第15話 誤認の情景
帰りの扉前。
ワーズと、彼に蹴り飛ばされ正気を取り戻したランが、外へ出て行くのを目の端に、ふと思い出した泉はモクを呼び止めた。
ニパから聞いた、あの二人の容態を尋ねるべく。
「あの、モク先生?」
「何?」
すると返って来る、苛立ち混じりの声音。
反射でびくっと震えたなら、気づいた医者は、はっとした様子で固まった。
しかし、何か言う前にモクは無言で手を伸ばすと、男二人が出ていった扉を勢い良く閉める。自分だけ取り残されたことで、更に怯えた泉が一歩下がれば、閉めた扉に寄りかかったモクが慌てて言う。
「あ……ち、違うよ? 別に泉・綾音がどうこうってわけじゃないんだ。ただ……あんまり、外の汚れた空気を入れたくなくて」
「泉さん! 大丈夫ですか!?」
俯いたモクに合わせ、扉の向こうから叩く音と共にランの声が届いた。
これにより、ひしっと扉にへばりついたモクは頭を打ちつけて叫ぶ。
「止めてくれ! 扉が壊れる! 私は泉・綾音の愛人なんだから、彼女を傷つけるような真似はしないよ!」
「あ、愛人……」
扉越しとはいえ大声で宣言された泉は、必要もないのに右往左往。挙動不審な彼女は置いてけぼりに、扉を叩き続けるランの後ろから、ワーズがのほほんとモクへ告げた。
「んー、ならさっさとそこ、開ければいいだろ? こっちはいきなり締め出された気分なんだからさ。幾ら外気を入れるのが嫌だからって、泉嬢を閉じ込めるのは良くない。ほらほら、早くしないと、凶暴な人狼がお前の診療所をぶっ壊しちゃうよ?」
「っ、人聞きの悪いことを言うな! 俺はただ、何かあったんじゃないかと心配して」
「ついでに、鎮静剤なんざ打ち込みやがった藪医者へ、報復してやろうと」
「違うっ! 妙な尾ひれを付けるな! 大体、報復ならお前にするだろ! 人のコト、何度も何度も蹴りやがって」
「うわ、止めてくんない、それ。まるでボクに変な性癖があるみたいじゃないか。しかも人狼相手。せめて人間にして欲しいねぇ」
「……ワーズさん、それもどうかと思いますけど」
しみじみ語る扉越しへ、泉は多少頬を引き攣らせながら聞こえぬ意見を述べた。
そんなワーズの参戦により、扉を叩く音は止み、
「性癖って、俺だってごめんだ、気色悪い!」
代わりに、向こう側では新たな言い争いが勃発する。
止めることも叶わない泉は大人げないやり取りに、ため息を一つ。
重なる別方向からのため息を捉えたなら、手提げ鞄の中身の無事を確認してから、煙管をこちらへ向けるモクを見やった。
「た、助かった……。全く、人狼は乱暴者ばかりで困る。怪我しても大人しい奴は珍しいし。あ、でも、クイ・イフィーとレン・イフィーは良い患者だ。まだまだ治療にも時間を要しそうだし、本当に私の良い患者――」
「! そ、そんなに悪いんですか、クイさんとレンさん」
モクを呼び止めた理由の二人の名が上がり、唐突に問い掛ける泉。知らぬ処での出来事とはいえ、自身が関係して入院する羽目になったと思えば、顔が青褪めていく。
対し、大きくもない声に一瞬だけ肩を竦ませた医者は、包帯の頭をゆっくり傾がせた。
「え……知っているの、泉・綾音?」
「はい……それで、その、お二人は?」
聞くのも怖いが恐る恐る尋ねると、ぴこぴこ上下に煙管が振れた。
「んー……なんだっけ、こういうの。個人情報漏洩? だから、本当は話しちゃいけないんだけど。特に病歴とかって、付け込まれる材料になるし。んでも、私は泉・綾音の愛人で。けどけど、公私混同はしちゃいけない……いや、まあ、いいか。どうせここは奇人街。流出もアリってことで」
「えぇー……」
聞いたのは自分だが、短い間で呟かれた思考は元居た場所の常識に照らし合わせると、変に罪悪感をもたらしてきた。
かといって、今更いいです、とも言えない。
それ以前に一人で勝手に納得したモクの口へ、立てられる戸は在らず。
「シウォン・フーリって知ってる? 退院はしたし、経過も良好だけど、まだまだ私の患者な人狼」
「え、えと、はい、知っています」
――どころか、ついさっき、その人のところから逃げてきたばかりです。
