第16話 魅惑の瞳

「泉・綾音?」

「わわっ!?」

「ぅにっ!?」

 眼前、いきなり下から現れた包帯面のどアップに思いっきり驚き、大きく飛び退く。先程まで浮かんでいた景色と音は瞬時に消え去り、別の動悸に襲われる泉。

 ぜーはー荒い呼吸を繰り返すこと、何度目か。

 落ち着いたところでモクを見れば、泉の反応に驚いてか、握りしめていた鞄ごと両手を上げ仰け反っていた医者は姿勢を元に戻すと、

「でね、シウォン・フーリが最初に呼んだのがあの二人だったんだ」

「は? へ? え?…………あ、ああ、クイさんとレンさん」

 急に戻った話に泉は戸惑いつつ頷く。

「ん? 二人のことが聞きたかったんじゃなかったっけ?」

「ええと、はい。そう、ですけれども……」

 どこまでもマイペースに話を進めていくモクに、自身の考えにかまけていた泉は、心の中でぐっと拳を握った。

(いけない、話の途中に考えことなんて)

 単純に相手に対して失礼という面は当然のこと、特にモクは今までの相手とは違い、とことん自分のペースを貫くタイプ。没頭した分だけ置いてけぼりを喰らいそうだ。

 ――とかなんとか泉が思っている間にも、彼の医者の語りは続く。

「最初は何かの言付けのつもりだったみたいなんだけど、シウォン・フーリって欲尽くしの生活していて自分の思う通りに生きてきたから、病室生活が合わなかったみたいでさ。来た二人相手に延々、色々やってたみたい。その時の状況って、まだ二人とも私の患者じゃなかったし、あんまり印象に残ってないんだけどね。あ、でも、ちゃんと健診は定期的にしていたんだよ? シウォン・フーリからは邪魔者扱いされたけど」

 シウォン・フーリは悪い私の患者だ、と包帯の頬が膨らむ。

 聞けば聞くほど言葉を挟む気力を失っていく話に、泉の顔は「うわぁ……」と言いたげな顔で固まったまま。

「あの時は大変だったなぁ。シウォン・フーリの性癖のためだけに、何度彼の病室を移動させたことか。掃除もそうだけど騒音も酷かったから。うるさかったよぉ? 悲鳴に嬌声に喘ぎにすすり泣き。最終的には許しを乞う叫びでさ。でも、ピタッて止まるんだ。何日も何日もその繰り返し。しかもさ、そういう音に私の患者の数人が煽られちゃって、看護師が何人か襲われたんだ。そのせいで一時、私の患者が激減してね。これでも入院時にはちゃんと説明していたんだけどなぁ。診療所に勤めているのは全員狩人だから、手を出したら死んじゃうよって。あ、もちろん、皆が屈しそうな相手は全部私が担当しているからね。他人を助ける、なんて奇特な人、奇人街じゃ滅多にいないから。治療に支障は大敵だからね。まあ、私を襲ってくる人も男女問わず、中にはいるんだけど」

「……えっ!?」

 どれも衝撃的な内容だったが、泉はモクを襲うという相手に一番目を剥いた。

 昔、彼を“お嫁さん”にしようとして、殺されたという“おじさん”の話は聞いていたものの、今現在の包帯姿のどこに、男女問わず惹かれる要因があるのかわからない。

(あまり考えていなかったけど……モク先生って中身はあるのよね?)

 ともすれば様々な種族が住まう奇人街、そういう存在もアリだと思っていた自分に気づいた泉はおもむろに問う。

「あの、モク先生? モク先生って……どんな容姿なんですか?」

「どんなって……こんな?」

「や、包帯の下の話なんですけど」

 着物の袖を掴み、身体を大の字にして示す医者へ、間髪入れず首を振る泉。好みは人それぞれなれど、全身包帯巻きを襲いたくなる輩は、いかに奇人街と言えどもそうはいないだろう――と思いたい。

「全身包帯巻きで瞳の色もわからないし」

「ああ。これね。ちゃんと見えているから問題ないと思ったんだけど……外してみる?」

「へ?」

 おもむろに手提げ鞄の持ち手を肘へと移動させるモク。

「この包帯もね、だいぶ前から怪我の保護が目的じゃなくなってて。皆がね、付けといた方が私の患者が平穏無事でいられるからって。これまでも、包帯じゃない物で身体を部分的に覆っていたんだけど、こっちの方が確かに絡まれなくてさ。どうも、私の容姿は人目を引きやすいようで……はい、取れた」

