第15話 一般常識
シウォンに関し、泉が知り得ている事柄は次の通りである。
一つ、残虐非道な人狼の本性に忠実であり、そのプライドの高さに見合うだけの実力を備えている。
一つ、相手がどこにいようとも察知できる能力を持っている。
一つ、傲岸不遜を絵に描いたような美丈夫で、侍らせる女は途切れず、且つ、どれも極上である。
一つ、選り好みをするくせに、女が人狼でない限り、飽いたら腹を裂いて喰らう。
一つ、粗野なイメージが強い人狼であるにも関わらず、多芸多才で、造り上げるモノはどれも優美である。
一つ、過去にランと戦い負けてしまったために、人狼最強の座を剥奪され、以来、彼を目の仇にしている。
一つ、何故だかは知らないがワーズに対して悪感情を抱いており、女の従業員が現れる度、彼女らを誘い魅了しては店先に死体をバラ撒く。
これらは全て、奇人街における一般常識でもあるため、泉の認識に一切間違いはない。住人たちに問いかけたところで、皆、その通りだと頷くことだろう。
なので、もし「シウォンが芥屋の従業員に惚れている」などと言おうものなら、気安い笑い話と成り果てる。
シウォン・フーリを全く知らない、あるいは、最近の彼をとてもよく知る者たちを除けば。
泉の問いかけを受けて、キフが面白そうな顔をした。
「ほほう? あのかんざしは尋常じゃないと思っていたが。……いやぁ、あの子にもとうとう春が来たのかねぇ?」
しみじみ頷く。
そんな彼と相反し、ワーズとランは形容し難い顔つきで泉を見ていた。
居心地の悪さに泉は一歩、二人から遠退く。
「ええと……だってシウォンさん、自分で言っていたんですよ? 猫が目的だって。芥屋に戻る時だって猫を諦めたから……って」
言い訳のように訴えると、ワーズが困った顔でこめかみに銃を押し当てる。
「んー……そういや泉嬢、猫を諦めたって聞いてたはずなのに、まだ諦めてないって言ってたよね? アレってもしかして、シウォンから何通も手紙来たから?」
「えと、はい、そうです」
「その心は?」
「心って……だって、シウォンさんですよ? 言葉は悪いですけど、より取り見取りじゃないですか。従業員誘うって言っても、対象外だったら相手から来ない限り見向きもしない……みたいなことも聞きましたし。私じゃ年齢的にもまだ足りないとかなんとか」
言ってて、段々と下降していく気持ち。暗に、自分には惚れられる要素などないと、自信を持って宣言しているに等しかった。
なればこそ、こうなったら自棄だと腹に力を込める。
「それなのに手紙が来るってことは、猫目的以外考えられません。ほら、ランさんだって言っていたじゃないですか。……て、あの時は酔っ払ってたから憶えてないかもしれませんけど、私が猫に頼みを聞いてもらえるのは、すっごい魅力的なことなんだって」
「え、俺?……そ、そんなこと言ってたんだ」
突然話を振られ、誰もいない左右を見渡し自分を指差すランは、憤怒三秒前のような顔で戸惑っていた。
泉はこれに頷き、溜まっていた息を吐き出した。
「でも、それってつまり、私個人には何の魅力もないって話ですよね?」
「んー。けどさ、もしかしたらってことは? たとえば……いつもと毛色が違うから、とか」
「毛色……それはそれで何とも言えない気持ちになりそうですが、その理由もないと思います。前にシウォンさんに連れて行かれたって人、私と同じくらいの年齢で私より細かったって聞いた憶えがありますし……」
言いつつ、更に下がっていく気分。
当時この情報をもたらしたニパは世間話の要領で語っており、接客した泉も愛想笑いで聞いていたものの、それはシウォンのことを噂ですら知らなかった頃の話。
人魚の一件で行動を共にしていたため、他の人狼よりは接しやすい知人として認識したが、今まで幾人もの従業員を文字通り食い物にしてきた相手だったと思い返したなら、見方を改める必要があるかもしれない。
挨拶回りのクッキーを届けるのも、本当は止めた方が正しい。
そんな結論が浮上する。
しかし泉は内心でこれに異を唱えた。
だとしても、泉個人はシウォンに対し、少なからず仲間意識を持っている。
たとえ彼が泉をチンケな人間の小娘、もとい、猫のオマケ、もとい、猫の金魚のフン程度としか捉えていなくとも。
とにかく、挨拶はすべきと考え、
「憶え、ねぇ?……とりあえずさ、泉嬢?」
「はい?」
ワーズに呼ばれ意識を戻したなら、傾いだ白い面。
合わせて傾いだなら、真似されるのを嫌うようにワーズが顔の位置を戻して言う。
「気づいてはいたってことだよね? ボクとかが、シウォンが君のことを好きだって前提で話していたことは」
