第10話 暑さと熱さ
全て吐き出したとて、一度感じた不快と恐怖はすぐに消える訳もなく……。
「すみません。気持ち悪く…………って、あれ?」
ワーズの言っていた「開けたところ」に辿り着いたと同時に茂みの奥に駆け込んだ泉。すっきりとまでは行かずとも少しマシになった頃合いで戻っては、勝手な行動を詫びようとした。が、戻った先の光景を前に目を丸くする。
何せ自分一人が無様に苦しんでいたと思っていたのに、ワーズやモクはともかく、同じ人間である竹平は言わずもがな、人狼たちすらぐったり倒れているのである。
無論、これだけ具合の悪い者が集まっていたなら、包帯巻きの医者は嬉々としてそんな人狼間を行き交っており、
「大丈夫かい、泉嬢?」
「あ、はい。何とか」
木陰で喘ぐ竹平の傍、苦しむ人間外の姿を喜ぶでもなく眺めていたワーズが、泉に向かっておいでと手招きする。
「……あの、ワーズさん」
「んー?」
「その……人狼の人たちって暑さに弱いんですか?」
「ま、そだね。奇人街じゃ温度は一定だし、ただでさえ人狼は夜行性で寒い方を好むっぽいから。ほら、奴らの巣もそんな感じだったでしょ?」
ワーズの言う巣とは人狼が住処としている“洞穴”のことだろう。泉は奇人街の地下に広がる空間は確かに地上よりも涼しい、もしくは寒かったのを思い出した。
しかし、そうなんだという納得を待たず、肩を竦めてワーズが言った。
「だけど、そればっかりって訳じゃないだろうね。ほら、アイツらって鼻が良いからさ。さっきのアレで相当キたんじゃない?」
「え? ええと、でもそれって……人狼なのに?」
思い出しかけた光景に慌てて首を振り、奇人街における人狼の残虐性に向けて首を傾げた。……それはそれで、胃がムカムカしてしまう話なのだが。
「泉嬢の言いたいことは分かるよ。奇人街じゃあんなのゴロゴロあるし、殺っているのは大概人狼だからね。だけど奇人街じゃニオイはそこまでキツくない。死にたてならまだしも、腐っちゃってるのはほとんど無臭でしょ?」
「で、でしょって言われても……」
一度だけ、ワーズ言うところの「腐っちゃってるの」を間近で見たことのある泉は、思わずその原因となったシウォンへ目を向けた。
同族以外の女を飽いたら喰らう彼の、寝床兼食事場にあった、腐れた頭部。陥没した頭蓋から現れた鼠然の動物や濁った目の中で泳ぐ虫、それでいて微笑む女の表情までも思い出せてしまったなら、相変わらず女を侍らせながら木陰で休む彼の姿にどうしようもないため息が出る。ついでに、こんな風にため息で終わらせてしまえる自分にも嫌気が差してくる。
すっかり奇人街に慣れてしまったと思えば、下降する気分に合わせて落ちていく視線。そんな視界の端に黒衣の裾を見つけた泉は、不意に別のことが気になった。
「あの、ワーズさん」
「んー?」
「その服、黒いのに暑くないんですか?」
「うん。はい」
ぽんと差し出される黒い腕。
(ええと……さ、触ってみろってことなのかしら?)
「うん」という肯定だけで終わる話だろうに、ワーズのやりたいことがいつもながらさっぱり理解出来ない泉は、それでも恐る恐る黒い袖に触れた。
「うわぁ……」
熱の籠もった外気を一切感じさせない、ひんやりとした触り心地に、思わずもう一方の手もワーズの腕に置いた。
「ひ、卑怯ですよ、ワーズさん。何ですかこの服、すっごく快適じゃないですか」
「まあね。ボクの服は特製だから。何だったら抱き締めてあげようか? その後が地獄になるけど」
取られた腕ごと泉に向かって両手を広げ、妙な誘惑をしてくるワーズ。
抱き締められる恥ずかしさはさておき、彼の言う通りこの温度に慣れたら慣れたで登山を再開した際、温度差に苦しみそうではある。だが、辟易するこの暑さと戻した具合悪さを鑑みるに、抗いがたい魅力を感じるのもまた事実。
甘い匂いで虫を誘う食虫植物の如く、おいでと両腕を広げるワーズに対し、泉の足は一時の夢を求めてふらふら彼へと近づき――かけ。
「そう、わあっ、問屋がおろす、もんっ、ですかあっ」
背後から伸びた両腕が顔の横を通り、負ぶさる格好で泉の上半身を引いた。
「うぎゃっ!!? に、ニアさん、あっつい! 暑苦しいですっっ!!」
抗議したところで泉を抱き寄せたニアは意に介さず、熱に濁った深緑の瞳が危険な光を携えて頬に擦り寄ってきた。
「ふ、ウヒヒヒヒ……ひ、一人だけ、涼しい目に合おうたー、ふてーアマだぜー」
「に、ニアさん? 何かさっきと言っていること違いません?」
先程まで、シウォンの神経を逆撫でするなとワーズから引き離したニア。
それが今では涼むことに対しての文句に変わっており、そんな泉の指摘に荒い息使いのまま一時止まったニアは、蕩けた思考が追いつくなり「ふっ」と小さく息を漏らした。
「同義よ」
「違いますって!」
「むぅ。うっさいなー。ならば一蓮托生、逆に私の熱を感じるがいいわっ!」
「ぎゃーっ!?」
泉と大差ない体温は密着した分だけ熱を増す。
「わ、ワーズさん、助けて!」
ほとんど自爆技と評して大差ないニアの奇行に、熱から逃れたい一心でワーズへ手を伸ばす泉だが、涼しい顔の男はへらりと言った。
「丁度良いんじゃない、泉嬢。人狼どもと話すシン殿のこと、羨ましそうに見ていたし。仲良くなる分にはボクは止めないよ。利用できる奴は多い方が良いからね」
友人が欲しいと思っていたことを、まさかあのワーズに察せられていたとは夢にも思わなかったが、そこに気を配れるのなら適切なのは今ではないだろう。
まだまだ続く山登り、こんなところで無駄に体力を消耗する訳にはいかない。
(何より、熱いっ! 熱苦しい!!)
もがいても絡みつく細腕に、制止の声が次第に喘ぎへ変わっていく。
――と。
「い・い・か・げ・ん・に・しろっ!! この大馬鹿娘がっ!!」
低い怒声に合わせ凄まじい打撃音が鳴った。
「ぎゃひんっ!?」
「うきゃっ!?――――わっ」
音源と思しきニアと共に仰け反り倒れかけた泉は、その前に背後から引き剥がされ、代わりとばかりに肩へ回された黒い腕に抱えられる。咄嗟に黒=ワーズと判断して礼を述べかけたものの、見上げた先に後方を睨みつける美丈夫の姿を見つけては、思わず回された腕を両手で掴んだ。
人狼姿であれば牙を剥いているところだろうに、泉の行動を過敏に感じ取ってはビクッと過剰な震えを示したシウォンがこちらを向く。
久々の近距離に、何故か戸惑う色を浮かべる緑の瞳。
対して泉は至極真面目な声で言った。
「シウォンさん……そういえば何で黒い服? 暑くありませんか、これ?」
「…………」
想像だにしていなかったであろう問い掛け。
なおも沈黙を保つシウォンは、答えの代わりに呆れ果てたため息をつく。
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