第14話 薔薇の花はらはら

 ガラス戸いっぱいに、にゅっと入って来たのは――。

「……薔薇人間?」

 顔を覗かせた相手に対し、ワーズに抱き締められた格好のまま、泉は率直な感想を口にした。奇人街に該当する種族がいるのかは知らないが、目の前では真っ赤な薔薇の塊が、動物のようにもぞもぞ動いている。

 初めて見る正体不明の生物に戸惑い、至近のへらり顔に赤くなりつつも問うような目を向ければ、薔薇を映す混沌の瞳が細められた。

「花の匂いが強いけど……お前、司楼・チオか?」

「はい、そうっす」

「……司楼、さん?」

 なるほど、言われてみれば薔薇越しに聞こえる声は、知り合いの人狼少年のモノである。他の人狼がゆったりした衣服を好むのに対し、スーツを愛用する司楼の姿を薔薇向こうに浮かべる。人狼時では服に納まりきらない、寝癖のように飛び出る純白の毛並みまでを想像した泉は少しだけ笑った。

「すみません、ここに置かして貰いますね」

「はっ、人狼の持ち物なんか置かれちゃいい迷惑。止めてくれない?」

 ワーズの嫌みったらしい言い方に、薔薇の塊、もとい司楼はゴソゴソ動き、

「まあまあ、いいじゃないすか。コレ、店主にじゃありませんし。店主には詫び状と腕一本、もう差しあげたでしょう?」

「……腕?」

 どさっと音を立て、ガラス戸一杯に侵入してくる薔薇。

 肝心の司楼の姿は未だ見えないが、泉の疑問へは答えが返ってくる。

「あれ? あん時、綾音サンもいたじゃないっすか。ほら、オレが親分回収して引きずってった時、店主が箱を寄越したでしょ? あれ、親分の腕だったんすよ」

「……ちっ」

 余計な事を――そう響く舌打ちにまたもワーズを見やるが、逸らされた視線は薔薇を射たまま。

 拾って懐に入れた訳ではないと知った泉は、眉根を寄せて、黒い胸をぐっと押した。容易く離れた身体に一抹の寂しさが過ぎるものの、コレは自分の想いじゃないと頭を振る。

 改めてワーズを見やれば、それでもまだ近い混沌の視線が向けられていた。

 浮かぶ意は苦笑。バレたかと悪戯っぽく映る笑みに、泉は瞬間的に頭を熱くし――すぐさま後悔に襲われる。

「それってつまり……一度受け取った後に、シウォンさんからワーズさんに、ってことですか?」

 交わした視線は逸らさず、蠢く薔薇の向こうへ確認する。

「はい、そうっす」

 間を置かない肯定を受けて、こげ茶の瞳が揺れた。

 常時がどうあれ、拾った目的は食べるためではなかった。

 ……結果的に食べた事実はともかく。

 問題は、泉が疑うことなく、ワーズをそういう者と認識してしまったこと。

 そして――。

「泉嬢……君は本当にお人好しだねぇ? そんな、申し訳ないって顔しなくても良いのに。確かにボクは拾って食べたんだ。シウォンの腕を、さ?」

 何でもないことだと肩を竦めるワーズ。

 これを見て、やはり……と泉は思う。

 やっぱり、この人は――。

「ふひー……や、やっと出られ――って、あ、綾音サン!?」

「へ?」

 沈む考えを押しのけるように、悲鳴にも似た司楼の声が届いた。

 向けば、白い獣面と共に薔薇から出た黒い爪が、こちらを指している。

 何をそんなに慌てているのか分からず、顔を正面へ戻した泉は、

「わわっ!?」

 いつの間にか座るワーズへ覆い被さろうとしている、彼の首へ回された自分の腕を知った。どうやら注視した意識に便乗して、身体が勝手に動いていたらしい。

 それならそれで、ワーズも何か反応してくれれば良いものを、何故か底意地悪い笑みを浮かべた黒い腕は泉の背に回されており、

「で? お前はお取り込み中のトコに、何しに来たんだ?」

「うきゃっ!」

 珍しく強引に引き寄せられた身体が、すっぽりとワーズの頭を抱く。シルクハットのツバに顎を乗せる形となった泉は、突然の動きについていけず、見えない襟元に冷ややかな柔らかさを感じては、顔を真っ赤に染め上げた。

 次いで、司楼の驚愕の意を察したなら、全力で否定を口にする。

「ち、違います、司楼さん! 誤解です! わ、ワーズさんは私のことなんて、人間のひとくくりで好きなだけであって!」

 抱き合ったままでは全く説得力のない自分の言葉に、けれど泉は妙に傷ついた。

 人間好きを豪語しようとも、ワーズは人間が自分の意思で望まない限り、そーいった手は出さない。ならばこの格好は? と問われれば、目の前の人狼への嫌がらせの一言に尽きる。要はダシに使われただけ、ということ。

