第10話 異質の白

 しばらく歩いて後。

 ワーズの腕が肩から離されたことにより、ようやく我を取り戻した泉は、そこでようやく辺りを見渡した。

 俯き気味に歩いて来たため、今現在、どこを歩いているのかわからない。

 そもそも、似通った建物が続く割に、おもちゃ箱を引っくり返したようなごちゃっとした街並みが続く路。緊急時以外ほとんど外出していない泉では、元より見当がつくはずもなかった。

 それでも知れたことといえば、ワーズの後に続く内に、人の通りが少なくなっていく不可思議な光景。

 店が軒を連ねる通りではないから。理由としては十分だが、人通りのない路は大抵、青白い街灯がぽつぽつ辺りを寂しく照らしていた。だというのに、泉たちが進むこの路は明るい暖色の街灯が、色とりどりの瓦屋根と漆喰の壁を照らしている。

 あまり見ない色と静けさの組み合わせに、妙な居心地の悪さを感じた。

「そういえばワーズさん」

「ん?……ああ」

 泉の声かけに振り返った店主は、心得たとばかりに笑みを貼り付けて頷いた。

「いつまで憑いてくるつもりだ、ラン? クッキーならもうないぞ」

 しっしっ、と手を払う。

 話の流れから、まるで自分がそう思っていたように解釈された泉はぎょっとし、その背後にいた当の人狼は情けない声を上げた。

「酷っ! た、確かに俺は、本当についてっただけみたいなもんだけど。お前が言わなけりゃ、一の楼なんか行かなくて済んだんだぞ!? 変に目を付けられる心配だって、こんなになかったはずなのに……」

 愚痴るランの言葉を受け、今一度辺りに視線を巡らせた泉は、ギラギラした光を彼へ送る人狼女の姿を少ない人通りの中から幾人も見つけた。

 どうやら、ランが泉たちから離れるのを待っている様子。

 ラオの上で身を潜めていたことやランの発言を鑑みるに、一の楼という目立つ場所にわざわざ訪れてしまったせいで隠れられなくなってしまったらしい。

 なるほど、これではついてくるしかないだろう。

「す、すみません、ランさん。私のせいで」

 思い至った泉は頭を下げて謝罪した。

 元はといえばワーズよりも泉に責任がある。

 挨拶回りの首謀者は彼女なのだから。

 しかし、泉が勢い良く身体を折り曲げるなり、焦ったのはランの方だった。

「ぉわっ、あ、謝らないでください、泉さん」

「そ、そうですよね。謝って済む問題では」

「じゃなくて! 俺は別に、泉さんに謝って欲しいわけでは」

「それもそうですね……私の謝罪なんかで、ランさんの気が晴れるわけでも」

「いや、そういうことじゃなくてですね」

 遅れてやってきた罪悪感から暗くなる一方の泉に対し、段々途方に暮れた受け答えとなるラン。これへ、他人事だとばかりに肩を竦めるワーズが在れば、見咎めた人狼の目が苛立った。そのまま金の眼が項垂れた己の頭に向けられても、目線が足下にある泉は気づかず。

「あの、それじゃあ泉さん、こういうのはどうでしょう。俺を芥屋まで一緒に連れてって欲しいんです。そうすれば、彼女たちも諦めるしかありませんし」

「えー。ランのくせに図々しいー」

「うっさいな! お前は黙ってろ!……ね、どうですか、泉さん」

「え、ええと……」

 冴えない柔和な懇願に顔を上げた泉は頬を掻き掻き、嫌そうな顔の店主を見た。

 なにせ自分は居候中の身。

 ランへの非は自覚していようとも、芥屋利用に関する権限はないのだ。

 しかも、嫌うラオのところまで案内して貰った手前、ワーズに頼むのも気が引けた。

 では、どうするべきか。

 考えたところで良い案が浮かばない泉は、ワーズから視線を地面へと落とす。

「……泉嬢?」

「はい?」

 名を呼ばれて顔を上げたなら、銃口を頭に押しつけて傾ぐ店主が困り顔で笑った。

「何度も言うけれど、ワーズ・メイク・ワーズは人間のお願いなら、余程の事情がない限り聞くよ? シイの時だって、君の命を優先したから教えなかっただけなんだし。遠慮しないで言って御覧?――ランの願いを叶えるのはシャクだけど」

「お前……」

 決して本人を見ない嫌味に近い笑みは、泉の願いを尋ねる。

 それでも迷えば、続けて吐息混じりの苦笑が浮かび、

「泉嬢が言ったところで、ボクは無理なら無理ってはっきり断るよ? 何せ、ボクにできるのはボクができる範囲のことだけなんだから。たとえば、道具を使わず単身生身で空を飛べって言われても、できるわきゃないように。ね? 言うだけなら、ランでもできるんだから」

