親馬鹿子馬鹿

第1話 奇人街最弱

 朝っぱらから従業員二人に店番を任せ、ソファで寝そべる店主。

 その背中へ、食らいつくように訴えかける少年が一人。

「頼む、ワーズ殿! しきみねまで連れて行って欲しいんだ!」

「はっ、なんでこのワーズ・メイク・ワーズが? 人間でもないヤツの頼みを聞くなんて御免だね。そんなに行きたきゃ一人で行きな、フェイ・シェン。んでもって、さっさとくたばっちまえ」

「一人で行けないから貴方に頼んでいるんだろ! 僕が心身ともに弱いってことは、貴方だってよく知っているじゃないか!」

「ああもう、うるさい餓鬼だなぁ。大体お前は泉嬢を見捨てたんだろう? それなのに自分の望みだけ叶えようなんて、図々しいにも程があると、その弱いおつむでは分からないのかねぇ?」

 黒い背中からにゅっと現れた白い手が、フェイと呼ばれた少年へ、シッシッと追い払う仕草をする。それでもめげないフェイは、なおもワーズに追い縋る。

 この不毛なやり取りをここ最近毎日見せられている竹平は、店の踏み板へ腰を下ろすと、似たような格好で店番をしていた泉へ率直な感想を述べた。

「なんつーか……休日にどっか連れてけって駄々こねるガキと、意地でも行かないつもりのぐーたらオヤジって感じだな」

「竹平さん……。そんな、身も蓋もない。それにあの人、見た目は私たちより年下に見えますけど、私たちより長い時間を生きているそうですよ?」

「…………」

 言って、彼らのやり取りに目を向ける少女へ、竹平は気づかれぬようため息をついた。

(コイツ……自分が妙なコト口走っている自覚ないんじゃないか?)

 身体の加齢は、個々人に備わる条件が満たされた場合に限る――。

 奇人街での奇妙な齢の取り方については竹平も聞いていたが、はいそうですか、と頷ける内容ではない。だというのに、同じ場所から来たはずの泉は実にあっさりと、フェイの情報を告げてきた。

 挨拶回りのあの夜、クァンの店で出会ったという、彼の少年のことを。


* * *


 残り少ないクッキー入りの手提げ袋を携え、泉たちがモクの診療所から次に目指したのは史歩の家。しかし不在だったため、後日改めてと見切りをつけては、勢いのままクァンの店前まで移動する。

 と、前触れも脈絡もなく、ぼとっと猫が落ちてきた。

 これを見事にキャッチした泉だが、べたり、肩から胸に掛けて張りついた猫に戸惑う。芥屋以外の密室が嫌いという猫を、このまま連れて行くのは酷ではないか。それとも、泉を行かせたくないという無言の訴えなのか。

 すると店主がへらり、泉の胸へ銃口を向けてきた。ぎょっとするランを横に眉だけを軽く寄せたなら、ワーズは「君が一緒なら、猫はどこにでも行けるんだよ」と言う。

 改めて見た猫に、挨拶回りを止める意思がないと感じた泉。理解できない理屈はそのままに、とりあえず、このままでも良いらしいとクァンの店へ。

 途端、現れた接待の娘らはワーズを見ては「げっ」と呻き、ランを見ては……手早く簀巻きにする傍ら、猛獣用の轡を噛ませ、完成を待たずに店奥へと引きずっていった。その間、一分にも満たなかったかもしれない。去り際、涙目のランから助けを求められた気もするが、泉に反応できる速度ではなかったことだけは確かである。

 そんな泉がはっと我に返ったのは、急な緊張に襲われた時。ほぼ同時に、その場から大きく前へ跳べば、軌跡を追って微かな風の音が直前まで泉のいた空間を切り裂いた。

 一体何が? と振り向いたなら、同じように困惑する史歩がそこにいた。

 ――振り抜いた白刃を手にして。

 危うく斬られ掛けた、と理解が及べばぞっとするが、挨拶回りの相手でもある。

「綾音如きに……私の太刀筋が見切られた、だと……?」

 本気で斬るつもりだった言葉には絶句しながらも、茫然自失のこの時を逃すべきではないと考え、泉は手にしていたクッキーの袋を史歩へ渡した。

「これ、遅ればせながら、ご挨拶です」

 泉の声は果たして届いていたのか、いないのか。真偽のほどは定かではないが、差し出された袋だけはしっかり受け取った史歩。そのままふらり傾ぐと、クァンの店から出て行ってしまう。

