小さな少女

「紗貴……?」

 牧の呆然とした呟きにソファで本を読んでいた少女はこてんと首を傾げた。

 それで牧から視線を外してその小さな膝に乗っかっている頭をぽんぽんと叩く。

「紗貴ー。牧が呼んでるよー」

「ん、んんっ」

 少女の膝枕に頭を預けていた紗貴が呻きながらソファに手を付いて体を持ち上げた。

「え、紗貴が、二人いる……?」

 同じ顔をした大学生と少女が目の前にいる光景に、牧はやっぱり自分は夢を見ているのかと疑って頬を抓った。意外と自分で抓っても痛いものなんだなと新発見する。

「牧!」

 大人の方の紗貴が牧の姿を認識すると、寝惚け眼を吹き飛ばして、矢も楯も溜まらず抱き着いてきた。

 牧は腹に痛みを感じながらも紗貴が預けてくる体重を、足を踏ん張って受け止めた。

「牧! 牧! ちゃんと生きてる! よかった……よかったぁ……」

「……うん。心配かけてごめん」

 声を濡らして牧の胸を濡らす紗貴を、牧は腕に力を込めて抱き寄せる。

 生きていて良かった、だなんて当たり前の事を今更ながらに実感する。

「紗貴ったら、牧を待ってて、ついさっきまで全然寝なかったんだよ。それで牧が帰って来た時に寝ちゃうんだから、しょうがないよね」

 紗貴と同じ顔をした少女が身を寄せ合う二人の事を、くすりと笑う。

 それは幼い頃の紗貴に揶揄われているみたいで、牧は背中がむず痒くなった。

「え、ていうか……もしかしなくても、すいか?」

「他に誰に見えるの?」

 きょとんと丸っこい目で見返して来る少女に、牧は心の中で小さい時の紗貴にしか見えねぇよと悪態を吐く。

 しかし文句を言うよりも先に訊きたい事があった。

「お前、そんな小っちゃくなって……だいじょうぶなのか?」

「んー、だいじょうぶだったみたい?」

 こいつ、何が起こるか分からないでいた癖に何かやりやがったな、と牧は察した。しかし、十中八九、そのお陰で命が救われたと推測出来ているので、怒鳴るのをぐっと堪える。

「一体、なにがあったんだ。俺、ナイフで思いっきり刺されたよな? なのに医療用の絆創膏貼っとけば自然に治るくらいの傷だとか言われたんだけど」

「……それは私から説明するね」

 牧の腕の中の紗貴が指で涙を拭う。

 こんなに泣いて、情緒が乱れているというのに。

「別に騅からでいいんだけど」

 紗貴に無理をさせたくなくて、牧はちまっこい騅に目を向ける。

 姿は変わってしまったけれど、見る限りは疲れていたりとか苦しんでいたりとかはしてないようなので、紗貴の方こそ休んでいればいいと思ってしまう。

 けれど紗貴は首を横に振ってそうはいかないと譲らなかった。

「騅ちゃん、記憶がなくなってるところがあるから、全部は説明出来ないの。推測混じりになるけど、私から説明した方がいいわ」

「え、記憶って、それ、平気なのか?」

 記憶を失うくらいに不調に陥ったのかと牧は不安になって騅を見るが、当の本人はきょときょとと瞬きとしている。

「あ、なにか飲む? 紅茶とか気分が落ち着くって言うよね」

 そういう事じゃない、と牧が言うよりも早く騅はぱたぱたとキッチンへと行ってしまった。

 何だか話が噛み合わなくて調子が狂う。

 牧は所在無くなってしまい、取りあえず紗貴の手を引いてソファに腰掛けた。紗貴も当然のように牧の隣に座って牧に体を預けてくる。

 話し辛い体勢だとは思いつつも、牧は紗貴を押し退ける気にはなれなかった。

「ちなみにおねーちゃんはお話聞きましたがちんぷんかんぷんです」

「あ、うん。わかった、期待しない」

 牧とは向かい合わせに座った駒は胸を張って役立たずだと自己申告してきた。

 その宣言は必要なんだろうか。

 牧がやるせない気持ちを抱えていると、紅茶の用意を整えた騅が戻って来た。

 騅のさらに小さくなった手がティーポットからカップへと湯気の立つ液体を注ぐのを牧はぼんやりと見詰める。

 液体が宙を落ちる緩やかな動きと、紅茶とカップが立てる穏やかな音と、紅茶の優しい香りは、確かに少し気持ちを和らげてくれた。

 紗貴は早速カップを手に取って紅茶を口に含んだ。

「ええと、牧ならそのまま言って伝わるかな。騅ちゃんは言葉の力を消費して、奇跡を起こしたみたいなの」

「……それはファンタジーなことが実際に起こったっていう感じで考えたらいいの?」

