたくないと、騅はどうしても強くそう思ってしまった。

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