 顔の部分にどれだけの包帯を巻いていたのか。泉の返答も待たず、話ながら巻き取られた包帯により一回り近く小さくなったモクの顔。それでもまだ包帯は顔面を覆っていたが、モクの言葉通り、目だけは泉からも見えるようになった。

 ただし、左目だけ。

「……紫、だったんですね」

 惚けて呟く泉。初めて見る色合いもさることながら、柔らかな眼差しに落ち着かない気分を味わう。一方で、不可思議にもほっとする安心感があり、片目だけでもモクの容姿が人目を引く話は十二分に納得できた。

「これ以上外すと巻き直すのが面倒になるんだ。何せ一巻しか使っていないから」

「え……」

 言いつつ巻き直すモクに対し、泉はその内容に驚いた。

「この包帯、一巻しか使ってないんですか? で、でも、替えて来た時は、時間もそんなにかかってなかったのに?」

「ああ、あれ? まあ、これでも医者だからね。包帯の扱いなら簡単簡単」

「簡単……て、まさかお一人で?」

「うん。ほら、着付けと同じでさ、自分でやらないと苦しかったりするでしょ?」

「……看護師さんたち、モク先生は着替えがきちんとできない、って」

「それはそれ、これはこれ。包帯はきちんと巻かないと用を為さないけど、清潔でさえあれば身だしなみなんて、どうでも良いモノだから」

「…………」

 容姿の話は納得できたのに、こちらの話はとんと納得できなかった。

 確かに清潔は医者という職業柄第一かもしれないが、見た目だって見る方にとっては大事だと思う。フィクションなら、だらしない風貌の医者が実は凄腕、という設定は見ていて楽しい。しかし現実においてだらしなさを全面に出されては、幾ら凄腕でも診察前に患者が逃げ出すだろう。

 とりあえず、泉はお世話になりたくない。

 世話になってから身だしなみに頓着しないと判明したモクは、仕方ないにしても。

 いや、包帯巻きの医者に診察されたのは、偏に恋腐魚の症状にどっぷり浸かっていたためだ。もし、正気の状態で彼と会っていたなら……。

「泉嬢、そろそろ行かないかい? ランがうるさくて仕方ないんだけど」

「お、お前! 散々ヒトをコケにしておいて、いきなりそれか!?」

 耽る傍らで、扉越しに届く店主の呑気な声。

 聞いた泉は緩く首を振って、正気だろうともモクの診察は受けていたと結論づける。人間好きの店主が医者を呼んだ時点で、患者の人間はどう足掻いても拒めないようにできているのだ。ある日に幽鬼の肉入り粥を喰わされた泉のように、食事を拒否したせいでエラい目を見た竹平のように。

「ごめんね」

「……ええと?」

 思い耽っていれば、急に告げられた謝罪。

 まさかモクの身だしなみについて、口に出ていたのだろうかと青ざめれば、

「クイ・イフィーとレン・イフィーは、シウォン・フーリからそういう目に遭わされたせいで、まだまだ面会謝絶中なんだ。肉体的にはだいぶ回復しているんだけど、後遺症が酷くてね。精神面じゃ全然駄目だし」

「そう、ですか……」

 杞憂だったと知ったところで、内容は泉の顔色を戻すに至らず。

 決して具体的ではなかったが、謝罪とは裏腹に二人の患者を嬉々として語るモクの様子から、かなり深刻な状態と察せた。ニパの言を思い出せば泉のせいと言えなくもないが、だからといって、そんなシウォンに応えることは想像すらできない。

(……ううん。知ったからこそ、余計想像したくないというか)

 人間より丈夫な人狼が面会謝絶にまで陥り、今も苦しんでいる、この状況。

 うっかり自分に当て嵌めたなら、もの凄い寒気が背筋を通っていった。

 思わず身震いした泉はモクへと愛想笑い。

「ありがとうございます、モク先生。それじゃ、ワーズさんも待っているようなので」

「うん。またね。いつでも遊びに来て良いから」

「え……いや、でも、ここって診療所ですよね? 遊びに来るところじゃないような?」

「そっか。愛人は通われるモノだと聞いていたから……じゃあ、また遊びに行くよ」

「え、えと、はい……」

(……また?)

 モクが診察以外の用件で芥屋を訪れたことは一度たりともなかったはず。

(もしかして、モク先生にとって、仕事は全部――――遊び?)

 仮定だろうと、ぞっとしない話である。

 笑い顔が引き攣る気配に、泉はモクが開けた扉向こうへと足早に向かうのだった。

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