第6話 ご挨拶

「――とまあ、冗談はさておき」

 ワーズのその言葉により、一人騒いでいた泉はぴたっと動きを止めた。

 こちらの焦りを「冗談」と言われ、恨みがましい目で白い面を睨みつける。

 が、頭を垂れる緋鳥を見つめる目の、冴えきった冷たさに気づいたなら、気安く声を掛けられない雰囲気に、増して居心地が悪くなってきた。

 何も言えないまま、ワーズが店側へ足を投げ出すように座れば、支える泉もその場で腰を下ろす。そうして、恐々伺うようにワーズを見たなら、泉の視線に気づいた笑い顔が、おどけるように片眉を上げてみせた。

 それだけで緊張が解け、ほっとする泉。

 と、ワーズが両足の拘束を緋鳥へ向けた。

「緋鳥、コレを切れ」

「へ…………あ、は……はっ、た、只今!」

 惚けて顔を上げた緋鳥は、転じ、慌ててワーズの足下に駆け寄る。

 汚れるのも厭わず地に膝をつけ、示された箇所へ、人狼に似た己の爪を入れた。

 他種と交わる毎に、その性質を取り入れる合成獣(キメラ)。合成獣の緋鳥の爪は、種として身に入る人狼と同じ鋭さで、鋏では凹ませるだけだった縄を容易く引き裂いてみせた。

「コレも」

 解放を喜ぶわけでもなく、今度は両手の拘束を切らせるためだろう、緋鳥に背を向けるワーズ。泉はすかさず不安定な身体を正面から抱くように支えた。

 黒い肩越しに緋鳥の爪が滑る様を見たなら、支えていた身体がすっと離れていく。礼を期待しての行動ではなかったものの、何事もなかったかのように向けられる黒い背に、泉は少しだけ惨めな気分を味わった。

 そんな背後にやはり気づかないワーズは、縛られていても離すことのなかった銃口を、自分の頭に捻り込ませながら緋鳥へ問う。

「で? 何の用だ、緋鳥。まさか、シン殿を狙いに来たわけじゃないよねぇ? 喰うなよ、とワーズ・メイク・ワーズは言っていたんだからさ?」

「ぅぐっ…………も、もちろんでございまするれば」

 怪しい言葉遣いが、挙動不審な声音に乗って届いてきた。

 間髪入れず、小声で「嘘だ」と叫ぶ竹平。

 緋鳥には聞こえないように。

 そうと分かる音量だったが、人狼の聴覚も持ち合わせているらしい緋鳥は「ひっ」と震え、これにより届いてしまったと察した竹平が、似たような悲鳴を上げた。

 そんな板挟みの声たちに、けれどワーズはさして気にした様子もなく、コツコツと銃でこめかみを叩くばかり。

 同じく挟まれた状態の泉は、落ち着かない雰囲気に視線を彷徨わせた。

 止まったのは食卓の上、ラッピングされた袋の一団。

「あ、そうだ」

 空気を変えるべく、わざとらしく手を打ち、いそいそと袋の下へ。

 一つ抓んではワーズの横を通り過ぎ、膝をついたままの緋鳥へ差し出した。

「あの、緋鳥さん? これ、クッキーなんですけど、良かったらどうぞ」

「お……おおっ」

 おずおず告げたなら、泉に逃げ道を見出したのだろう、緋鳥が恭しく両手を伸べてきた。剣山のような人狼の爪には顔を引き攣らせつつ、手の平の上に両手でそっとクッキーを置く。