 紗貴が開口一番、突飛もない発言をして、牧は頭を傾けた。

 けれど、今更だけど騅自身が言葉を食べるとかいう突飛もない存在だ。

 腹の中の臓器が掻き混ぜられた実感を覚えている以上、その傷が嘘のように軽かったと診断された牧としては、現実的ではない話も本当の事だと受け止めるしかない。

「そんな感じ。牧のミコトの言霊を使ったって。その言葉の意味がちょうど命を救えるものだったっていうことらしいんだけど」

「あー……未言みこと巫女とか未言少女みたいなノリか。似たような話は確かに小説で読んだことある」

 事実は小説よりも奇なりとは言うが、まだ事実が小説に追い付いたところだ。戸惑うには及ばない、と牧は自分に言い聞かせる。

「それで、どの未言を使ったんだ?」

 実際に使われた未言の意味が分かればまだしも理解し易いかもしれないと思って、牧は騅に訊ねる。

 けれど騅の返事は予想外のものだった。

「さぁ? 知らない」

「知らないって……お前がやったことなんだろ?」

 当の本人が知らなくて誰が知っているというのか。

 けれど騅はふざけている雰囲気もなくて、真面目に分かっていない感じだ。そんな騅の態度に牧は戸惑ってしまう。

「そうだけど、だって、全部使っちゃったみたいだから、わたしの中にはもう残ってないんだもん」

「……ん?」

 騅の言い回しがおかしくて、牧は一瞬脳の認識が遅れた。

 それを順番立てて頭の中で整理する。

 騅は未言の言霊を使った。

 その言霊の力によって牧の命を救った。

 けれど騅は言霊を全て使ってしまって、彼女の中には残っていない。

 そして、騅は言葉を食べて自分を存在させている。

 牧は理論立てて考えた結果、出てきた一つの答えを信じたくなくて思わず口を押えた。

 言葉を摂取して存在しているものが、摂取した言葉を残さず使ったらどうなるのか。

 牧の脳裏に火を灯して短くなる蝋燭のイメージが浮かんだ。

「待て、じゃあ、お前が小さくなってるのって、消えかかってたってことか!?」

 牧は感情に急き立てられてソファから立ち上がり、騅を見下ろして疑問をぶつけた。

 騅の丸っこい目は透き通った色合いで牧を上目遣いに見返す。

「んー、ちゃんと覚えてないんだけど、死に掛けた牧に言葉を返したら、わたしは消えちゃってもおかしくなかったと思うんだけどね?」

 不思議だね、と騅は呑気に笑っているが、牧は笑えない。

 足が震えてくる。

 でも、騅が言っている事は、実は牧がやった事と全く同じ意味を持つ。

 牧は紗貴がナイフに刺される所を、身を呈して庇い、代わりに死に瀕した。

 そんな牧を死なせたくないと騅は自分の存在を懸けて、命を救った。

 一人の命を救うのに、一人分の命を賭す。

 その結果として三人がここにいるのだから、それはきっと幸運という事だ。

 牧は脱力してソファに深く腰を沈める。その体を紗貴が擦って労わった。

「……そうだ」

 牧は急に立ち上がって自分の部屋に入って行った。

 女性陣三人がその後ろ姿を見送って、がたがたと騒がしい音を立てる部屋の扉を見守る。

「牧、なにしてるんだろ?」

「……さぁ?」

「うーん……なんだろね?」

 三人揃って牧の行動が意味分からなかった。騅の話が衝撃的で気がふれてしまったのかと心配にさえなってしまう。

 数分もしない内に牧の部屋は静かになって、牧自身も数枚の紙を手にして出てきた。

「騅、これを食べろ!」

「……えーと」

 牧が持って来たのは彼が詩を書いてしまっておいた紙だ。

 確かに、騅からするとそれはとても美味しそうで垂涎ものだけど、一遍に持って来られても困る事がある。

「いや、美味しそうだし、貰うけどね。体が小さくなったからそんなに一度に食べれないよ。すぐお腹いっぱいになるの、今は」

「え」

 残念ながら、そんなに都合よく元に戻れない。

 それでも折角だからと騅は牧の差し出した紙の束はありがたく貰っておいた。

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吸言鬼ちゃんはおいしい言葉が食べたい! 奈月遥 @you-natskey

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