第11話 信用に足る
訪問を告げるワーズに扉越しで応対したのは、神経質そうな声の女だった。人間ではないのだろう、嫌みったらしいワーズの言い回しから要件だけを上手く読み取った彼女は、すぐ入ることを条件に扉を開けた。
お陰で、条件をなぞるようにすぐさま閉められた扉により、片足しか入れられなかったランが置いてけぼりになるところだったが、泉が頼むと意外にもあっさり容認してくれた。
何でも、院長のイイ人の頼みは断れないらしい。
(院長……?)
ワーズが泉の愛人と評したことから、白い建物はモクが勤めるところと察せたが、あの包帯巻きの医者には似つかわしくない肩書きに、自然と眉は寄るばかり。
三人掛けのモスグリーンのベンチが左右に三脚ずつ、同じ方向に並んで配置された、病院の待合室然のフロア。隅まで照らしきれていない白色灯に反し、カーテンの引かれたガラス張りのカウンターからひっそり佇む観葉植物の鉢植えまで、全てにおいて清潔感がある。
否、潔癖と評すべきであろうか。
神経質に磨かれた白い床の上で呆気にとられること数秒。
「どうぞ、お掛けになってお待ち下さい」
「あ、はい。どうも」
ここまで案内してくれた女に手で示され、我を取り戻した泉は近くのベンチに座った。ワーズがその隣、ランが後方、やや離れた別のベンチに腰かけたのを確認後、女は静かに会釈し、入って来た通路とは別の、カウンター隣にある薄暗い廊下へと消えていった。ぺたぺた遠ざかる白いサンダルの音を聞きつつ、ため息をついた泉は、知らず寄っていた眉間の皺を伸ばす。
白いナースキャップやナース服から、女が看護師だとは結論づけられるが。
タイトな衣装に押し込められた、豊満なバストに艶かしいウエスト、張りのあるヒップといった身体つきは、アウト寄りのギリギリセーフだったとしても。
見えそうで見えない危ういスカート線の下、淡いピンクのガーターベルトと内側に花のあしらわれたストッキングという出で立ちは、非常に心臓に悪い。
(……奇人街の病院って初めて入るけど、全部あんな?)
しかも院長はモク。
彼の趣味もやっぱりああなんだろうかと、愛人宣言された泉が真剣に悩めば、何やら妙な呻き声が近くから聞こえて来た。
顰めた眉のまま、声の主を探す泉。
と、辿り着いた相手はベンチの背に縋りつつ、その上で正座する珍妙な人狼。
背中を丸めて何かに耐えているかのように、目をぎゅっと瞑っては鼻息も荒く、世にも恐ろしい顔に苦悶の表情を浮かべていた。
小首を傾げた泉はどうしたのだろうと心配し、声を掛けかけ、
「泉嬢、止めた方が良いよ。今のランは手負いの獣みたいなモンだから」
隣から珍しく神妙な店主の声が届いた。
答えを求める泉は、今度はそちらへ困惑を向けた。
「何が」
「さっきのアレ、人狼じゃなかったでしょ?」
「ええと、看護師さんのことですか?」
言われて思い出す看護師の容姿。
人狼の獣面より人間に近い顔立ちであったが、両耳上の緑がかった黒髪が羽のような形をしており、目にしても白目部分のない、石を髣髴とさせる斑模様。
初めて見る種族だと小首を傾げたなら、答えはすぐさまもたらされた。
「そ。アレは羽渡って奴」
「え……と。それって、前にランさんが言っていた……再生能力が高いっていう?」
ついでに浮べてしまった、首から下をすぱっとちょん切っては、食材店に売るという話に少しだけ眉根が寄った。
想像だけで気分の悪さを憶える泉に対し、ワーズは満足げな顔で頷く。
「そうそう。まあ、種族自体はどうでも良いんだけど。肝心なのはアレが人狼じゃないってことでさ」
白い面の細い顎が、くいっと投げやりにランを示した。
つられてワーズからそちらへ視線を移せば、黒い肩がクツクツ揺れる。
「ランは同族の女に免疫在りすぎて逆にアレルギー気味なんだけど、異種族の女に関してはその反動でちょっとの刺激でも過敏に反応しちゃう性質なんだよ」
「…………はあ」
ワーズの言葉の意味を正しく解し、応じに困った泉は気の抜けた返事を発した。
これへ付け足すべく、ワーズがもう一言続ける。
「だもんだから、アレの格好見て衝動を抑えるので精一杯。そんなとこに人狼でもない泉嬢が声をかけちゃったら…………最後まで言う?」
突然問われ、ぶるぶる首を振る泉。
へらりと笑ったワーズは賢明な判断だと頷いた。
ランを死角に放り、姿勢を正して座る。
耳に届く荒い息はないものとして扱いつつ。
夜の喧騒をほとんど遮断する、ひっそりとした空気。必要もないのに妙な緊張感を覚えるのは、ここが診療所であるという意識の為せる業か。
ふるり、心音の震えを感じ、知らず知らず縫い目の感触が残る胸を押さえた。
と、脈絡もなく肩を叩かれる。
「うぉひゃあっ!!?」
併せて過剰な反応が口をついて出たなら、がったんっ! と大きな音を立ててランの座るベンチが跳ねた。
声には出さなかったものの、ランもつられて驚いてしまった様子。
思わず合った金の眼のよろしくない光に愛想笑った泉は、店主を壁に身を隠す。
そうしてから、肩を叩いた元凶の白い面へ怪訝な顔で問うた。