 手を離す、間際。

「……ええと、ひ、緋鳥さん?」

 愛想笑いで小首を傾げれば、クッキーごと泉の手を包み込んだ緋鳥が、手の甲へ頬擦りする。

「これはこれは、忝のうございまする。良し悪しなぞ……美味なる綾音様の御身から作られし御品、食さぬは合成獣の名折れでありましょうぞ」

「そ、そんな大層な代物じゃないですけど」

 離して欲しいという気持ちを含めて言えば、何も汲み取らない首が振られた。

「いえいえ。御謙遜される事はありますまい。斯様に美味そうな、御身の御手なれば……」

「ひゃっ!?」

 唐突にカプリと甘噛みされる手。

 鋭い爪に囲まれているせいで即座に払うことも叶わず、妖しく蠢く唇の感触に泉の背筋がぞくりと粟立つ。

 と、今までワーズの頭に在った銃が、緋鳥の帽子へ埋められた。

「……緋鳥。ボクのモノに何をしているんだい?」

 抑揚のない声音。

 緋鳥はゆっくりと唇を離す。

 泉がほっと胸を撫で下ろせば、

「ぅひゃんっ!?」

 緋鳥の舌がねとりと泉の手の甲を舐め上げ、唇が音を立てて皮膚を柔らかく吸う。

「緋鳥」

 窘める呆れ声に合わせ、銃口が緋鳥の頭に捻り込まれる。

 ようやく爪を開く緋鳥。

 泉はクッキーだけを緋鳥に残し、自分の下に両手を回収。一連の動作で高鳴った胸に焦りつつ、ワーズの背後に隠れた。

 最中、銃を向けられているにも関わらず、緋鳥がクツクツ揺れる。

「うくくくく……綾音様は可愛らしいお方ですなぁ。店主様の薫りを身に纏われているというに、初々しく在らせられる」

「っ! ひ、緋鳥さん!? 何か、もの凄い誤解をしていませんか!?」

 含みのある言い様へ、素っ頓狂な声が泉の喉を通った。

 直後。

 軽い音が響く。

 ぎょっとした泉がワーズの陰から顔を覗かせると、そこに緋鳥の姿はなく、代わりに小さな穴が地面に穿たれていた。

「やれ。店主様は相も変わらず手厳しい」

 小さな穴から後方、店先まで移動した緋鳥が、泉より小柄な身に似つかわしくない、飄々とした動作で肩を竦めた。

「少しばかり味見をしたまでというに。お心の狭さは今も変わらず、天下一品でございますな、義父上様」

「は…………へっ!? ええっ! ち、ちち!?」

 自分へ掛かった勘違いよりも、とんでもない告白を受けて黒い背中を凝視する。

 呆気に取られるばかりの泉へ訂正もなく、ワーズは忌々しいと息を吐き出した。

「お前に義父と呼ばれる筋合いはない。……用がないなら、さっさと消えろ」

 上がる肩の先には銀の銃。

 座ったまま狙い定めた節に、弾道上の緋鳥は口元へ手を当てて笑う。

「これはこれは。……ふむ、用なれば済みましたな。我が身の無事を店主様に披露致したく、参上仕った次第。なれば、手土産も頂戴しましたゆえ、本日はこれにて」

 優雅な一礼。

 くるりと向けた緋鳥の背より、展開される羽。

 追って響くは銃声。

 しかし、掠めた空、舞う羽根にすら弾は当たらず。

「……ええと?」

(ありがとうございました? またお越しくださいませ? おとといきやがれ?)

 義父発言の混乱が醒めぬ泉は、とうに飛び去った緋鳥にかける言葉を探し、意味なく手元の指を折々。

 と、その手首が引っ張られた。

「あ、わ、ワーズさん?」

「おいで、泉嬢。手、洗わなくちゃ」

 痛くはないが、有無を言わさず引き摺る白い手をよろけつつも追う。

 水道の下まで引っ張り出されたなら、腹に縁が埋まり軽く呻いた。

 反発で後ろに下がろうとする身体は、覆い被さる黒い腕に止められた。

「わ、ワーズ、さん?」

「ったく……どいつもこいつも」

 抱きすくめる格好に戸惑う泉が愚痴る声を仰ぐ。

 流れ始めた水、冷たさが泉の手を濡らし始めたなら、口をへの字に曲げた混沌の視線が細く一点に注がれた。

 途端。

「ぃっ! いいいいいっ、痛い、いだだだだだだ! 痛いです、ワーズさん!?」

 格好やら何やらで赤らみかけた泉は、緋鳥が口づけた箇所を親指の腹で容赦なく擦られ、涙を浮かべる羽目となる。

 痛みにかまける頭から、程なく、義父発言はするりと抜け落ち――。

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