続く言葉はごくりと呑み込む。
が、これを知ってか知らずか、モクは首をこてっと傾げ、
「……あれ? そういえば、シウォン・フーリは泉・綾音のお嫁さんだったんだっけ?」
「は……?」
ぽんっと浮かぶ、ウェディングドレス姿の人狼。獣の面構えでは厳しいばかりだが、頭を振って人間姿を浮べたなら、なかなかどうして似合っていた。ついでに何故か並んだ新郎の姿は、凶悪な人相に厳つい獣面のラン。バージンロードを恥じらい進む狼首と並んで歩く父親は、花嫁の父親らしからぬへらへらした笑みを浮かべるワーズで、神父は珍しく真面目な顔つきのキフ。誓いの言葉を破って乱入し、花嫁を掻っ攫っていくのは猫――まで浮べた泉、慌ててその想像を首をぶんぶん振って追い払った。
逞しい想像力。
若いって怖い。
珍妙な場面の連続から現実に戻り、訝しむ様子のモクを視界に納めたなら、意味なく手を動かして誤魔化し、
「い、いえっ、なんでも――って!? お、お嫁さんって、私の!!?」
理解が追いつくなり素っ頓狂な声を上げた泉は、言葉より先に持てる力の全てを用い、首を横に振った。
「ち、違います!! だ、誰がそんなホラ話」
「シウォン・フーリ本人から」
「シウォンさんがっ!? あ、あの人……ちょ、ちょっと待って? それって、つまりぃ?」
モクの答えに唖然としてしまった泉だが、あることに気づいて頭を抱えた。
虎狼公社の人狼たちから「奥方」と呼ばれる己。
けれどそれはただ単に、彼らがそう思って付けただけのはず。
なのに、シウォン自身がモクへ、自分は泉のお嫁さんだと豪語したらしい。
――否、モクの勘違いを考慮し、訂正すると、泉は俺の妻、だとかなんとか言ったのだろう。それは詰まる所、シウォンの中では、すっかりそういう図式が成立していることを示唆している。
「これはやっぱり、本気……なの?」
散々シウォンの想いを疑ってきたが、自分のいないところでもそんなことを言っていたと知り、泉の心が揺れた。しかしそれは、決して甘いモノではない。
「う……」
改めて、泉を見つめる鮮やかな緑色の双眸を思い出し、軽く呻いてしまった。
(ほ、本気だったら本気で……もの凄く怖いんですけど)
しかもたぶん、とっても――重い。
一方が只の知人、一方が伴侶として相手を認識している、この差。
だというのにこれを考慮せず、周りに「アイツは俺のモノ」と宣言して憚らないらしいシウォンは、泉にとって厄介なことこの上なかった。
好かれていること自体は、素直に嬉しいと感じられる。
が、一方で妄想入りの想いには正直引いてしまう。
幾ら相手が見目麗しくとも、多種多様なことに長けていようとも、頭の中で作り上げた関係を現実に持って来るのはイタ過ぎる。それこそ真実だと思い込んでいる節があるなら、余計ついてはいけないだろう。
(って、これ、やってることは完璧にストーカーなんじゃ……)
一瞬、泉の脳裏にある女の顔が浮かぶ。
元居た場所で遭った女が。
思い込みの激しかった彼女は、愛する男と自分が添い遂げられない理由を、移り住んできた泉にぶつけていた。
最初は泉も気づかないほどの害で。
最後には明確な殺意を持って……。
「泉・綾音? どうしたの? 顔色が真っ青だけど。大丈夫? 具合悪い?」
「えっ! あ、いえ……何でも、ありません」
モクの問いかけに、いつの間にか俯いていた視界を上げた泉は、無理矢理笑みを引っ張り出して手を振った。
だとしても、こうして身体は無事。
何も、問題はない。
本当に、何でもないことだ。
本当に――何モ、ナカッタ?
内から生じる問いかけ。
ぎくりと身を強張らせた泉は、見開いたこげ茶の瞳に別の景色を視た。
橙の街灯が差し込む、明かりのない部屋。
血走った眼、口の端に浮く泡。
自然、喉を押さえれば耳鳴りが起こる。
甲高い、悲鳴のような怒号と、深く、底冷えする宣告。
続くは、ノイズ。
二つの音色は、先の怒号や宣告よりも、泉の鼓動を早めさせ――……。
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