第14話 魅惑の尻尾
人狼の、尻尾。
はっきり言おう。
とっても触ってみたかった。
たとえランの外見がそら恐ろしくとも。少しゴワゴワしたきらいのある髪質を考慮すると、触り心地に補償はないが。
思う感覚は、元居た場所にいる犬とのじゃれ合いに近い。
誘惑にかられ、泉の手がピクリと動く。
しかし、幾ら何でも本当に実行するわけにはいかないだろう。
種は違えど、相手は立派な成人男性。
どう明るく考えようとも、やったら痴女認定待ったなしである。
第一、
「……触るっていっても、着物の中じゃ無理だもの」
ぼそり、一人ごつ泉。
本人は何気なく言ったつもりでも、こういう時に限って拾う耳はあるもので。
「えっ、い、泉さん?」
背後のランが慌てたのを知り、泉は同じように慌てて自身の口を塞いだ。
次いで、この反応はおかしかろうと思い直し、両手をすぐさま離す。
恐る恐るランの方を見やったなら、世にも恐ろしい形相が眉間と鼻面に皺を寄せていた。たぶん、人間時であればそれはそれは世にも貧相な、情けなくも冴えない表情が浮かんでいたに違いない。
どちらにせよ、泉は誤魔化し笑うしかないだろう。
「あ、あはははははははは……え、ええと、人狼にも尻尾ってあるんですね?」
言い逃れる言葉も思いつかず、無難な問いだけをぶつける。
と、気まずそうに金の鋭い目が逸らされた。黒い爪で頬の辺りを小さく掻く仕草が付け加えられ、どうしたのだろうかと泉は首を傾げる。尻尾の有無を聞いただけなのに、答えを渋る理由がわからない。
「んっふふー。お嬢さんてば、大胆発言!」
「へ?」
眉を顰める直前で、妙に浮かれたキフの声が届く。
きょとんとした顔をそちらへ向けたなら、にやつく目で口元を覆い隠す中年と、半ば呆れた顔で笑うワーズの姿がある。
「知らないってのは怖いねぇ。若さの特権ってヤツかい? いやぁ、冒険してるわ。おじさん、ちょっと感激」
「ええと、あの……?」
何やら身をくねらせるキフ。
気持ち悪いくらい艶かしい動きを見ていられず、泉はワーズを見た。
すると、頭に銃を捩じり込みつつ、へらりとワーズは語る。
「んー、端折るとね。今の言葉はお誘いの常套句なんだよ。今晩いかが? って」
「は!? な、なんで?」
「ほら、人狼の尻尾って脱がなきゃ見えないでしょ? それの有無を聞くってことは、遠回しに脱がせたいって意思表示。てことは……最後まで言わなくても、わかるよね?」
肩を竦めた説明に背後へ視線を戻した泉は、目だけで確認を取った。
これを見たランは一層気まずそうに頷き、
「ええ、そうなんです。……しかも尻尾って感情が出やすい箇所ですから、弱点みたいなもので。なので意味合いとしてなら、普通に誘うより断然、その……卑猥、と言いますか」
「ひ……」
もじもじする、声だけ冴えない凶暴な獣面に、頬が引き攣るのを感じた。遅れて薄っすら羞恥に染まったなら、上目遣いだろうが射殺す輝きの金の眼が言った。
「まあ、泉さんに他意はないって知ってますし、純粋な質問として受け取るなら……はい、人狼に尻尾はあります。でも……あ、あの」
尻すぼみする声に「そうですか」と申し訳ない気持ちで頷く。
知らなかったとはいえ、凄いことを言ってしまったと泉が後悔した、矢先。
「さ、触りたいなら、お出ししますが!?」
「へ?」
掠れて引っくり返ったランの申し出を受け、どういう流れの話なのかわからず、泉はぱちくり瞬いた。
程なく思い出されたのは、ぼそりと呟いた言葉をランが捉えた事実。
あの時まではそこまで大事と思っていなかっただけに、申し出を咀嚼して呑み込んだなら、音がしそうなほど泉の顔が真っ赤に染まった。
意を決した風体のランへ向き直り、わたわた両手を翳しては首を振る。