「ええ、まあ。あからさまでしたし。でも、からかう内容が酷すぎませんか? これで乗っちゃったら私、自信過剰じゃないですか。シウォンさんが相手にする人たち、本当に美人でプロポーションだって良くて……まあ、性格は凄かったですけど」
視線を逸らした泉の脳裏に、二人の人狼女が過った。
最初は見下され、殺されかけ、最終的には助けてくれた、良く言えば自分に正直な、悪く言えば我が儘な彼女たち。人間時の姿で会ったのは、中でも印象最悪な最初の時だったが、シウォンに侍る様は絵になっていた。
「とにかく、あの人たちを差し置いて、好かれているって言われて信じるわけないじゃないですか。一体誰なんです、そんな悪質な冗談を最初に思いついた人は」
本人不在の噂話なら経験はあっても、面と向かって元居た場所で告白対象になった憶えのない泉。つい最近、包帯巻きの医者・モクから想いを告げられたものの、第一声が「お嫁さんにして」というのは特殊なケースと言えよう。
このため、正面きって普通に告白された憶えは――……。
(あれ? そう言えば)
そこでふと浮かぶ、腕を失ったシウォンから押し倒された際の言葉。
好きだ、とそれこそ正面きって言われていたが、あの時は確か……。
耐え難い痛みを受けると、人狼の体内ではアルコールに似た麻酔成分が生成される――思い出した話に泉の目がランを見れば、
「シウォンですよ」
「へ?」
その口から話題の名が出てきた。
考えに没頭するあまり前後の会話を忘れていた泉は、理解まで数瞬の時を置き、
「え……と……わ、私、そんなにシウォンさんに嫌われていたんですか? そういえばあの時、結局、否定されなかったような」
言って思い出した場面は、押し倒される前のやり取り。
嫌う者の傍にいたくはないと告げられ、泉はこれを受けて、自分はシウォンに嫌われていると解釈していた。後でシウォンから誤解云々言われたが、完全な否定と捉えるには言葉が足りない。
やっぱり嫌われていたんだと改めて感じたなら、ランが力強く否定を入れてきた。
「じゃなくて! 冗談じゃなくて本当に好きなんです、泉さんのことが!」
「え……ランさんが?」
目を丸くしたなら、頭痛を堪えるようにランがうなだれる。
「どうしてそうなるんですか……。シウォンが、ですよ! もちろん、俺も泉さんのことはちゃんと好きですけど――って、あ……!」
するりと滑るランの舌。
しかし、シウォンが自分を好いているという言葉に、純粋な驚きを示す泉の耳には入らず。
「へぇ? ラン”も”、ねぇ? 泉嬢、男運あるんだかないんだか」
「あら、そうだったのん? おじさん、チョーショックぅ。ランちゃんはずっとフリーな種馬だと思っていたのに」
「ち、違っ……てか、キフ・ナーレン! 下世話な分類に人を纏めるな!」
「まあまあ。これからはフレンドリーに行きましょうよ。もうベッドには誘わないから。濃厚ボディタッチありの、ラブラブピュアなお友だちってことで」
「きっ、気持ち悪い! 身をくねらせるな! 第一、それじゃあ今までと変わらないってことだろうが! 断固拒否する!」
「んまっ。つまり、本命とは別におじさんストックさせられちゃうの? ああんっ、なんて不実な関係! おじさん…………大歓迎よ!――ぶべ」
「……いい加減に死ね」
周囲の愉快なやり取りを流し聞いていた泉、我に返れば、丁度キフの顔面にランの足が埋まったところ。
ぱちぱち瞬き、しばし眺めてのち。
「確かにシウォンさんから告白っぽいことはされましたけど、あれって怪我のせいで酔っ払っていたからだと思うんです」
見事にスルーを決め込んだ泉は、何事もなかったかのようにランへ言う。
対するランは、地に伏したキフから距離を置くと、金の目をぱちくりさせた。
「怪我のせいで酔っ払う? ああ、もしかして俺が陽を浴びた時の話ですか?」
頷けば、ランが参ったと言わんばかりに、耳を伏せて頭を掻きかき。
「まあ、腕一本なくなってますから、体内で生成される麻酔成分の量はそれなりにあると思いますけど……。奇人街の陽と通常の怪我じゃ、生成される種類が若干違うんですよ。じゃなかったら俺、怪我する度にぐでんぐでんじゃないですか。それにシウォンは俺と違って、陽のせいだったとしても酔っ払いません」
「そう、なんですか……?」
「はい、そうなんです」
「…………」
すっぱりきっぱり言い切られ、泉に残ったのは困惑だった。
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