「まだ言うか……ねちねちとしつこい奴だな」

 泉を優しく諭す傍らで、悪意ある貶しをランへ向けるワーズ。

 ダメージが深くなるばかりの人狼を端に泉が思うのは、「今更」「手遅れ」と告げた店主の言。

 芥屋で目覚めた時、泉は誰かに頼る事を弱さや甘えと考えていた。

 幽鬼に追われ逃げ惑った時、ワーズに頼ったそんな己を弱くなったと結論づけた。

 人魚の一件が終結した朝では、頼る相手にこそ疑問を持ったくせに。

 挨拶回りの今とてワーズに、誰かに頼る現状はここに在って。

 正否の判別はつかねども、どのみち頼ることを知ってしまった自分には、この先、誰にも頼らずにいることはできないだろう。

 少なくとも、この奇人街では。

 次々巡る思考にとりあえずの折り合いをつけ、泉は自分を見つめる混沌の瞳と視線を交わした。

「それじゃあ……いい、ですか? ランさん、芥屋まで御一緒しても」

「ん、嫌」

「え……?」

「じゃ、行こうか」

「え……えええええっ!?」

 今の話の流れならば、ランの同行を許してくれる場面であろう。呆気に取られるばかりのランを見た泉は、さっさと先へ歩みを進める黒い背中を追った。

「わ、ワーズさん、話が違うじゃないですか!」

 非難混じりに問うたなら、にへらと笑う赤い口が振り返って言う。

「やだなー、泉嬢。いいですか、って、良いわけないじゃない。ワーズ・メイク・ワーズは人間じゃない奴と一緒なんて、嫌に決まってるんだから」

「なっ、そ、それって詐欺」

 絶句して指を差せば、ワーズの肩がおどけて竦められた。

 そのまま前に戻る顔へ何も言えず、固まってしまった泉。

 程なく肩がぽんと叩かれた。

 ぎこちない動きでとそちらを見やれば、言いがかりをつけてきそうな柄の悪い凶悪な相貌があった。危うく上がりかけた悲鳴が、喉を「ひぐ」と鳴らす。これを聞いたか聞いてないか、判断のつかぬ苦笑を浮べたランは、泉の肩を叩いた爪で頬を掻いた。

「つまり、同行はいいってことじゃないでしょうか」

「へ?」

 泉が瞬けば、ランは申し訳なさそうに耳を伏せて言った。

「ほら、アイツ、無理なら無理って言うって。だから、たぶん」

「……ああ、なるほど」

 思い当たる節を見出し、泉はワーズのふらふらした背へ視線を戻した。

 以前、片腕を失ったシウォンに対し、猫には殺されないと告げた店主は、ほっとする泉を余所に、彼の頭へ己が銃口を突きつけていた。その際、止めに入った泉へ彼はのたまう。

 猫には殺されないと言っただけ、自身が殺すことに関しては何も言っていない――そんな旨を。なればこそ、今のもそういう言葉遊びだったのだと知らされ、泉は安堵してワーズの後を追い、

「泉嬢って……やっぱり人魚だねぇ。それぞれに対して反応を変えるところなんて特に」

「はぃ?」

 いきなりそんな言葉を吐かれて目を丸くすれば、ワーズは独り言のように言った。

「シウォンには焦らしで、ランには包容力で。離れていけない工夫の凝らし方がなんとも」

「ワーズさん……何か、人聞きの悪いことを仰っていませんか?」

 心外だと眉を顰める。

 受けたワーズは応える代わりに立ち止まり、泉を振り返っては小首を傾げる。

「そういえば泉嬢、さっき、何か言いかけてたよね? 何?」

「さっき?…………あ、はい」

 問われて思い出す、ランの同行話の前に尋ねようとしたこと。ワーズに止められなければ思い出す必要もなかったと、ちょっぴり恨みがましく彼を見つめて問う。

「あの、今ってどこに向かって」

「ん? ここだけど」

「え、もう着いていたんですか――って、誰の家ですか、この白いの」

 くいっとワーズが親指で示したのは、色彩豊かな奇人街の街並みにあって、異様なほど白い建物。上や左右、向かいの瓦屋根や壁には様々な色が揃っているというのに、反射もしない白さは不気味に映る。

 と同時に、人通りの少なさの原因が、この建物を避けて歩く住人の動きで察せられた。

 まるで近づけば喰われる、とでも言わんばかりの流れ。

(何がある――ううん、誰が住んでいるんだろう、この家……?)

 困惑する泉に対し、ランが近づくのを待った風体でワーズはへらりと笑った。

「さて。人魚の工夫は、アレに対してはどう働くんだろうね?」

「アレって?」

「もちろん、君の…………愛人?」

「え」

 からかうワーズの答えに泉の思考が一瞬停止したなら、家に負けない白さを持つ赤いマニキュアの手が、覗き穴のある扉をノックした。

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