お姉ちゃんとお出かけ

 駒が乾いた洗濯物を取り込んでいたら、ひょっこりとすいがやって来て籠の中から自分の服を引きずり出していた。

 駒が貸している寝間着を脱ぎ捨てて洗い立ての服に袖を通している。

「騅ちゃん、窓開いてる部屋でまっぱになるのはおよしなさい」

「え、だめ? 牧いないよ?」

 駒はカラカラとベランダの窓を閉めて騅の隣に座る。騅の脱ぎ捨てた寝間着に手を伸ばして丁寧に畳んだ。

「牧くんはいなくても、外から覗かれたりするんだよ」

 騅は窓越しに青空や道を挟んだ向こうの家の屋根を見詰める。

「ここ、三階だよ?」

「するんだよ」

 外を歩く人には見れない高さだと騅が訴えても、駒は同じ注意をする。しかも語尾以外は省略されていて、駒の方が常識なのだと主張している。

 騅はむぅ、と唇を尖らせるけれど文句は言わない。

 駒は騅の寝間着が洗濯物と混ざらないように避けてから、洗濯籠の中身に手を伸ばした。

「騅ちゃんって他の着替えとか持ち物とかないの?」

「ないよ」

 騅はごろんとソファに寝そべった。革張りでつるつるしてるこのソファの硬さは意外と寝転がるのに丁度良い。

 着の身着のまま放浪を続けてやっと牧に拾われたのだ。何かを買うお金も当然持っていなかった。

「なるほど」

 駒は畳み終えた洗濯物を自分のと牧のとに分けてから重ねて立ち上がる。

 牧の服は部屋のベッドの上に置いて本人に仕舞わせるようにして、自分のものは自室の箪笥に納めてからリビングに帰って来る。

「じゃあ、騅ちゃん、お買い物に行こうか」

「お買い物? わたしも? なに買いに行くの?」

 どうしてわざわざ自分も連れて行くんだろうと騅は首を傾げて訊き返した。

 駒も牧も昨日は一人で出掛けて騅はお留守番をさせられたのに。

「騅ちゃんの服とかケータイとかその他諸々買い揃えないと。早い方がいいでしょ」

 駒の言葉に騅はきょとんとする。それからゆっくりと言葉の意味が頭に巡ってきて。

「わたしの!?」

 自分の小さな鼻先を指差して小鳥みたいな鳴き声を上げた。

「そう、騅ちゃんの」

「なななな、なんで!? どして!? わたし、牧に言葉食べさせてもらえたらそれで生きていけるよ!」

 思いも寄らないことを言われて騅はテンパり駒を思い留まらせようと説得を試みる。

「でもそれはただ生きていけるだけでしょう? 女の子なんだからおめかしもしなきゃだし、ケータイ持ってた方が便利だし」

 駒は手早く髪を纏め上げて帽子の中に押しこみ、レンズの大きな夕焼けみたいにグラデーションしたサングラスを掛けるとソファの横に近寄ってきた。それで騅の腋に手を差し込んで、よっこいしょと立ち上がらせる。

