第12話 取り戻されたモノ
少し離れた場所でこちらへ背を向け、ガタガタ震えている服裂き犯に声を掛ける。
「ランさん…………大丈夫、ですか?」
ワーズに踏みつけられたダメージ自体は浅かったようだが、それよりも何よりも、落ちた拍子に泉の服を裂いてしまったことが恐ろしいらしい。
――ちなみに何故、上からランが落ちてきたのかと言えば。
例によって人狼女の熱烈なお誘いから逃げるべく、ラオの枝葉に身を潜めていたところ、ワーズがラオを足蹴にしたからだそうで。ランにとってのラオという存在は隠れ場所でしかないらしく、落ちる際に枝を折り葉を散らしても、彼への謝罪はなかった。
対して、泉には起き上がるなり平伏、服の惨状を知っては、恐ろしい獣面を更に恐ろしく歪めて、歯の根も噛み合わない程震える始末。涙を誘う経緯とあまりの怯えように怒りよりも心配が先立てば、こちらをちらりと見たランが、涙目のまま頭を抱えて首を振った。
「み、見てない! 見ていませんから、俺は! そ、そんな恐ろしいことっ! ど、どどどどどどうしよう!? ま、猫に殺され……いや、もしもあの人にバレたら!」
「いっそ、殺された方がマシかもねぇ」
「う、うわあああああああっ!!」
のんびりとしたワーズの追い打ちに、半狂乱となるラン。
ワーズに見られたことへ赤面した事実はこの際捨て、泉は落ち着かせるように微笑んで言う。
「だ、大丈夫ですよ。服が裂けたくらいですから。そんなことくらいで猫がランさんをどうこうって、あり得ませんて。なんでしたら、猫に言って――」
「はい、泉嬢。できたよ」
「……あ、ありがとうございます」
ランとの会話そっちのけで渡された上着を受け取った泉。とりあえず格好を取り繕うべきと、白い布の下で器用に着付けては布をワーズへ返す。応急処置の縫い目を確認し、再度、何かしらランへの慰めを口にしようとしたなら、ワーズがまた、何かを差し出してきた。
碌に見もせず受け取れば、そこそこの重量。
持ち上げて視認した泉は、落としたはずのクッキー入りの手提げ鞄との再会に、目を真ん丸くしてワーズを見やった。
「あれ?……この鞄、ワーズさんが持っていてくれたんですか?」
言いつつ、妙な違和感を覚える。
物置を歩いていた時、ワーズの左腕は泉の手がしっかり掴んでいた。右手にはいつも通り銃を携えていて、手提げ鞄をぶら下げていた記憶はない。
見落としていたのだろうか。
眉を寄せて自分の発言に悩めば、手提げ鞄を差し出した当人も似た顔をする。
「泉嬢に教えてなかったっけ? 物置とゴミ箱直行のポケット」
「あ、はい。憶えてますけど……」
どういう原理なのか、ワーズの黒いコートのポケットは左右それぞれ、別の場所に通じているという。実際、ポケットに収まりきらないコートを取り出す場面に居合わせたのだから、疑う余地もなし。
ワーズ曰く、ポケット口の幅より大きいモノは出し入れできないのが欠点らしいが、手渡された鞄は布製とは言えクッキーが入っている分、その幅を上回っていた。何より、彼が現在着ている黒い衣には、ポケットとなりそうな箇所が見当たらない。
じろじろと無遠慮に凝視する泉をどう思ったのか、ワーズは銃で頭を叩きつつ、懐へと手を入れた。
「この服のココに、それがあるんだよ。ただし、物置しか利用できないんだ。もちろん、手を入れちゃ危険だからね、泉嬢」
「ぅえっ!? なっ、誰もそんなところに手を入れたりしませんよ!」
慌てて視線を逸らし、だから手提げ鞄も出せたのかと、思考を別方向に持っていく。しかし、一度上がった熱はそう簡単に冷めてくれないらしく、戸惑えば重みのある鞄が揺れた。
本来の目的を思い出した泉は、これ幸いとクッキーを一つ手に取り、ラオ――ではなく、視界に入ったランの下へ。
「あ、あのラ」
「泉嬢」
静かに名を呼ばれ、ぎくりと泉の足が止まった。
