第3話 逃避の店番

 権田原ごんだわら竹平たけべえは、食材店・芥屋シファンクの従業員である。

 人間以外の化け物連中が闊歩する奇人街において、食材とは動植物に限らず、住まう者までを対象とする。店主が無類の人間好きを豪語しているため、芥屋が取り扱う食材の中に人間はないが、だからといってすんなり受け止められることではない。奇人街の住人と、ある程度顔見知りになったなら、なおのこと。

 そんな不本意極まりない従業員は、別段、竹平がなりたくてなった職ではなかった。ただ、犯罪と認識されるべき事象が一夜にして揃うこの街では、芥屋の従業員の肩書きが、身を守る上で必要だったのだ。たとえ、肩書きの防犯効果が微々たるものだったしても。

 元々は別の場所から、偶然にもこの街に来てしまった身。

 帰れるものなら、さっさと帰りたい。

 しかし、元の場所へ帰るためには必要な条件があるという。

 提示されたのは、共にこの街へ来てしまった恋人の存在。

 なんでも、この街へ来た時と同じ状態で帰ることが望ましいらしい。

 この街で目覚めた当初、離ればなれになっていた彼女とは、一騒動の末、再会を果たせた竹平。

 しかし、その時にはもう、彼女は人間ではなくなっていた。

 奇人街から元の場所へ出られるのは人間だけ――。

 この制限により、人魚メイリゥニと呼ばれる存在になった恋人は、元の場所へ帰れなくなっており――


 それよりも、何よりも――……



 締め切った曇りガラスの戸を背に座り、組んだ足の上で頬杖つく竹平は、仰々しいため息を吐く。

 赤い髪に茶の瞳。服装いかんでは、凛々しい少年にも麗しい少女にも見えてしまう、整った顔立ちと体格。そんな彼が纏っているのは、芥屋店主手製の濃紺の服。上半身の線がはっきり出るデザインのため、現在は正真正銘、男にしか見えないが、物憂げに伏せられた長い睫毛は女性的な色香を纏う。

 もう一度、ため息が吐き出され、頬に飽いた手が滑らかな顎を支える。

「……居づれぇ」

 変声期を越えたにしては、少しばかり高い声で、ぼそり呟く。

 そのまま気を紛らわすように、竹平の眼が店内を巡った。

 正面には鮮魚が入った箱と店前の路から伸びた柵。右を向けば、ガラス戸近くに乾物があり、路側には青果棚、上の空間には調味料が並ぶ。左を向けば、精肉の入った箱――店番をする竹平が一番開けたくない箱がある。これらを照らす灯は、天上から吊るされた青白い裸電球の数個。

 とてもではないが、奇人街でも一級品の食材を取り扱っている店には見えない、立派に寂れた内装である。しかもこの店、店主である男が人間以外を冷遇するので、内装どころか本当に寂れていた。

 まあ、鋼の心臓を持つわけでもない竹平としては、客足の遠さは有り難い限り。

 特に、昼間は人間、夜は二足歩行の狼となる種族、人狼の客は遠慮したい住人の筆頭である。先の騒動の最中、命の危険もさることながら、別の部分でも脅威に晒されたのだから、避けるなという方が無理な話だ。

 今でも二割の確立で夢に見る光景は、全て未遂だが、楽観できる優しさは全くない。リアルな焦らしは総毛立つ気分の悪さがあった。

 かといって、残りの八割を思えば、まだそちらの方がマシかもしれない。

 何せ――……


「よっ! 元気か、竹平!」


 元気一杯声をかけられ、竹平の身体がビビクンッと大袈裟に跳ねた。

 だらけた姿勢を正し、親しげに手を上げる姿を認め、

「……な、なんだ、クァンか」

 一時、恋人の面倒を見ていた、芥屋の斜め下に位置するパブの経営者に、ほっと息をついた。鬼火という種特有の額に生えた角や、からかう店主へ時折向けられる業火は慣れないが、クァン自体は気安く接せられる相手だ。

 立ち上がり、接客しようとして、

「こんばんは」

「ひぅっ!?……な、なんだ、あんたか……にしても、その姿、どうにかなんねぇのか?」

 新たに現れた姿へは、ビクビクしたまま文句を言う。

 挨拶したっきり沈黙したのは、同僚である古参の少女を診ている、医者のモク。自分こそ医者にかかれと言いたくなる包帯姿は、幾ら回を重ねても見慣れるモノではない。彼の意識は常に患者へ向けられるため、怪我も病気もしていない竹平は、最初から眼中にないと知っていても、怖いモノは怖いのである。

 とはいえ、これはどういう組み合わせなのだろうか、竹平は眉を寄せた。

 片や薄手のジャケットにドレス姿の長い白髪、空色の眼の妙齢女。

 片や全身真っ白の、年齢・種族共に不明の包帯男。

 非常に珍妙な組み合わせだ。

 しかも職種はそれぞれ、水商売の経営者と医者。

 出された結論は、

「……同伴ってヤツか?」

 店の中だけではなく、外でも接客するという話を聞いたことがある。

 その内容の程度はピンからキリまで。

 けれど、浮かんだ結論へ、同時に竹平は思った。

(……趣味悪ぃ)

 どちらが、とは断言できない。

 包帯男・モクは言わずもがな、クァンという選択肢も竹平的にはナシだ。

 何せ、竹平の知る彼女には、話で聞く限りの面倒見の良さと、実際目にした暴力的な印象しかない。幾ら制御できると聞いても、店主を包んだ彼女の炎の熱さは記憶に新しい。

 ぶるりと一度震えたなら、きゃらきゃら笑う声が当のクァンからやってきた。

「いんや。違うよ。んなわけないって。なんせ、泣く子も逃げ出すモクセンセーだよ? ウチの上位ランクの娘にのし付けたって、怪我か病気ない限り、お持ち帰りしない変態だよ?」

 本人のいる前でズケズケ言うクァン。

 親指で差されたモクは気にせず、頭を少し傾げた。

「泉・綾音を診に来たんだけど」

「ああ……。いるよ、いつも通り、居間に……」

「そう」

 煙管の刺さった、否、咥えた頭が真っ直ぐ戻るなり、いそいそこちらへ向かってくる。慌てて退いた竹平は、ガラリと開けられた向こう側を見ないようにして、クァンを見た。

「で、あんたは?」

「ん? ああ、アタシも泉の様子見……けど、辛いわね、竹平」

「……何がだよ」

 続く言葉は分かっていても、聞き返すのは何故だろう。

 にやり、笑ったクァンが、それでも若干の悲哀を織り交ぜて言った。

「失恋したばっかなのに、熱々状態が近場にあるなんてさ」

「っ」

 分かっていても、言葉に出されると、ぐさり突き刺さる事実。

 恋人と帰れなくなった一番の理由。

 失恋。

 そして、今なお、八割方夢に出てくる、その場面。


 ”竹平君、好きだって……私、勘違いしてたんだ”


 こだました幻聴に、竹平は心底恨めしいと、今まで目を逸らしていた、ガラス戸の向こう、ソファに座る二人の姿を睨む。

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