第11話  不可抗力

 ひとり言にしては朗々と語られる、不穏な言葉の数々。

 泉が属する種を卑下する内容に思い起こされるのは、奇人街と地下にある洞穴の境で遭った、腕だけの存在。あの時、行動を共にしていた人狼は、腕とその大本である彼は別物だと言っていたが。

「……ラオ、さん」

 聞き続ける気にもなれず、物置の空間から奇人街へと降りた泉は、少しばかり離れたところから彼の名を呼んだ。

 するとぴたり、語りが止み、

「おおっ! その声は…………泉ちゃん、じゃな?」

「はい、そうです」

 一転、柔和な声を掛けられ、知らず強ばっていた泉の肩がほっと息をつく。

 自然に生えた草木が見当たらない奇人街。

 その中で唯一、地に根を張りそびえ立つ老木、ラオ・ヤンシー。

 意思を持つこの木は、無数の根を操れる割に身体の向きを変えることができないらしく、丁度、背中を向けた状態で、その巨体の影を泉に落としていた。

 いくらか弱まったとはいえ、完全には払拭されない不審に恐々歩み寄る泉。

 ここに来るのは三回目だが、前の二回には辺りを見渡させる余裕はなかった。このため、迷路作りの奇人街にあって、だだっ広い場所の中央に生える木に対し、周囲の家々が、壁面だけを向けていることに初めて気づく。

 玄関はもちろん、小窓の一つさえない、壁だけに囲まれた広場。

 まるで、ラオの存在をないものとするかのような――。

 そう思えば、別の重みでもって遅くなる歩み。

 と、そんな彼女の横を、ふらふらしつつ乱暴な足取りで黒一色が過ぎていった。

 腕は離したものの、ずっと隣に居た影響か、泉は慌ててワーズの後を追い、

「わ、ワーズさん」

 挨拶もなしに、もしくは挨拶代わりとでも言うように、ラオの背に黒い靴が埋められる様を見る。酷薄な笑みを浮かべ、苛々した態度を隠さず、連続して脆い幹を足蹴にするワーズ。到底止められる雰囲気ではない。

 おろおろする泉は、とりあえず、クッキーを渡すことを優先し、

「…………あれ?」

 クッキー入りの手提げ鞄を持っていないことに気づいた。

 思わず周囲をくるりと見渡す。

 薄桃の裾が静止の後を追えば、頭にがんっという空想の衝撃音が響いた。

「まさか……落ちた拍子に?」

 来た路を辿るように思い返せば、ワーズが腕を振るより前、物置に入ってからなかったとの結論に至る。落ちる落ちないで、ぎゃーぎゃー騒いでいたため、確かにあった重みをすっかり忘れていたらしい。

「そ、そんな……」

 自分の間抜けさに今頃気づき、へたり込みかける泉。

 だが、それならそれでワーズを止めねばなるまい。

 嫌がる彼を連れてきて、挨拶するはずの相手には暴力の土産を押し付けて。

 普段ならば、うな垂れるだけのところを、寝不足の情緒不安定さが涙を呼んだ。

 流している暇はないと目を擦りつつ、ワーズの下へ駆け寄り――。

「どわっ!?」

 眼前、いきなり何かが声を上げて落ちてきた。

 一拍後れで、はらり、泉の前髪が数本、宙を舞う。

 瞬き数度、突然の物音を追う視界には、ぴたりと動きを止めたワーズの姿。

 下方、正体を知ったなら、泉の喉が「ひっ」と鳴った。

 そこにいたのは、薄青の着流しを纏う灰色の体躯、凶悪な面構えの金の双眸を持つ人狼。地を睨みつけて鼻面に皺を寄せ、鋭く剥かれた歯の内から、呻き声を上げている。物々しい容姿とは裏腹に、若いその声は、射抜く視線を泉に送るなり、はっとした様子で彼女の名を呼んだ。

「あ、泉さ――ぎゃっ」

 短い悲鳴は黒い靴に、容赦なく顔面を踏まれたせい。呆気に取られた泉も、顔を上げる前に白い布を被せられては、小さなパニックに陥った。

「わ、ワーズさん、何を?」

 相手は知れていても、塞がれた視界に意味なくバタバタ手足が動く。

「泉嬢………………………………………………………………………………胸」

「胸?――――ぅきゃあっ!?」

 指摘されて薄暗い視界の中、無残に裂かれた胸元を見て取った泉は、両腕で隠しつつ、しゃがみ込んで小さくなった。



 ラオの背後でしゃがんだままの泉は、白布から顔だけ出した状態で、黙々と針仕事を進めるワーズへ問う。

「ワーズさん……見ました、よね?」

 別段、答えが欲しかったわけではないが、確かめずにはいられなかった。

 縫ってあげるとワーズに促され、渡した上着。

 その下の、同じように裂かれたシャツから伝わる地肌の感触。

 幸い、下着は表面がほつれた程度で済んだが、見られていいはずがない。

 じーっと見つめたなら、手を止めたワーズは綺麗にへらりと笑った。

「不可抗力だよ」

「っ!? ひ、否定なしですか?」

 泉の顔がぼっと赤く染まった。

 今頃になって、否定かぼかすかして欲しかった自分に気づく。

 そこへ老木から茶々が入る。

「ほっほっほっ、若いってのはいいのぉ」

「黙れ耄碌ジジイ」

 打って変わり、へらり顔に剣呑な表情を余すことなく浮かべたワーズは、射殺す視線を投げつけた後で、泉に対しては苦笑を示し、

「仕方ないよ。胸って部分的に指摘しちゃったし。前の時みたいに、着替えてきたらって言ってないでしょ? それなのに、何を、なんてぼかすの、わざとらしいじゃない?」

「確かに、そうかもしれませんけど…………え?」

 何かに思い当たり、落ちかけた泉の視線がワーズを見た。

 引き攣る脳裏に過ぎったのは、服のまま奇人街の海に潜ったというワーズに近寄り、濡れて透けてしまった寝間着の記憶。下はともかく、上は外して寝る泉、ワーズからの指摘を受けて着替えてのち、今と同じく問うたのだが、その際はたっぷり沈黙を置いてから「何を」と告げられており……。

 あの時は諦めた羞恥が、おぼろげな返答を受けて、泉の顔を更に染めあげる。

 これを知ってか、休めていた手を再び動かしたワーズは言った。

「良かったね、泉嬢。胸まで痩せなくて。あの時のまんま、綺麗な形と手頃な大きさだったよ」

「きっ、かっ、てっ、おっ!?」

 惜しげもなく下される評価に、満足な単語も紡げない。

 白い布の中で、ますます身を縮ませた泉は、別の話題を持ってそうな相手に視線を移し――急速に熱が冷めていくのを感じた。

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