羞恥から逃げに走ったことがバレたのかと振り向けば、凄みのある笑顔を浮かべ、ワーズが親指でくいっと老木を示す。その際、親指が首の辺りを滑らかに過ぎったことは、決して泉の気のせいではないだろう。
一刻も早くラオの下から去りたいようだ。
気圧された泉の目は、ランとラオを行ったり来たり。
のち、ワーズの指示通り、ラオの正面へと回り込むことに。
「よっ、泉ちゃん」
老木に埋もれた老爺の顔が見えれば、すかさず枝の手が上げられた。
つられて手を上げかけた泉だったが、気安い態度を改め、会釈を一つ。
「どうも、こんばんは。…………あれ?」
顔を上げ、間近のラオに泉の目が丸くなった。
これに気づいた様子のないラオは、皺のようなこぶで潰れた目を和ませる。
「今夜はどうしたんじゃ? ワーズも一緒じゃし、追われているわけでもあるまい」
顎を擦るラオの後ろから、「けっ」と毒づくワーズの声。
しかし泉は惚けた顔のまま、手提げ鞄からクッキーの入った袋を取り出し、ラオへと差し出した。
「あの、コレ、クッキーなんですけど……遅ればせながらご挨拶に」
「ほうほう。いや、これはありがたいことで。では、遠慮なく」
ひょいと抓まれる袋。
合わせ、軽くなった泉の手の平の形が指差しに変わった。
「……ええと、ラオさん?」
「ほ? なんじゃ、泉ちゃん」
「その…………どうしたんですか、お腹……の辺り」
木そのもののラオ相手では表現しづらいことこの上ないが、顔や手の位置で、おおよその検討をつけて指した部位を問う。
すると泉の問い掛けにしばし首を傾げるだけだったラオは、おもむろに下を向き、
「ああ。前に言ったじゃろ? 猫が爪を研ぎに来ると」
「はい、毎日って。でも……毎日?」
まじまじと見つめる視界に映るのは、ごっそり抉り取られた木の内部。驚異の再生力を持つとラオ自身が前に言っていた通り、ゆっくり元通りの形になってきてはいるが。
どう前向きに捉えても、爪研ぎの範疇には納まらない。
呆気に取られるばかりの泉に対し、ラオはあくまで朗らかに笑う。
「ほっほっほっ。やんちゃじゃろう?」
「やんちゃ……」
「研がれると、こう、切ない気分にはなるが、日参は嬉しいもんでのう。われは楽しみにしとるんじゃよ」
「……そうですか」
研ぐ……削ぎ落とされるの間違いでは?
泉は口に出せない言葉を呑み込み、頬を引き攣らせながら愛想笑い。
到底、ついていけない感覚である。
否、ラオにしか朗らかに語れないだろう。
他の者であれば、語るまでもなく死んでいる。
ところどころショックを隠しきれない泉は、次に掛けるべき言葉も見当たらず、かといってこの場面で立ち去るタイミングもわからず。
「泉嬢、もう行くよ」
「あ、はい!」
半ば苛立ったワーズの声にこれ幸いと返事をしては、ラオに別れを告げつつ、そそくさ立ち去ろうとし、
「……ラオさん、さっき聞こえてきたお話って、前に言っていた奇人街を作ったのは人間っていう?」
「おう? ああ、そうじゃよ。正確には、色んなところの人間じゃ。なればこそ、奇人街のごった煮感も分かるってもんじゃろ?」
「ごった煮……言い得て妙だわ」
ラオの言葉を受け、納得する泉。
感心して頷いたなら、急に腕を引っ張られた。
「泉嬢。早く行こう。回るところは、まだまだたくさんあるんだから」
「ぅあ、は、はい」
見上げた先にいつもとは違う不機嫌極まりない表情を捉え、泉の身体が竦んだ。
そこへ間髪入れず、
「おう。ワーズ、女人は丁重に扱わんと」
「うるさい。耄碌ジジイは黙ってろ」
歯を軋ませ、ラオを睨みつけたワーズは、有無を言わさず泉の腕を持ったまま先を行く。後に続くしかない泉は、地下で遭遇したあの腕と彼は別の存在なのだと、少しだけ安堵した。
――語りの節々に混在した、似通った蔑みからは敢えて目を逸らしつつ。
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