第5話 お世話係
ワーズの拘束は、施したはずの二人にさえ解けない頑丈さとなっていた。
鋏を使っても切れない縄は、芥屋の店内に置かれていたもので、ワーズ曰く、生きた食材を捕らえるモノらしい。未だかつて、こんな縄が必要になるような食材を見たことのない泉と竹平は、一歩、精肉箱から遠ざかる。
二人のこの様子に、ワーズはクツクツ笑って首を振った。
「大丈夫大丈夫。その箱には死んだ奴しかないから」
「……ヤな言い方すんな。そりゃ、その通りかもしれねぇけど」
眉を顰めた竹平は、箱への警戒は怠らずにワーズを睨みつける。
この縄を必要とする食材の在り処なぞ聞きたくない泉は、すかさず言った。
「でも、どうしましょうか。このままじゃワーズさん、手も足も使えませんし」
「ご飯、食べられないのは辛いなぁ」
「……不自由、それだけですか?」
ソファに座った格好で、しみじみぼやく黒一色の言に呆れた。
この男はどこまで食欲で出来ているのか。
そんな泉の横で、竹平が他方へとんでもないことを吐き出した。
「けっ。それならそれで、泉に喰わせて貰えば問題ねぇだろ?」
皮肉染みた提案への不満は、まずワーズから起こり、
「えー。泉嬢の手を煩わせちゃ可哀そ」
「ああ、なるほど。良い案かもしれませんね」
ぽむっと泉の手が叩かれては、なんとも言えない表情が男二人に浮かんだ。
それぞれの引き攣った顔を見た泉は、想像と違う反応に戸惑う。
「え……ええと、も、もちろん冗談、ですよ?」
竹平に便乗したつもりが、本気と受け取られた空気を感じて、若干声が上擦った。
(竹平さんの今の言葉って、冗談だったんじゃ……?)
そんなまさか――そう思っても、誰からも反応はなく、
「え……えーと。ど、どうしたんですか、ワーズさんに竹平さん?」
助けを求めるように竹平を見るが、するりと横に逸らされる視線。
「泉嬢……すっかり奇人街色に染まっちゃって」
「えっ!?」
「泉…………達者でな」
「ええ!?」
てっきり竹平と共に冗談を言う側だと思っていた泉は、突然言われる側に回った混乱から両手を振った。
「じょ、冗談だって言ってるじゃないですか!?」
「いや、いい。無理すんなって。そうだよな、ワーズに良い様にされてきたんだし、仕返しくらいしたいよな」
「いや、全然良くないですって!」
「泉嬢がそうしたいなら、ワーズ・メイク・ワーズは一向に構わないけど」
「構ってください!――じゃなくて、違いますよ? 今のは私が構って欲しいとか、そういうんじゃなくて!」
妙に呼吸の合った、憐憫溢れる言葉たち。
泉はうろうろと視線を彷徨わせ、ワーズと竹平を行ったり来たり。
その度、遠退いていく顔たちに、パニック寸前まで追い込まれていく。
「もうっ、冗談だって言って――て、あれ?」
叫びかけては店側、視界の隅に近寄る影を認めて止まる。
その正体にこげ茶の瞳が丸くなったなら、追った竹平が「げぇっ!?」と声を上げ、そそくさと泉の陰に隠れた。
情けない事この上ない行動だが、仕方ないと泉は思う。
何せ相手は――。
「これはこれは、皆様お揃いで。お久しゅうございまする」
「緋鳥さん……」
人魚の一件の渦中、竹平を足手纏いと決めつけ、殺そうとした少女・緋鳥。
知らず、泉の腕が竹平を庇うように動いたなら、目深帽を被った顔がくいっと上げられた。
次いで首を傾がせ、匂いを嗅ぐように鼻を鳴らす。
「ややっ? これはこれは……あの時の、人間?…………………………凪海の、赤い髪の少年とは、もしや……」
笑顔を引き攣らせた緋鳥は、来たばかりの足でじりじりと後退していく。
警戒は怠らず、そんな緋鳥に眉根を寄せる泉。
と、ソファに座るワーズが、皮肉げな笑みを緋鳥へ向けた。
「緋鳥」
「は、はっ!!」
静かなトーンで呼ばれたにも関わらず、緋鳥はその場で片膝をつき礼の形を取る。一方が縛られた状態では威厳もへったくれもないのだが、緋鳥にとって問題は別にあるらしい。カタカタ小刻みに震える様子が、離れていても手に取るように分かった。
不可解な状況にますます泉の眉が寄ったなら、ワーズが立ち上がった。――が、やはり両足を拘束されたままではバランスが取りにくいらしく、すぐさまぐらりと傾いでしまう。
「わわっ! ワーズさん!」
慌ててワーズを支える泉。
けれど相手は自分より身長・体重共にある。
「ぐ……お、重ぃ…………竹――」
助力を乞おうと呼びかけた名の主は、泉という壁を逃したからか、ソファの陰にささっと隠れてしまった。
幾ら緋鳥が怖いからといって、その素早さはあんまりじゃないか。ワーズを縛ろうという提案の大本は彼で、実行の時は共犯だったのに。
内心で裏切り者と罵りかけた泉、ため息で黒い思いを払うと、代わりに無駄にうねうね動く男へ声を掛けた。
「わ、ワーズさん。変な動きしないで下さい」
「ん……んー、じゃあ泉嬢、手、離していいよ? 一人で行けるからさ」
へらり笑う顔に気圧されて、支える手が緩めば緋鳥の方へ跳んでいく足。
だが、一・二回跳ねた時点で、普段からふらふらした動きを歩行に取り入れる身体は、大きく斜めに傾いてしまう。
「よっ、ほっ、へっ? はわっ、わわわわわっ」
「ワーズさん!?」
蓑虫男の不恰好な歩行を受け、再度ワーズの身体に泉の支えが設けられた。
「…………泉嬢」
これに対し、何故か不満げな声を発するワーズ。
泉は些か呆れた目で湾曲するワーズを見上げる。
「私のせいですから、手伝わせてください。第一、倒れた方が大変ですよね?」
「……はぁ」
説得するように言えば、観念した仰々しいため息がワーズから為された。
支える手に増した重みを受け、任せてくれたのだとほっしたのも束の間。
「これが逆だったら、どんなに嬉しいか」
「なっ! へ、変なこと言わないでください!」
ぼそっとしみじみ、斜め頭上で吐かれた言葉に、泉の顔が一気に赤くなった。
ついでに思い起こされるのは、クッキー争奪戦で冷めたはずの熱の日々。
せっかくさよなら出来た感覚は、容易く引き戻されてしまい、
「縛られて何も出来ない泉嬢……恋腐魚なんかより、そっちの方が良かったかな? 存分にお世話出来るだろうし」
「!!? そ、それは立派な犯罪で――」
言ってて虚しくなった。今現在、ワーズをその”立派な犯罪”の被害者に仕立てあげたのは、紛れもなく泉自身。
「あー、でも、それじゃあ手足に擦り傷がついちゃうか。うーん、今度、スエ博士に擦り傷のつかない拘束具持ってないか、聞いてみようかな?」
かといって、のほほんと告げられた案を受け入れる気なぞ、あるわけもなく。
「本気!? お願いですから、妙な計画立てないで下さい!」
周りの状況をすっかり忘れた泉は、赤と青を交互に宿して懇願する。
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