第10話 放られた寓話

「んー? 迷子どころか、死ぬのは確かだね」

「…………はい?」

 毎度の事ながら、突然吐かれた物騒に泉の目がワーズを見上げた。

 合わせ、今度はワーズの方が視線を前に投じてへらりと笑う。

「まあ、ここには色んなモノがあるから、精神崩壊しない限りは生きていけるかもしれないけど」

「……どんな前提ですか、それ」

「でも、あんまり歩き回ると”外”に入って、殺されちゃうだろうね」

「…………すみません、話が全く見えないんですけど?」

「そりゃあそうだろうねぇ。話ってのは聞くモノで見るモノじゃないし」

「ワーズさん……分かっててそういうこと言うの、止めてください」

 口を尖らせて抗議すると、クツクツ震える肩。

 半眼で睨みつけた泉は、ワーズが見定めたままの前方へと視線を移す。

 終わりの判別しない空間。

 見ている方向は同じでも、目的地が分かっているワーズの視界が捉えるのは別の場所。それでも同じ場所に行くのだと腕を掴めば、おどけた調子で黒衣は言う。

「シン殿の話を聞いてるから知ってると思うけど。奇人街から別の――たとえば泉嬢の元居た場所に行くことは、条件がなくても可能なんだよ」

「はい」

「で。話の流れから薄々気づいているかもしれないけど、それができるのが”外”。通り抜ければ、存外、簡単に行ける……抜けられれば、ね」

「もったいぶってないで、すぱっと言ってください。殺されるってどういう」

「幽鬼が出るんだよ。そりゃもう、うじゃうじゃと。しかも一寸先は闇で、警戒すらできない状態。自分の姿やある程度まで近づいた相手の姿は、光源がなくても分かるっていう」

 ぱっと想像した光景は、黒い霧の中から出てくる生白い姿。

 華やぐ蜜が詰まった頭は丸く、左寄りの一つ目は黄色く濁っている。

 鼻は削げ落とされたように見当たらず、肉の失せた唇からは白く四角い歯が覗く。

 伸びきった四肢の先で蠢く指は、触手を思わせる関節の多さ。

 人に似た二足歩行の身体つきは男に近いが、血と花の煙る匂いを漂わせる裸体に性別はない。

 奇人街の住人に恐れられながらも、ちゃっかり高級食材として扱われている存在。

 よりにもよって人間が大好物だという幽鬼と、幾度かご対面の機会に恵まれてしまった泉は、無意識に右腕を擦る。

 以前、幽鬼の攻撃を受けて裂けたそこに傷痕はなくとも。

 なお鮮やかに甦るのは、死への戦慄。

 泉はごくりと喉を鳴らし、これを振り払うようにワーズへ問う。

「あの、それじゃあ私にしても、竹平さんにしても、元居た場所には絶対」

「ん? ああ、幽鬼対策取ったところで、たかが知れてるからねぇ。でも、”外”以外にも行く方法はあるから。”外”は手段の一つってだけ。それとね――」

 へらりと言われてほっとした泉、描いた竹平へ良かったですねと笑えば、

「シン殿は大丈夫だけど、泉嬢は”外”抜けても無理」

「え……?」

「あ、着いたよ泉嬢」

 泉の驚きに被るタイミングで、ワーズの指が空間へと埋められた。聞こえなかっただけと結論づけた泉は、再度、何故自分だけ無理なのか問いかける。

 だが、ガラス戸と同じ要領で開けられた空間から、夜気混じりの声音が届いたなら、問いを忘れて顔を引き攣らせた。



 事の起こりは昔々。


 飽食の主が末の君に弑奉られた。

 永き縛の解放は無数の屍を山と為し、無限の血潮を海と為す。

 父を、母を、一族郎党、己に纏わる全てを滅した末の君は、残された荒涼たる地を後に、放浪の旅へと向かわれた。


 何にも寄らず、ただ視つめ続けた末の君は、ある存在に心惹かれる。

 脆弱であるがゆえに、知と名づけし力を用い、滅びと再生を繰り返す種――人間。


 内の一匹を採取された末の君は、それまで忘れていた地にこれを放った。

 望みは人間が築きし、文明という遊び場。

 けれども、放り出した一匹は、程なくして地に住まう数匹に狩られてしまう。


 せっかく持ってきた一匹が残念な結果に終わり、末の君は落胆した。

 狩った数匹の血の連なりを塵芥と化した末の君は、群れるそれらを目の当たりにし、一匹だから無理だったのだと思い至られた。


 そうして今度は、気に入った箱の連なりごと、大地に移された。

 同じ失敗を繰り返さぬよう、家という名の箱へ近づくモノを弾きつつ。

 だが、これも末の君の尊顔を綻ばせることはなかった。


 原因が分からず、死骸の中へ降り立つ末の君に対し、恐れ多くも裾を引く一匹があった。

 汚らわしくも卑しい手を払われぬ、心寛大なる末の君は、この一匹に原因を問われた。

 しかしこの一匹、うわ言のように同じ音を発するだけで、末の君の玲瓏たる御声を知覚する術を持たない。

 それでも、聡明なる末の君は、一つ増えた死骸の意を御汲みになさり、人間には飲食が必要と解された。


 下賤なモノと比するは誠に罪深きことなれど、末の君は他を搾取なされずとも永を生く御方。

 一方、姿形は不可思議にも末の君とよく似た、所詮は愚にもつかぬ人間風情。

 末の君は雲泥の相違を憂われた挙句、世にもおぞましき案を描かれてしまった。


 人間を対等に扱う、という。


 そこから得た情報を元に、街を起されるべく。

 全ては末の君のささやかな戯れが為に。


 果たして、築かれた街の名は、蒙昧な人間が名付けたにしては上出来な――

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