「な、何ですか、ワーズさん」
「……ボクとしては、肩を叩いたくらいでそこまで驚く理由を聞きたいんだけど」
眉をハの字に顰めて笑うワーズ。
尤もな話ではあるが、それならそれで先に声をかけて欲しかった。
仮に声だったとしても特殊な緊張感の中、驚かない保障はないが。
ともあれ、沈黙でもって先を促す泉の様子に、ワーズは銃で己を小突く。
「ま、いいや。それより……どうだった?」
「へ?」
「ほら、シウォンだよ。聞いたんでしょ、自分が食べ物かどうかって」
「……あー」
不明瞭な問いが明らかになるにつれ、泉の視線が自身の膝へと落ちていった。
食べ物扱いの勘違いに乗っかった風体のシウォンは、あれをからかいと称していた。元より、泉をそんな風に思っていないとも。
だが困った事に、シウォンの言葉は泉にとって、素直に受け入れられるものではなかった。何せ、今まで彼が泉に告げた言葉は、土壇場になってコロコロ様相を変化させるのだ。利用すると嗤っては好意を述べ、かと思えば人を貶し、意思を無視した矢先、身を助けようとする。
今回とて、食べ物と肯定した舌の根も乾かぬ内に違うと否定してきた。
「一応、否定はされましたけど……」
「信用できない、か」
引き継がれた言葉に頷くこともできず、俯くばかりの泉。
シウォンの想いが本当に自分に向いているというなら酷な話かもしれないが、信用に足るモノがないのは変えようのない事実である。
「……シウォンさん、大丈夫ですかね? 猫、苛めたりしていないと良いけど」
「んー。殺す、じゃなくて?」
告げられた物騒に思わず顔を上げ、へらりとした赤い笑みを見た泉は緩く苦笑した。
「それは、なんとなく……ない、と思うんです。最初にシウォンさんを威圧する猫を見た時は、確かにそう思いましたけど。人魚の一件で教えられて、繋がりを意識するようになってからは、変な直感めいたものが過ぎるんです。だから」
「でも、苛めることはあるって?」
「……はい。いえ、猫はたぶん、そのつもりはないような気がするんですけど……力加減が」
「あー、なるほどねぇ」
やけに実感の籠もった声でしみじみ頷くワーズに対し、同調された泉はばつが悪そうな顔を浮かべた。食べるという発想はどうあれ、長年、猫と暮らしてきたワーズに、ぽっと出の自分が語りを入れるのは野暮のような気がする。
だがワーズは欠片も構わず続ける。
「うん。ほぼ正解だと思うよ」
「え……?」
「猫とシウォンの関係。付け加えるなら、猫はシウォンを自分の子どもとして扱ってるから」
「は?」
「しかも過干渉でねぇ。シウォンもイイ齢だし、そんな構い方されたくないし、まして他には知られたくもない。だから猫、最近じゃ避けられててね。その分、会ったら必ず弄り倒すんだよ。まあ、泉嬢のボディーガードしなきゃいけない今は、シウォン放って、こっちに向かって来ているみたいだけど」
最後は虚空へ視線を投じ、在らぬ場所を見つめて告げる混沌の瞳。
魅入られたように見つめれば、す……と瞼が閉じられた。
闇色の髪から覗く瞳を見ることはあっても、閉じた姿を見るのは初めて。
「……?」
焦燥に似た不思議な動悸を感じた泉。子ども扱いの意を詳しく問うことなく、不安定な思いから逃げるように別の話題を己に浮べた。
かといって、全く関係のない事でもなく。
(信用……じゃあ、ワーズさんに対しては?)
胸に手を押し当て、再び俯いた瞳を閉じる。
生じた暗闇に喚起され、店主とのやり取りが泉の脳裏を過ぎる。
現れるのは、シウォン以上にふらふらした言動の多いワーズ。
それでも、信用は誰よりも深く泉の中に根づいている。
何故、と己に問う。
返る答えは簡単で。
きっとそれは、彼が再三人間好きを豪語するから――
本当ニ?
ふいに起こる、二度目の問い。
本当ニ、ソレダケ?
尋ねる声が内から響けば、泉の目が開かれた。
瞬きも忘れ、注視するのは自身の膝、その先にある白い床。
しかし――。
「っ」
眩暈を含む違和感。
生じた具合悪さを隠すように、閉じない眼を片手で覆った。
「……泉嬢?」
名を呼ばれ、のろのろ顔を上げた泉は、そこに訝しむ白い面を見やる。
「ぁ?」
黒一色の姿を捉え、丸くなる瞳。
伸ばした手は彼の腕へ縋るように皺を作る。
一層、目の前の柳眉が寄ったなら、掠れた声が喉を衝いた。
酷い混乱を抱えたままに。
「ど……して?」
「…………………………何が?」
ひと目でおかしいとわかる泉の様子に、けれど男は静かな目を向けるだけ。
不鮮明な混沌の、反して全てを見通すように澄み切った眼を。
理解を示すわけでもない、ただ知るだけの双眸から逃れるように、泉はいつの間にか向けられていた黒い胸へ額を擦り押しつける。
安定しない己の身体を寄りかかることで支え、安らぐ彼の薫りを胸に溜めて。
吐き出す。
「だって……私は、まだ、何もっ」
肘を伸ばし、身を遠ざける。
それでも視線だけは縋るように混沌へと絡め――……
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