 だというのに、分かっているはずなのに、泉の胸は無駄に騒いでしまい、ワーズの耳がその近くにあると知っては、居た堪れない気持ちが増すばかり。

 なので代わりに力一杯、薄っすら涙を浮かべて泉は叫んだ。

「ワーズさんは、私自身に興味なんかないんで――すぎゃっ!?」

 と、いきなりシルクハット下に引きずり込まれる顔。

 黒い胸へ押しつけられては、あやすように背が撫でられた。

「泉嬢? 叫んだら喉を痛めちゃうよ? それにさ、先に言うんだったら、ボクがどうのこうのより、泉嬢がどう思ってるかじゃないの?」

 言われてみれば確かにそうかもしれないが、今の泉、それどころではなかった。

 程好く硬い胸に、勢いよく顔面が叩きつけられたせいで、鼻を強かに打ちつけてしまったのである。

「~~~~っ」

 赤くなった鼻と涙目を司楼の方へ向け、痛みなのか痒みなのか判別のつかない波が納まるのを待つ。せめてもの反抗とばかりに、黒衣を両手でぎゅっと握り締めたなら、背中の手が止まった。

「んで、人狼。さっさと用件を終わらせろ。泉嬢は見ての通り、もう少しで寝るとこなんだからさ?」

「あー、そっか。店主の色恋沙汰なんざ見たことねぇから、柄にもなく驚いちまったけど、綾音サン、恋腐魚を喰わされてたんでしたっけ。今の見る限りじゃ、もう少しで効果終わりそうっすけど……。あーっと、こういう時なんて言やいいんだっけ?……お悔やみ申し上げます?」

 声は幾らか冷静さを取り戻したものの、司楼の動揺はだいぶ酷いらしい。訂正する言葉も見当たらないようで、長い口吻を黒い爪で掻きかき。

 これにより泉は、司楼の頬に白いガーゼが貼られていることに気がついた。

 毛皮の白さで見にくくなっていたようだ。

 怪我でもしたのだろうかと泉が首を傾げたなら、

「……ああ、そうだ、綾音サン。こんな時になんですけど、この花、親分からっす」

「ほやぶん…………ぅあ、し、しふぉんさんですか?」

「…………誰っすか?」

 潰れた鼻のせいで中途半端な発音になったところを、些か呆れた顔に迎えられてしまった。察して、さらりと受け流す、ちょっとした気遣いが欲しかった泉は、少しばかり苛立つ。

 が、すぐに思い直し、慌てて言った。

 力強い声に合わせて、黒い服を握り締めつつ。

「あの、シウォンさんに、ごめんなさい、って伝えておいてください!」

 ――あなたの腕を美味しそうとか思ってしまって。

 自分がそう思われるのは洒落で通用しない場所柄、特に御免なので、こげ茶の瞳にこれ以上ないほどの真を込めて述べた。

 すると、どういう訳か司楼の黒い目が大きく見開かれ、大きく一歩、スーツ姿が仰け反った。白い三角耳が薔薇に埋もれても気づかない様子で、

「なっ……ま、マジっすか!? オレにそれを伝えろって?」

「え……? ええ、はい。あ、もしかして、私からちゃんとお伝えした方が」

「そ、それは勘弁して欲しいっす。親分、再起不能になっちまう……」

(再起不能?)

 告げられた物々しい言葉に泉の眉が寄った。

 プライドの高いシウォンのこと、人間の小娘風情に美味しそうと思われては、立つ瀬がないのかもしれない。そんな考えに至れば、直接言わない方が得策か。

 泉は謝罪の意味を伝えていないことに気づかないまま、ワーズの腕の中で、どうしたものかと悩んだ。

 傍から見れば――

 お断りしたのだから、相手が再起不能になっても知ったことではない、大体私にはこの人がいるのよ!

 ――と、暗に語っていることも知らずに。

 そしてその傍であるところの司楼は、泉の悩みが解決するのも待てず、わたわたした動きで懐から一枚の封筒を取り出した。

 これをそのまま泉へ差し出し、

「は、早々と返答くださるより、こっちを先に読んで貰えませんか?」

 駄目モトでも――黒い瞳に込められた必死さは、泉へ伝わりはしたものの、

「え……と、すみません」

 無理だと払う。

 がっくり肩を落とした司楼は、嘆きの声を上げた。

「そ、そんな。ようやく傷も完治してきたってのに……しかも断りなんか親分に伝えたら、今度こそ殺されちまう」

「殺され?……司楼さん、その怪我って、もしかしてシウォンさんが?」

 泉が自身の頬を差して尋ねたなら、頬を押さえた白い人狼は力なく首肯する。

「ええ、まあ。……親分、最近荒れてるんすよ。恋腐魚のせいと分かって、だいぶ落ち着いたんですが、それでも万が一が在るかもしれないと。だのに、猫にマークされているから自分は行けない。で、オレに花と手紙を託されて……なのに、読んで貰えない」

 ここで司楼は天井を仰ぐ。

「なんて……なんて可哀相なんだ――――オレ」

 過剰演出だが、言葉には正真正銘の悲哀が籠もっていた。

 愚痴混じりの経緯は察せないものの、泉は不思議に思って眉を寄せた。

(もしかして司楼さん、忘れているのかしら?)

 意を決し、恥を暴露する面持ちで、おずおずと告げた。

「あの司楼さん? 私、奇人街の文字はまだ読めないんですけど。それに、文字が分かったとしても達筆だから、シウォンさんの手紙は読めないって前に」

「あ。そういや前に、そんなことを聞いたような……」

 途端、戻ってきた白い獣面は、気まずそうに耳の裏を掻いた。

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