お姉ちゃん朝帰りです

 その日の朝、すいは牧の分だけの朝食を並べながら、ぽっかりと空いた彼の正面を見詰めた。

「駒、帰って来ないね」

「昨日はでっかい仕事の打ち上げだって言ってたからなぁ」

 駒の仕事柄、祝い事も規模が大きくなるし、夜通しで飲む機会も多い。下手に暗い早朝に帰って来るよりも、都心で日が昇るを待って帰って来る方が安全という事情もある。

 何にしても、これが初めての朝帰りという訳でもないし、何だかんだ言って駒はこの家で一番の年長者でもあるし、牧の方はこれと言って心配していなかった。

「た~らいまぁ~」

 そんな時に玄関がガチャリと開けられてだらしない声が帰宅を告げた。

「ほら、ちゃんと帰って来た」

 牧はそう言いながら体が重そうに立ち上がって玄関に姉を迎えに行く。騅も心配が尽きないからちょこちょことその後を付いて行った。

「うわ、姉ちゃん大丈夫か!?」

 二人が発見したのは玄関で崩れ落ちて突っ伏している駒の姿だった。

 何時も以上にめかし込んだスタイリッシュな服装もあちこちはだけて寒そうな首元やらタイツやらが見えてしまっている。

「あ~、牧くんに騅ちゃんだぁ。お出迎えうれしぃにゃ~。なでてあげりゅー」

 ゾンビのように体を持ち上げた駒は、二人の首を纏めて抱き寄せて後頭部に手を這わせた。

「駒、お酒臭い」

「どんだけ飲んだんだよ。服からも酒の匂いしてるって」

「量はわかんな~い。朝まで飲んだぁ」

 駒におびやいだ酒の匂いがむわりと立ち込めるのに騅と牧は揃って顔を顰めた。

 それなのに酒吹さかぶいている本人はへらへら笑って寝ずに呑み徹した等と宣ってくる。

「朝までって……もう八時半になるんだけど」

「マネージャーが酔い醒ますのに寝てるのを待ってたからー。一緒に帰ってくれたんだよ、優しいよねー」

「それ、姉ちゃんも一緒に寝れば良かったんじゃ?」

「きゃー、牧くんたら一緒に寝るだなんてぇ。女同士なんていけないんだよぉ」

「そういう意味で言ってないから勘弁してくんない?」

 ついでに言うと、人気グラビアアイドルの駒がベッドインしようものなら、相手は男女関係なく問題だし、間違いなく男だった場合の方が酷い炎上をするだろう。

 この姉に絡まれながら送ってくれたマネージャーを思うと、仕事だとは言え牧は弟として頭を下げたくなった。

「って、やば。もう出ないと授業に遅れる! ごめん、騅、面倒臭いだろうけど、これ、任せた!」

「うん、任された!」

 騅は牧に押しつけられた駒をしっかりと抱きかかえて元気に敬礼をして見せた。

 騅を頼もしく思うなんて拾ったばかりの頃には考えられなかった、なんて感慨に浸る暇もなく、牧はリビングに取って返して鞄を掴んで玄関から飛び出していく。

 擦れ違い様に騅に対して、本当に申し訳無さそうな顔で右手を顔の前で立てて謝罪の意まで示していった。

 家族のお世話出来るのはむしろ嬉しいのに、と思いながら密着した駒を引き摺って、騅は玄関に鍵を掛けた。

「駒、体冷えてるね。お風呂入れて上げるから、温まってから寝ようね」

 騅はひょいと自分よりも背の高い駒を抱き上げると危なげなくリビングまで運ぶ。

「おー。騅ちゃん、ちからもちぃ」

 駒が楽しそうで何よりだった。喋る度にアルコールがぷんと匂うのが困るけれど。

 騅は駒をリビングのソファに横たえて、寝室から持って来た毛布を被せてからお風呂にお湯張りを始める。

 騅がリビングに戻ってくると駒はうとうとと舟を漕いで、目を虚ろにしていた。

「お化粧落とすよー」

 騅は取り敢えずで声を掛けてから、コットンにクレンジングオイルを垂らして駒の顔に当てた。

 昨日は大事な打ち上げだったから、駒は何時もよりしっかりと見栄えのする化粧をしている。騅が駒の瞼、頬、唇にコットンを当てるとじわりと化粧を滲ませて吸い取り、幾何学模様が写し取られる。コットンは一枚、二枚、三枚と使い捨てられていった。

「あー、お姫様気分だねぇ。よきにはからえー」

「駒、半分寝てるでしょ」

 騅に指摘されると、駒はふにゃりと笑った。妹にお世話されるのは随分と気分がいいらしい。

 ポイントメイクをやっと落とし切ったところでお風呂場から軽やかな音楽が流れてお湯が満たされたのを教えてくれた。

「騅ちゃん、またお姫様抱っこで運んでー」

「ふふ、今日の駒は甘えんぼさんだね」

 騅は何の躊躇もなくその細腕で駒の体を持ち上げた。

 デザイン重視の服にちょっと手間取ったけれど、騅は駒を無事に丸裸にしてお風呂場に放り込んだ。

「シャワーで体だけ流したらお湯に浸かってて。着替え用意したら、わたしが洗ってあげるから」

「ふぁーい」

 欠伸混じりで返事する駒に一瞬だけ騅は目を鋭くしたけれど、文句は言わずにお風呂場のドアを閉めて立ち去った。

 駒は怠そうにシャワーを掴んで蛇口を捻る。数秒だけ水を出しっ放しにして、お湯に変わったのを手で確かめてから体を流した。

 起伏の激しい駒の体をシャワーの細い水が伝って幾筋もの支流を作って床に落ちていく。

 お湯が無駄にならないくらいで駒は蛇口を締めて湯船に体を沈めた。手入れの行き届いて艶やかな髪がお湯に浮かんでばらけるけれど、駒は一切気にせずに熱めのお湯に肩まで浸かった。