「い、いえっ! し、知らなかったとはいえ、変なこと言ってごめんなさい。大丈夫です。以後、気をつけます!」
「そ……そうですか」
気を張っていたのだろう、泉の謝罪にランの肩がすとんと落ちた。
……見ようによっては、がっくり項垂れたとも取れるが。
きっと、泉に対し敬語を使うのと同じ理由で、彼女の願いを聞き届けようとしてくれたのだろう。奇人街最強にして、何故か泉に懐く猫の存在があるがために。
そう考えると、以後、ランの前での発言には気をつけるべきかもしれない。
猫への恐怖から従われるなぞ、泉が自発的にやったわけではないにせよ、強請り集り以外の何者でもないような気がした。
元より、そんな上下関係は願い下げである。
「あーあ。泉嬢、もったいないことしたねぇ。上手いこと下僕ができたかもしれないってのに」
「全くだ。一世一代の大告白、おじさんが代わりたいぐらいだよ」
「おぞましいこと言うな! お前になんて死んだって言うもんか!」
泉が思考に耽る合間で、三者三様の言葉が飛び交っていく。
しばらく泉を挟んだランとキフのやり取りが続けば、しきりに残念がっていたワーズが、盾代わりの少女へ首を傾げてみせた。
「泉嬢。本当にそろそろ行こうか。コイツ等の乳繰り合い見ててもしょうがない」
「!? なっ、ワーズ! 妙な言いがかりをつけるな!」
「あらランちゃん! おじさんと君との仲じゃないのんっ。つれないこと言いっこなしよ?」
「うるさい! 身をくねらせるな、気色悪い! いいよっ、もう! 行くよ、行ってやるさ、シウォンのとこでもどこへでも! このおっさんのいないとこならな!」
黒い爪の先端でキフを刺すように示し、ワーズへ吠えるラン。
投げやりな口調に泉が戸惑いを見せたなら、転じ、気遣う口振りで問うた。
「ですけど……本当に大丈夫ですか? やめるなら今の内ですよ? 泉さんの行動を見ている限りじゃ、気軽な挨拶回りっぽいですけど、あの人のところに出向いて、無事でいられる保障はないんです」
「ええと……それって?」
相貌の怖さを霞ませる真剣さに見入られ、泉の眉がハの字を描く。
つられたように同じ目つきとなったランは、言い聞かせるように先を続けた。
「正直、今の虎狼公社の状態は不気味です。少し前までは、あの人も大っぴらに荒れ狂ってましたけど、最近になってそれがぴたりと止まっているんです。嵐の前の静けさというか。周りの連中も、何がシウォンの気に触れるかわからないんで、とても大人しいんですよ」
「あの人狼が、ですよ?」と締めくくる、自身も紛うことなき人狼のランは、嫌う自身の種の奇行へぶるりと身震いをした。
「そんなところに泉さんが訪れる――はっきり言って、危険です。殺されはしないとはいえ、最悪の場合、泉さんは二度と陽の目を拝めません。幽玄楼から出るどころか、シウォン以外の奴にさえ一生会えない可能性もあります」
淡々と語るランの声に潜む、やめた方が良いという訴え。
ひっくるめ全て理解した泉は、しかし、解せないと眉根を寄せて返す。
「幽玄楼……て、シウォンさんの気に入ったモノしかない、っていうあの場所のことですよね?」
今更の確認だったが、泉にとっては必要なことである。
これへ神妙に頷いてみせたランを見、ますます泉の眉間に皺が刻まれる。もう一度、自分の考えに確証を得ようと、泉は兼ねてよりの不思議を問うた。
すなわち。
「……あの、前からずっと気になっていたんですけど。皆さん、どうしてシウォンさんが私を好き、みたいな話し方をされるんですか?」
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