 駒は騅を抱き上げた体勢のままで顔を近付けた。

「それに、うちには弟しかいないから、お駒はずっと妹が欲しかったの。いっぱい甘やかしてあげたいんだ」

 にかっと笑う駒の顔があんまりにも眩しくて、騅は熱に当てられて何も言い返せなくなった。

 恥ずかしそうに俯く騅を見て、駒は尚更笑みを咲かせる。

「これでもお駒はたくさん稼いでるから心配いらないよ」

 駒は騅の手を引いて、玄関に掛けていた小さいバッグを手に取り車のキーを放り込んで颯爽と出掛ける。

 駒の運転で駅前のデパートへ。

 リラックスしてハンドルを握る駒の姿が騅には格好良く見えた。

「弟と妹でなにか変わるの?」

 隣に座っているだけでは退屈で、騅は駒に話し掛ける。中身はなんでも良かったけれど、折角なので駒がどうしてわざわざ騅の世話をしたがるのかを訊いてみた。

「ちがうよー。妹なら可愛いお洋服着せられるじゃない」

「駒のお下がりでもわたしはいいよ?」

 それなら新しいのを買わなくていいのに、勿体ない。それが騅の率直な気持ちだった。

「だめだよー。騅ちゃんはちっちゃくて可愛いから、お駒の服はぶかぶかでしょ。家着はともかく余所行きのはだめ」

 騅は釈然としない顔で自分の服の袖を弄る。昼間はこうしてちゃんとした服を着てるし、間に合っているのに。

 その動きに誘われたのか、ちらっと駒が一瞬だけ視線を助手席に流す。

「そういえば、その服似合ってるね。誰かに貰ったの?」

「ううん。偶々捨ててあったファッション雑誌を食べて作ったの」

「うん? 手作り? どゆこと?」

「手作り、とは違うと思う」

 騅は食べた言葉を消費して現実にすることが出来る。そういう生態なのだ。

 騅の体も服もそうやって言葉を消費して作ったものだった。

「でも、食べた言葉を使うから、それするとお腹空いちゃうの」

「それは大変だ。便利だけどあんまり気軽にはやれないね。うん、やっぱりいろいろ買わなくちゃね」

 だから買わなくてもいいよと言おうとしたのに、駒は先回りして駒の反論を封じ込めた。

「騅ちゃんはファッション雑誌食べてそのお洋服作ったってことは、写真も食べられるの? 本ならおっけー、みたいな?」

 騅はふるふると首を振った。

「言葉が宿ってるものなら、その宿ってる言葉を食べれるの。んと……だから、写真とか絵の題名タイトルとか主題テーマとか、そんな感じのがちゃんと籠ってるのだけ」

「ふーん」

 騅のたどたどしい説明で分かったのか分かってないのか、駒は車線変更しながら相槌を打った。

 ウィンカーを切って跳ねる音が途切れる。

「てことは、騅ちゃんの服の写真は、デザイナーか撮影者か、それとも着たモデルかが本気になってたからその想いが雑誌にも映って騅ちゃんが食べられた訳だ」

 騅は駒がちゃんと分かってくれたのを知って、顔を輝かせて首が取れそうな勢いで何度も頷いた。

 その音が駒の耳にも届いて、駒はくすくすと笑う。

「そうすると、みことっていうのはみんな美味しいんでしょ? どれも心が籠ってるんだね。……んん? それは誰の心が籠ってるの?」

 一昨日、牧が呟いた一言でも騅は美味しいと言った。でもあの時に牧が思いを込めてたようにはとても見えなかった。

 騅も足りないといってまだまだお腹を空かせていたし、駒にはちぐはぐに感じられた。

「それはきっと未言屋店主の心だね」

「みこと屋店主? 誰それ?」

「駒、知らないの?」

 騅が驚いたように目を見開くけれど、残念ながら駒はそうまで未言とやらに興味がある訳でもない。

「牧くんがたまに使うよく分からないふしぎな言葉ってしか思ってなかったからねー」

「そうなの」

 駒が今までの事をそのまま伝えると、騅はしゅんと寂しそうな顔を見せた。駒はちくりと胸が痛む。

「お姉ちゃんに教えてくれる?」

 昔、同じ様に牧に聞いた時は変に恥ずかしがって結局なんにも教えてくれなかったなー、と駒は懐かしい気持ちになった。

 そして弟と違って嬉しそうに、うん、と意気込む騅が可愛くて、やっぱり妹は素晴らしい、降って涌いて出るだなんて奇跡と駒は幸福を噛み締める。

「未言屋店主は、未言を創った人だよ」

「作った? 言葉を作るの? 発掘とかじゃなくて?」

 言葉を発掘するという表現もどうかと思うが、駒の語彙はその辺りが限界だった。

「発掘……世界の翻訳って未言屋店主が言うことはある、みたい。今までこの世界に確かに存在していた物事なのに、言葉で表現されなかったことを言葉として生み出したもの、それが未言」

 騅は両方のこめかみを右手と左手それぞれの中指でぐりぐり押して、難しそうに言葉を紡いでいった。それはまるで覚えたばかりの知識を懸命に出そうとしている受験生にも似ている。

「新しい言葉ってこと? なんだっけ、造語って言うんだっけ? 騅ちゃん、よく知ってるねぇ」

 駒は自分だったらそんな難しい文章を暗記出来ないと感心している。

「ん? こないだ牧から未言を食べたから、だいたい分かる」

 どうやら食べた言葉の知識も自分のものに出来るようだ。食べた言葉を消費して現実にするというより、納得のしやすい話ではある。

「未言屋店主は誰も見向きしなかった世界の美しさを、世界のほんとうを、ありのままに表現したいから未言を産み出すの。それってやっぱり、とてもとても大事に大切にしてるって、そういうことだよね」

 騅はうっとりと語る。

 その顔も雰囲気も幸せそうで、駒まで胸が暖かくなってきた。

「それはとても素敵な人なんだね。……一応訊くけど、その未言屋店主って人なんだよね?」

 駒は助手席に座る可愛い女の子もそう言えば人間じゃないんだったと思い出して、言葉を新しく産み出すだなんて人並外れたことをする人物が人間じゃない可能性に思い至ってしまった。

「たぶん、人間? 本人は人間に生まれたけど、本性は魔女で化け猫で蛇で、それからいろいろ言うけど、まぁ、つまりは未言屋店主っていう生き物、って言ってるみたいだけど」

「……それ、本当に人間?」

 聞けば聞くほど、駒の脳内で未言屋店主というのが人外としてイメージが固まっていく。

 騅も重ねて訊ねられて、上の方に視線を向けて悩んでいる。

「んー……人間でもそうじゃなくても、未言が美味しいから、この世にいてくれて良かったってわたしは思うかな」

「そっか。そうだね。ふふっ」

 人間かどうかなんて些細なことだなんて、こっちまでそう思える日が来るなんて思ってもなかった駒は、おかしくなって笑ってしまった。

 急に笑い出した駒を、騅は不思議そうに見詰めていて、そのきょとんとした顔も可愛かったので、駒は割と幸せだった。

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