 冬の朝帰りで冷えた体に強い水温が染み込んでじわじわと凝りを解してくれているようで快い。

 このまま眠ってしまったらお湯に沈んで気持ち良く溺死しちゃいそうだななんて夢心地に思考を緩める。

 駒が自宅で水難事故を引き起こす前に、全裸の騅がお風呂場に間に合った。

「駒ー、ちゃんと温まってる?」

「んぅー」

 眠そうに喉を鳴らす駒に、騅はちょっと呆れて溜め息を吐いた。少し牧の癖が感染ったらしい。

「ほら、体洗おうね」

 騅は駒の腋に手を差し込んで湯船から引き上げた。

 濡れた黒髪が駒の背中や胸の膨らみに張り付いて体のラインを強調する。

 騅は湯船の縁に駒を立て掛けて風呂桶にお湯を掬った。

 そして駒をじっと見つめた後、脱力した彼女の頭頂部の上でシャワーヘッドを構える。間に自分の左手を噛ませて水流を和らげながら、騅は駒の髪全体を濡らしていった。

 騅がシャンプーを手に取って泡立たせる。髪の間に指をバラバラに差し込んでその指先で地肌を揉むように洗う。

 自分が教えた事をしっかりと実践してくれているのを知って、駒は夢波ゆめなみに揺らぐながらこそばゆい喜びで胸をくすぐられた。

「気持ちいぃ……騅ちゃん、これはヘッドスパではたらけるね……」

「そうかなぁ」

 プロと比べられても困ると思いながら、騅は駒へ日頃の感謝と労りを込めて頭を揉み解していった。

 駒の髪に付いた柔泡やわわをお湯で流したら、騅は外に手を伸ばしてタオルを取り、濡れた髪をタオルで包んで水気を吸い取らせる。

 くるりと長い髪を手早くアップに纏めてタオルを駒の頭に巻いて包みこめばこれから体を洗うのに邪魔にならない。

「ほわ」

 騅が駒の体を抱き寄せた。

 急に体を動かされた駒は夢波から意識を跳ねさせて意味のない未声みこえを上げる。

 騅は自分の体を背凭れ代わりにして駒を寄りかからせた状態で、今度はボディソープに手を伸ばした。

 体を洗うのに湯船に体を預けたままだと駒の体が滑って崩れるかもしれないと、騅の体に支える事にしたのだ。

「んー?」

 駒はその感触を確かめるように背中を騅に何度も押し付ける。その度に返って来る反発の大きさは駒の勘違いでは無さそうだった。

「騅ちゃん、お胸が育ってない? 牧くんに揉んでもらった?」

「牧に揉んで貰ってはないけど、栄養を沢山貰って体は成長してるよ」

「そっか、ご飯のお陰かー」

 原因が思っていたのと違って駒は若干残念そうだった。

 駒は騅の手で体を泡塗れにされながら、ぐねぐねと体勢を変えて騅の育った体を手で探る。

「駒、洗い難いよ」

 こちらを向いてくる駒の体に手を回して背中やお尻を撫で付けながら騅は駒を窘める。

 そんな苦言を無視して駒は手杯てつきで騅の胸を掬った。見立てでは紗貴よりは大きくなっている。

「下着を新しく買いにいこうね」

 騅の胸はもう以前に買い与えたものでは収まらなくなっている。ほんの一月前は小さいサイズで売ってるデザインのサイズも少なく選ぶ楽しみも少なかったのに、急成長しているのを目の当たりにして騅って本当に人間とは違うんだなと実感した。

「え、別に今のでいいよ」

「良くないからね」

 駒は決して譲らない。良い形の胸を育てるにも維持するにも、適切なブラジャーは欠かせない。胸を押し込むような足りてないブラに価値はない。

「ん、っと、みず……」

 そんな話をしていたら、駒は強い喉の渇きを覚えた。

「水? 飲むの? 持って来る?」

「あるからいい……」

 あるって何処に、と不審がる騅の前で、駒は重たそうに体を引き摺って蛇口の下で口を大きく開けた。駒は躊躇いなく水栓を捻り、ドバっと落ちてくる直水なおみずをがぶがぶと冷たい水を直飲みする。

 姉のだらしない仕草を目の当たりにして流石の騅も閉口した。

 騅は何時までも水を飲み続ける駒をもう一度抱き寄せて、きゅっと水栓を閉める。

「駒、体が冷えるでしょ」

 口で受け止め切れなかった冷水を頬や胸に溢していた駒に騅が呆れる。

 駒の冷えた体にお湯を掛けようと騅がシャワーに手を伸ばすと、腕の中で駒がぶるりと震えた。

「あ、う……んんぅっ」

 そして妙に艶めかしく駒が鳴いたかと思うと、湯栓を開いてないのに騅の太股に熱い液体がびしゃびしゃと噴き付けられた。

 やけに長い沈黙の中で勢い良く噴き出したものが騅の太股や床にぶつかる音がお風呂場に反響し続けた。

「……ごめん、騅ちゃん」

 全て出し切った後に、駒は恥ずかしそうに騅に謝った。漏らしたものと一緒にアルコールもそれなりに体から出て行ったのかもしれない。

「別にお湯で流せばいいだけだから」

 騅は騅でちっとも気にせずにシャワーのお湯でまず駒の足の付け根を流し始める。

 居たたまれなくなった駒は、その後は人形のように大人しく無言のままで騅に身を委ねるのだった。

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