(そういえば、史歩さんはどうしてここに? こういう雰囲気のお店は、あまり好きじゃないイメージがあったけれど)

 前にもこの店で顔を合わせた記憶はあるが、あの時は非常時で、今のように営業中でもなかったため、特に疑問を持つことはなかったが。

 不思議に思って首を傾げたなら、いきなり死角から誰かに抱きつかれた。生命の危機に関してのみ、勝手に動く身体の凡庸な動きによろけ、相手を見た泉は喉の奥で「ひぃっ!?」と鳴いた。いつもは気だるげな、青天の蒼を思わせる瞳が、ギラギラ脂っこい光を放っていたので。この店の経営者クァン・シウは、史歩に関する泉の疑問へ答えるよう、泉を抱きしめたままで言う。

「あんだけ接待してやっても史歩のヤツ、首を縦に振らなかったけど……泉ンっ、アンタから来てくれて嬉しーわっ! これでつれない剣客様へ、芥屋のへテキトーなこと言ってアンタを引っ張り出してって頼むメンドーも」

「メンドーが、何だって?」

「げっ、芥屋の。アンタもいたのかい?」

(ああ、だから史歩さんはこの店に……)

 店主の介入によりクァンから遠ざけられた泉は、史歩がここにいた訳を知り、ため息を一つ。クァンが店の歌い手として、自分を未だ欲している事実に辟易しながらも、手元に残った最後の一袋を、店主との言い合いに今日も今日とて押され気味で、ちょっぴり涙ぐむ鬼火へ差し出しかけ、

「こンの、クソガキがっ!」

「きゃっ!?」

 クァンが袋に気づく直前、言い合う二人と泉の間を、罵声と何かがもの凄いスピードで通り抜けていった。

 驚きと風圧に押され、短い悲鳴を上げた泉の身体がよろめく。

 続き、

「ぅぐっ」

 入り口横の壁に強く叩きつけられた何か――少年から鈍い呻きが発せられた。

 突然のことに動揺する泉の視界では、店の照明に伸びた影が少年に掛かる。

 影の源を辿った泉は、悲鳴を喉の奥に張りつかせて一歩仰け反った。

 そこにいたのは虚ろな目をした人狼の男。

 荒い呼気に混じるのは、鼻を衝く酒の臭気。

「っの、ガキ……人様のテーブルに潜り込んだばかりか、酌の一つもできねぇたぁ、舐めてんのか!? 下で喘ぐだけしか脳がねぇような面しやがって、気安く口を聞く態度も気にいらねぇ……へっ、いいぜぇ? 躾けてやらぁ。四肢を潰してからなっ!!」

 ろれつの怪しい語り口から転じ、未だ蹲る少年へ息巻いた人狼は、ずかずかと大股で少年に近寄っていく。

 気圧された泉はもう一歩退くが、目の前を男が通り抜けようとした、当にその時。

「あっ! 駄目っ!!」

 あることに気づいたなら、人狼の側面を思いっきり突き飛ばした。

 左手で。

「ふぎゃっ!!?」

 予想だにしなかった衝撃に対処し切れなかった人狼は、ワーズたちに向かって倒れていく。が、一連のやり取りに言い合いを中断していた二人が、人狼を受け止めるはずもない。ササッとそれぞれ別方向へ綺麗に避けたなら、人狼の身体はそのまま床に叩きつけられた。ついでに受身すら満足に取れなかった人狼の腹を、ふらりと退いたワーズの黒い革靴が、容赦を欠片も見せずに踏みつけた。

「ふぐぅっ……こ、このクソアマァ! 突き飛ばしたばかりか踏みつけやがって!!」

「えっ!? ふ、踏みつけたのは私じゃないです! 濡れ衣です!」

「だとしても、突き飛ばしたのは、確実にてめぇってことだろうが!!」

「あっ! わわわっ」

(つ、突き飛ばしたことも、否定した方が良かった!?)

 牙剥く形相に慌てつつ、男を突き飛ばす要因となった袋を拾う。

(触った感じ大丈夫そうだけど、どどどどうしよう!? どこに逃げたら!?)

 よろめいた時に落としてしまった袋が危うく踏まれそうになったため、咄嗟に及んでしまった凶行だが、元を正せばこの人狼のせい。かくして謝る発想もなく、逃げに徹しようとする泉。対し、起き上がった人狼は剥いた歯の隙間から泡立つ涎を垂らして、憎悪の赴くまま腕を振り上げた。

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